第一章 フォーサイス家 第一話 新しい場所
プロローグ
いつまでも、当たり前に続くのだと思っていた日常は、幸せは、ある日、突然崩れ去った。何の前触れもなく、まるで、そんなものは元からなかったかのように。何もかもが信じられなくなった。今あるものも、きっと、そのうち消えてしまう。そんなものを信じようとはもう思えない。私はもうあの頃みたいな馬鹿じゃない。何も、誰も信じず、何も思わず生きていく。そうでないと、また来る別れが辛いから。あの日、あの時襲ってきた悲劇が、また訪れるような気がしてならないから。
私はただ、笑っている。毎日、毎日、人形のように。貼り付けた笑みで、何もない空っぽな私を覆い隠して。そんな風に過ごして、もう何年が経つのだろう。十年くらいだろうか。何もない十年間。私がここで十過ごす間に、周りはどんどん進んでいく。去っていった物も、人も、新しく来た物も、人もあるし、いる。世界に置いて行かれたよう。でも、もう、どうでもいい。何でもいい。生きていればそれでいい、でも、生きていなくても、いい。
私には、生きる意味も、死ぬ意味も、ない。私には本当に何もない。いや、あったのかもしれない。遠い、遠い、まだ私が幸せに包まれていた時は、まだ何もかもを信じ、何も疑っていなかった時には。今ある幸せが、永遠と続くものだと思っていた馬鹿な私は自分の生きる意味を持っていたのかもしれない。でも少なくとも今はもうない。失った。私の人生を全て奪い、全て変えたあの日に。
感情なんて、もう忘れてしまった。そうでなくとも、今の私には要らない。馬鹿な私にあった感情なんてくだらないものは。ただ、笑っていればいい。それで、すべてうまくいく。
だから私は今日も笑って、何もない一日を過ごす。
「わぁ」
思わず口から声をこぼし、立ち止まってしまうリリー。その視線のさきにあるのは、広く、広くどこまでも続いていそうな庭。さらに奥には、今まで見たこともないような大きな屋敷。入り口の門ですら、ここは他とは違う場所なのだということを知らせているかのよう。庭の噴水は澄んだ水を吐き出し続け、花壇には色とりどりの花が咲き乱れている。大きな建物は綺麗に掃除されており、遠く離れたここからでも、磨かれた窓が輝いており眩しいほど。そんな場所をドレスを来た少女や、メイドたちが行き交っている。
あまりにも現実感のないその光景にリリーが瞬きを繰り返していると──、
「ふふ、驚いた?私も初めて来た時はすごくびっくりしたわ」
上品な口調で話すのは、この屋敷のメイド長のソニアさん。肩にかかるか、かからないかくらいの髪は、輝く金色で、透き通るような緑色をした目は大きい。鼻が高く、唇はふっくらと優しげで、スタイルもいい。つまりは美人。その一言に尽きる。そんなことを考えながら、
「はい、こんなの初めて見ました」
と答える。こんな大層な屋敷を見るのは初めて、というかそもそも貴族の屋敷を見るのも初めてだけれど。こんなところへ来れるなんて、夢にも思っていなかった。ふと、夢じゃないかと思い、頬をつねってみると、痛かったし、目も覚めなかった。皆の憧れの大貴族、フォーサイス家の屋敷に今、自分がいるのだと改めて実感する。
「ふふふ、そんなにつねらなくても、これは現実よ。さ、そろそろ行きましょうか」
「はい」
ソニアさんに続いて門をくぐる。形の整えられた木々に両側から迎え入れられながら砂利道を踏み締め、数歩進むとひらけた庭にでた。先ほどまでの砂利道と違い、ふんわりとした草が庭を埋め尽くしている。爽やかな風が吹き、草をそっと撫でて通り抜けた。それに乗って石鹸のような華やかな香りがしてきた。洗濯をしているのかもしれない。
しばらく行くとソニアさんは立ち止まり、
「エイミー?」
と少し大きな声で誰かを呼んだ。すると
「はーい。お呼びですかー?」
と可愛らしいメイドが来た。燃え上がるような瞳は赤く、同じ赤色の髪を二つの三つ編みにしている。タレ目で人懐っこそうな少女はエイミーというらしい。
「エイミー、この子は新しいメイドの──」
軽く背中をたたいて続きを促され、
「リリーです。今日から屋敷につかえさせていただきます」
「私、エイミー。よろしくねー」
「エイミー、今日はリリーに色々教えてあげてね。二人とも仲良くね、ふふ」
「はーい」
「はい」
二人の返事を聞いたソニアさんはにっこり笑うと、軽く手を振りながら去っていった。
「よーし。今日はお仕事色々教えてあげるからねー」
元気よくエイミーが言うが、サボりたいのでそんなに教えてくれなくても大丈夫、なんて言葉は心の奥中の底中の深くにしまって鍵をかけ、
「よろしくお願いします」
と素直に返事をした。
「えっとー、まずはルールとか、そんなのから説明するねー」
「はい」
「あ、タメ口でいいよー」
「はい、じゃなくて、うん。そういえばエイミーってさ、何歳なの?」
私の予想だと、十三、四歳くらいだと思う。エイミーの目はクリクリと大きくて可愛いし、話し方もどこか幼いような気がする。あと、フツーに背が低い。私の四分の三くらい。私もそこそこ背が低い方だから、十五にはなってないと思われる。
「えっとねー、十八歳ー」
「十八歳?!」
思わず聞き返す。十八歳なら私と同い年。もっと若く…というよりは幼く見える。『そこがエイミーの可愛いところです。はい、ここテストでまーす』脳内でそんな先生の音声が再生された。
「じゃあ、同い年だね」
「やったー」
何が嬉しかったのかよくわからないが、とにかくすごく嬉しそうに満面の笑みを浮かべて飛び跳ねるエイミーを見て、
「ふふっ」
つられて笑った。
「んふふー」
とエイミーも嬉しそう。
何だか晴れやかな気持ちで、仕事を頑張ろうと思えた。
※プロローグはリリー、ソニア、エイミーいずれの視点でもないです。まだ登場していない人物の視点です。わかりにくいです。すみません。
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