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月下の死闘

今は亡き親友『ゴメンナサイスト綾重十一』著者 エザキカズヒトに捧ぐ



 月光を受け銀色に煌めくロアフィー湖の水面を一艘の丸木小舟が滑るように走ってゆく。

 淡い光沢に覆われた湖面は夜の暗闇と入り交じってどろりとした粘着感を見る者に与えていた。

 小さな黒い影がそのハコの上で凍り付いたようにじっと息をひそめ、何かを探り出すような真剣な眼差しでどこか一点を見つめながら、時折思い出したようにそっと櫂を水に沈め力強く一掻きする。

 その瞬間、ハコは艫をほんの少し浮きあげさらさらと小さな波を後ろに広げるとゆらゆらと月明かりを湖面に踊らした。

「しゅうー」

 小柄だが引き締まった身体の若者は、身の内に満ち満ちた緊張を和らげようと森の穴蔵に潜む猛獣セルパンの唸りに似た鋭い吐息を絞るように吐き出した。

 まるでギリシア彫刻のように見事な筋肉が盛り上がった彼の右腕には、トウラリの木で作られた頑丈な銛が握りしめられていた。

 しかも肩に掛かったその柄の長さはゆうに3ターリを越える。

 並の重さではない。

 それが左手で櫂を操るときですら微動だにしない。

 彼はまだ少年のあどけなさが残る端正な顔を引き締めて、大きく見開いた瞳を湖面に向け続けていた。

 「クーエ」とクワリの甲高い悲しげな鳴き声がどこからか響いてくる。

 その声は直ぐさまか細く途切れると満月が輝く群青の夜空に吸い込まれていった。  

 タブキがこのロアフィー湖にハコを漕ぎ出してから今夜でもう十日という長い時が過ぎようとし

ていた。

 その間、彼は一度として陸に戻ることはなく、昼はヤンマーの空が赤く夕映えに色づくまでハコの上で眠り、夜ともなればガバスの空が薄青く白み始める頃までトウラリの銛を肩に乗せ差し込むような眼差しを湖面に走らせ続けた。

 タブキという彼の名は古い彼らの言葉で湖と言う意味だった。

 その名の通り彼は湖畔に集落を持つソルカイド(狩猟・漁民)の村に生まれ、絶えずこの湖の恩恵に浴しながら十八になる今日まで生きてきたのだ。

 幼き日々友と遊んだ場所も初めて父と漁に出たのもこのロアフィーだった。

 湖周五十万ターリを越えるこの大きな湖も彼にとってはまるで自分の家のような物だった。

 しかし今、タブキは自らの運命とソルカイドの誇りを懸けこの湖へ闘いにやってきた。

 

 

 そう・・・あの忌まわしき恐怖で身を包んだ化け物がロアフィーに姿を現したのはついほんの一年前の事だった。

 雨期の終わり、いつもならば漁に出れば大漁続きのこの時期にぱたりと網に魚が掛からなくなった。

 時を同じくして湖岸ではいつしか水を飲む家畜のジャキやアクイヤ達の姿が消え、たとえどれほど乾きに苦しめられても湖に近づかなくなった。

 「どうもおかしい・・・」そう古老ばかりではなく村の誰もが不吉な思いを呟くようになった頃、遂に恐れていたことが起こった。

 なんと水辺で遊ぶ集落の子供達が一瞬にして水の中に引きずり込まれたのだ。

 それも三人。

 その時、奴が・・・・・そう、皆に恐怖と絶望をもたらしたあの悪魔、怪物カリヒーが村人達の眼前にその姿をさらしたのだ。

 油膜の如くぬらめき光る青い鱗に包まれたその巨体は軽く10ターリを越え、胴の中程までぱっくりと引き裂かれた顎にはトアレグ剣の如く鋭く尖った牙がずらりと並ぶ。

 我が子を失い悲痛な叫びを上げる母親達の目の前に、のたりと不気味な巨体を揺らし短い四肢で岸に這い上がったカリヒーは、子供達の血で真っ赤に塗れたその喉を震わせごうごうと威嚇の唸りを一声あげると、ふてぶてしくまた湖に潜っていったのだ。

