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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

この画像を4Kで読み込むと……?

作者: 苗奈えな

 くだらない流行だった。

『この画像を4Kで読み込むと……?』

 SNSで流行している“4K画像”系の投稿。イラストや写真が「高解像度で読み込むと隠された内容が見える」というネタで広まっている。大半はしょうもないジョーク画像か卑猥な画像で変化のないものだが、まれに本当に変化する“当たり”があるため、投稿は日々注目を集めていた。

 40代後半のサラリーマンである葛西は、その手のネット文化に馴染めない古風な人間だった。満員電車に揺られながら、スマホ画面に流れてくる投稿を眺めては鼻で笑う。

 ――くだらねえ。

 心の中でそう思いながら、指先だけは惰性でスクロールを続けていた。

 ふと、スクロールしていた指が止まる。

『この画像を4Kで読み込むと……?』

 見慣れたフレーズだったが、その投稿には明らかな異質さがあった。使われている画像が、他とは違うのだ。

 古びた集合写真。色褪せたモノクロのような色調に、ざらついた画質。見たところ、学校のクラス写真のようだった。

 だが、写っている全員の顔が、グレーの四角で塗り潰されている。

 葛西は、喉の奥がざらつくような不快感を覚えながら、それでも目を離せなかった。

 何とも言えない、胸の奥にひっかかるような感覚。写真に、なんだか覚えがある気がしたのだ。

 違和感と既視感がじわじわと胸を満たしていく。思い出せないのに、何かが引っかかって仕方がない。

 家に帰ったら、ちゃんと見てみよう。

 そう思いながら、葛西はその投稿に『いいね』を押して見返せるようにしておく。

 スマホを閉じ、ポケットにしまう。車内アナウンスに導かれるように、葛西は重たい足を引きずって電車を降りた。

 冷えた夜風がホームに流れ込み、襟元をかすめていった。

 

 

 家に帰った葛西は、玄関に靴を蹴り出すように脱ぎ捨て、重い足取りでリビングに向かった。

 灯りをつけると、雑然とした部屋が露わになる。テーブルの上には食べ終えたコンビニ弁当の空き容器、飲みかけの酒の缶がいくつも転がり、床には新聞と脱ぎ捨てられた衣服が落ちていた。

 リビングの壁には、かつての家族写真が歪んだ額縁の中に飾られていた。だが、ガラスはひび割れ、中央に写っていた人物の顔だけが鋭く破かれている。

 葛西は無言でソファに沈み込み、天井を仰いだ。

 数年前に離婚した。妻と息子がいたが、今ではどちらとも音信不通だ。離婚の理由は、世間で言えば、「DV」だったらしい。確かに手を上げたことはある。だが、葛西の中ではそれも“父親としての責任”の一部だった。

 息子が勉強をしなければ叱った。夜ゲームをしていれば叱った。

 妻が、仕事終わりにご飯を用意していなければ叱った。シャツにアイロンをしていなければ叱った。

 言うことを聞かなければ、怒鳴った。手や足を出すこともあった。けれど、それは全て妻や息子を想っての「愛情」のつもりだった。

 自分は正しい。最近の世間が、すぐ体罰だの、やれパワハラだの厳しすぎるのだ。

 レンジで温めた弁当を口に運びながら、葛西は片手でスマホを操作する。特に目的もなく、Xを開いてタイムラインを眺めていた。

 すると、ふいにあのフレーズが目に入る。

『この画像を4Kで読み込むと……?』

 またか、と呆れたように目を細めたが、同時に脳裏に引っかかるものがあった。そういえば、帰り道に「いいね」を押したあの写真があった。

 いいね一覧を開くと、一番上に例の投稿があり目に留まった。

 やはり、不気味さは変わらない。

 葛西は少し躊躇いながらも、画像を長押しし、4K表示に切り替える。

 その瞬間、画面に変化が現れた。

 グレーの四角で隠されていた顔が見えるようになった。だが──おかしい。

 体は前を向いているのに、ほとんどの人物の顔が真後ろを向いている。

 ただ、数人だけが、まるで強引に笑わされたかのような満面の笑顔で、こちらを見つめていた。

「……気持ち悪っ」

 吐き捨てるように呟いた葛西の手が止まる。画面を閉じようとする指先が、なぜか動かない。

 ざわつく胸の内。脳の奥にひっかかる、微かな記憶の残滓。何かを思い出しそうで──だが、それが何なのかだけが、どうしても掴めない。

 ただ、不快感と興味の入り混じったような奇妙な感情が、画面に貼り付けられたままの視線を引き留めていた。

 そのとき、不意にスマホが震える。

 LINEの通知音が静かな部屋に響いた。差出人は「三島」。

 中学時代の友人の名前に、葛西の眉がわずかに動く。ここ数年連絡を取っていなかったはずだが──。

『久しぶり、葛西。聞いたか? 栗原がこの前交通事故で死んだらしいぞ。今度葬式をやるらしいんだけど、一緒に行かないか?』

 栗原。その名前に、記憶がぱちんと火花を散らした。

 中学の頃、よく一緒にバカをやった仲間。悪ふざけも、悪ノリも、今では下手したら犯罪になるようなこともやった。あの時代ならではの空気だった。思い返せばろくなことをしていなかったが、それでも一緒にいた時間は楽しかったし濃かった。

 葛西は少しだけ迷い、『久しぶり。行く。いつだ?』と短く返した。

 返信を送り終え、スマホを静かに置く。

 その画面の裏に、未だ開かれたままの画像が、沈黙のまま佇んでいた。

 

 

 葬式は、静けさに包まれていた。人の数はまばらで、会場全体に漂うのは湿った空気と、記憶よりもかなり年老いた栗原の両親の沈黙だった。棺の前に立った葛西は、しばらく言葉も出なかった。記憶の中の栗原とは違う、あまりにも現実的な“死”がそこにあった。

 式が終わると、会場の外に出た葛西と三島は夕食時だったこともあり、駅前の居酒屋へと向かった。二人きりの個室。最初は近況報告だったが、ビールやハイボールを数杯飲むうちに、空気が緩み、自然と話題は学生時代のことへと移っていった。

 トイレから戻った葛西の目に、テーブルの上に置かれた古い卒業アルバムが映った。

「懐かしいだろ? 持ってきたんだよ」

 三島が卒業アルバムを優しく叩きながら笑う。

「うわ、俺わっっっか!」

 ページを一枚ずつめくるたびに、過去の記憶が鮮やかに立ち上がってくる。ふたりで笑い合いながら見つめたその写真たちには、無邪気で眩しい空気があった。修学旅行や運動会の一幕に写る葛西は、日焼けした肌に生気がみなぎり、今よりも引き締まった体つきをしていた。笑ってピースをする姿からは、過去の自分に対する誇らしさと若さが滲んでいた。

 しばらくして、集合写真のページで葛西の手が止まる。

 ──これだ。

 あのSNSで見た画像と、寸分違わぬ一枚だった。だが、決定的に違うのは、そこに写る皆の“顔”だ。

 全員が、きちんと前を向いている。誰もが自然な表情をしていて、楽しげに笑っている者もいれば、照れくさかったのか無表情の者もいる。そのどれもが、写真を撮られる瞬間の“普通”に見えた。

 あの画像にあったような、顔を後ろにねじ曲げられた異様な人物も、無理やり貼り付けたような笑顔をしている人物も、この写真には存在しなかった。

 葛西はじっとその写真を見つめながら、喉の奥がひりつくような不安を感じていた。あのとき見たものは、いったい何だったのか。自分の記憶のほうが歪んでいるのではないかと錯覚しそうになる。

 ザラついた紙面に指先を這わせながらじっとそれを見ていると、向かい側から声がした。

「どうした? 葛西」

「あ、いや。これ見てくれよ」

 どこか焦るように、葛西はスマホを取り出す。Xを開き、いいね欄をさかのぼる。しかし、あの投稿はどこにもなかった。

「この写真と同じ写真が貼ってあるポストでも見たのか?」

「……あ、ああ! そうなんだ。ていうか、なんで知って――」

「田中っていたよな。途中で学校に来なくなったやつ」

 葛西の言葉をさえぎるように、三島がぽつりと語り出した。声の調子は静かで穏やかだったが、その奥に何か芯のような重さがあった。

 葛西は眉をひそめ、記憶の引き出しを探るように視線を宙に泳がせた。思い出すまでに少しかかったが、確かにその名に覚えがあった。地味で、成績も悪く、何をやらせても不器用で、クラスの中で浮いていた人物だ。

「……あ、ああ。いたな」

 なぜこのタイミングで、急に田中の名前が出てきたのか。葛西は内心で戸惑いつつ、曖昧に頷いた。

 三島は、目を細めて集合写真をじっと見つめたまま、小さく息を吐いた。口元にはかすかに笑みが浮かんでいたが、それは懐かしさではなく、哀しみと怒りの入り混じったもののように見えた。

「田中、俺の幼馴染だったんだ」

 三島の指先が、集合写真の左上にある小さな別枠に収められた一人の少年へと静かに伸びる。Xで見た画像には無かった枠だ。指でなぞられたその顔は、どこか影が差したように暗く、周囲から切り離されたような孤立感を漂わせていた。

「優しいやつでさ。徘徊してたおばあさんを見つけたときなんてな、危ないからって夜までその人の家を一緒に探してた。こっちが呆れるくらい、人のために動くやつだったよ」

 その口調は静かで、思い出を語るようでもあったが、どこか鋭く張り詰めた糸のような緊張感が含まれていた。

 葛西は言葉を失い、ただ黙って耳を傾けるしかなかった。氷がすっかり溶けたハイボールのグラスに目を落としながら、心のどこかがひどくざわついていた。

「……なんでだろうな。なんであんなに優しいやつが不登校になって、人生を棒に振る羽目になったんだろうな。世間ってのは狭いもんでな、“中学でいじめられてたやつ”っていう噂が、どこに行ってもついて回ったらしい。高校はもちろん、バイト先でも浮いていじめられたんだと。そんなだから人付き合いもどんどん苦手になって、就職もうまくいかなくて。結局、ずっと実家に閉じこもったままになっちまった」

 三島の目は写真を見つめたまま、まばたきひとつしなかった。そこに写る過去の影を凝視し続けるその姿は、まるで時間が止まったようだった。

「最後にあいつに会いに行ったとき、泣きながらお前らの名前を呟いてたよ。……なあ、葛西」

 静かに呼ばれた名に、葛西の背筋がぞわりと粟立つ。呼吸が浅くなる。声の温度が、明らかに変わっていた。

「お前、田中になにしたか覚えてるか?」

 その問いは、針のように冷たく鋭く、真っ直ぐに葛西の胸を突き刺す。

「殴ったよな。蹴ったよな。トロいからって、無視して笑って。……ああ、それはまだマシか。窒息寸前になるまで首を絞めたときもあったよな。女子もいるのにみんながいる前で全裸にさせて、クラスの中を歩かせたときもあったか。あ、火がついてるタバコを肛門に突っ込んだときもあったよな」

 記憶の奥から、過去の情景が泡のように浮かんでは弾けていく。葛西は否定しようとしたが、声が出ない。喉が張り付いたように固まり、言葉にならなかった。

 ――あれは……違う……あれは、なにをさせてもダメなあいつへの教育だった。

 しかし、その言葉が口から外に出ることはなく、苦しく、虚しく、心の底へと沈んでいく。

「お前の言いたいことは分かるよ。なにやってもダメなやつだったから、って言うんだろ? お前らは昔からなにも変わっちゃいない。今も、自分が正しいと思ってる」

 三島の言葉が、真っ黒な泥のように胸の中で渦を巻く。

 葛西の視界が、突然ぐにゃりと歪んだ。アルコールのせいか、それとも、何か混ぜられたのか。

 手が震え、まぶたが重たくなる。指先の感覚が鈍くなり、世界が遠ざかっていく。

 ――な、なんだこれ……。

 葛西は、ゆっくりとテーブルに顔を伏せた。沈黙だけが、ふたりの間に残された。

 

 

 テーブルに顔を伏せ、ぴくりとも動かなくなった葛西を、三島はしばらく黙って見下ろしていた。

 薄暗い個室の空気の中に、葛西の荒い呼吸音が消え、静寂だけが残る。

 三島の目には、冷ややかな光が宿っていた。

「……うん。分かってるよ、ヨウちゃん。クラスの皆でしょ? ヨウちゃんをいじめてたやつだけじゃない。見て見ぬふりしてたやつも、黙って笑ってたやつも。皆、ヨウちゃんみたいに不幸にさせないとね」

 三島は、虚ろな目で誰もいない座席の隣に語りかけていた。まるでそこに、誰かが座っているかのように。

 やがてゆっくりと立ち上がると、会計を頼むために呼び鈴を鳴らす。

 戸を開けて入ってきた店員は、テーブルに突っ伏したまま動かない葛西を一目見て、不安げに眉をひそめた。

「お連れさま……大丈夫ですか?」

 三島は振り返り、にこりと笑ってみせた。

「ええ。友人が亡くなったばかりで、ちょっと飲み過ぎただけです。……悲しかったんでしょうね」

 言葉とは裏腹に、その笑顔には温度がなかった。しかし、店員がそれに気づくことはない。

 三島は葛西の腕を肩にまわし、ゆっくりと背負い上げる。ぐったりとした身体は、すでに意識があるとは思えなかった。

 そのまま、何事もなかったかのように店を出ていく。

 それが、葛西という男の最後の目撃情報となった。

 

 

 ある夜、一人の男が、自室のベッドに寝転がりながら、なんとなくスマホをいじっていた。

 隣では妻が静かな寝息を立てており、それを邪魔しないようにと部屋の照明もテレビもつけずにいた。カーテンの隙間から月明かりが薄く差し込み、仄かに光るスマホの画面だけが、男の顔をぼんやりと照らしている。

 外からは車のエンジン音が遠くに聞こえ、壁の向こうでは誰かの笑い声や生活音がわずかに漏れ伝わっていた。だが、それらはまるで水の中にいるかのようにくぐもっており、男の意識には届かない。

 Xのタイムラインには、いつものように他愛もない投稿や意味不明なネタ画像が流れ続けていた。男の親指は何の意識もないまま画面を滑り、感情も思考も伴わないまま、ただ情報の波に漂っていた。

 スクロールする音すら吸い込まれそうな静寂の中、不意に、画面にある言葉が目に留まった。

『この画像を4Kで読み込むと……?』

 またか──と、男は自然に眉根を寄せた。見慣れたテンプレートに飽き飽きしながらも、投稿に添えられた画像には、なぜか目を引かれるものがあった。

「あれ、この画像見たことあるな……?」

 画面に映るのは、顔だけが灰色で塗り潰された、古びた学校の集合写真。ざらついた画質と、褪せた色調が、無機質な不気味さをまとっていた。

 胸の奥がかすかにざわつく。何かが、記憶の底をつついている気がする。

 気づけば男は、その画像をタップしていた。

 画面が切り替わり、表示が4Kモードに変わったその瞬間スマホが震えた。画面の上部には、見覚えのある名前、「三島」と表示されていた。

『久しぶり、相川。葛西がこの前亡くなったらしい。通夜をやるらしいんだが、行かないか?』

 もう四十代後半だ。年齢的に、同級生の訃報が届くのもおかしくはない。寂しさはあるが、それもまた仕方のないことだろう。

 葛西とは、昔はよくつるんでいた。通夜くらいは顔を出そう。

『久しぶり。そうか、葛西が……。行くよ。いつやるのか分かったら教えてくれ』

 そう返信を打ち込み、送信する。

 再びXを開き、あの画像を4Kで読み込む。ほとんどの生徒が首から上だけ後ろを向いているが、一部の生徒だけが満面の笑みを浮かべて前を見ている。

 薄暗く、色彩を失ったような集合写真。どこかで見たような気がするのに、記憶の糸が掴めない。胸の奥がざわつく。

 このときの相川は思い出せなかったが、その中の一人に葛西がいた。

 不自然なほどの満面の笑みを浮かべて、彼は真っ直ぐと相川のことを見つめていた。

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