 かつて、もう・・・伝説の一つとして古老によって言い伝えられてきた魔物カリヒー。

 その化け物が再び現実の者として姿を現したのだ。

 翌朝ソルカイドの腕利きの男達は次々と自慢の銛を手にロアフィーへ漕ぎ出していった。

 もちろんあのカリヒーの息の根を止めるために・・・そして彼らの内誰一人として再び村に戻る者はなかった。

 数日後、ただ二、三艘のハコが岸に打ち寄せられただけだった。

 その日を境にソルカイドの村は死んだように活気を失った。     

タブキの父も帰らぬ男達の一人だった。

 彼の父は誰もが尊敬する素晴らしいメーガリ(村長)であり、イスカの国で並ぶ者がないと言われるほどの最高の漁師だった。

 その父が敗れた。

 あの忌まわしきカリヒーによってソルカイドの誇りが粉みじんに打ち砕かれたのだ。

 怒りに身を震わし直ぐさま敵討ちに飛び出そうとする己の気持ちを血が滲むほど強く握りしめた拳に押し込みタブキはぐっと堪えた。

 自分の力ではとてもあのカリヒーを倒せない事をタブキは十分に承知していた。

 しかしそんな彼の鬱屈した思いがある日突然決意へと変わった。

 それは一人の少女との出会いだった。

 

 

  その日もタブキは一人漁師小屋で黙々と銛を磨いていた。

 「久しぶりだな坊主。」

 突然ドンと肩をどやされタブキが驚いて振り返ると、そこには大きな男が一人白い歯を輝かせイスカの強い陽光を背に立っていた。

 「しばらく見ない内にずいぶん立派な男になったなタブキ。」

 「ワレキアおじさん!」

 懐かしいその姿に思わずタブキは笑顔を浮かべた。

「いつ来たんですか。」

 「今さっき着いたばかりだ。元気にしていたか。」

 分厚い手をタブキの肩に置いてワレキアは精悍な笑みを浮かべた。

 「じゃあ、部族のみんなも一緒なんですね。きっと村の人達も喜びます。」

 「そうか・・・そうだな、ここに来るのも二年振りだからな。またお前の村の西に家を張らしてもらうことにするよ。しばらくここで骨休めだ。」

 そう言って懐かしそうにワレキアは目を細めた。

 彼は遊牧の民トアレグ族の村長だった。

 村と言っても彼らは定住の地を持たない。イスカの広大な大地を寝床に数多くの家畜を連れ旅をするのだ。

 そしてまた二年の月日を経て大陸を渡り彼らはソルカイドの村にやってきた。

 「それにしてもこの村は二年でずいぶん変わったな。」

 「ええ・・・それに・・・父はもう・・・。」

 「・・・聞いたよ。本当に残念だ。タブキの父さんと話をするのを楽しみに戻ってきたが、まさか・・・あれほどの男がな・・・。」

 沈み込んだ声でワレキアは俯いた。

 その時彼の大きな体の後ろからすっと人影が現れた。

 「元気出しなさいよ。タブキ。」

 親しげに声を掛けたのは一人の少女だった。

 タブキは一瞬ぽかんと惚けたような顔で彼女を見つめた。

 「もうどうしたのよ、まさか私のこと忘れちゃったんじゃないでしょうね。」

 「も、もしかして・・ラナかい。」

 思わずタブキが言葉に詰まるほどラナは美しかった。いや、美しくなっていた。

 ほんの二年前はまだ無邪気に村の子供達と水遊びをしていたあの少女が今タブキの目の前で見違えるほどに大人びた笑みを口元に浮かべている。

 目の覚めるようなトアレグブルーの衣装に身を纏ったすらりとしたその姿はタブキには眩しくさえ思えた。

 「あんまり綺麗になったんで驚いたでしょ。」

 おどけて舌を出した彼女の可愛らしい仕草はまだあどけなさを残していた。

 「ば、馬鹿言うなよ。久しぶりなんでちょっと顔を忘れてたんだよ。」

 照れ隠しにわざと怒ったように声を張り上げたタブキだったが彼の心臓はドキドキと大きく早鐘を打っていた。

 「はっはっはっはっは。会ったそうそうまた喧嘩を始めるんじゃない。もう二人とも子供じゃないんだからな。ラナ、父さんは村の長老達に挨拶をしてくるから先にみんなの所に戻って母さんの手伝いをするんだ。」

 「でも・・・。」

 「でもじゃない。タブキ、済まないが長老達の所に案内してくれないか。」

 名残惜しそうに漁師小屋を出ていく娘を目で追いながらワレキアは彼を促した。

 

 その日の晩は盛大な祝宴が開かれた。

 この一年ずっと暗く沈み込んでいた村の空気がこの時ばかりは華やいだものに変わった。

 村人達は広場に集まりドゲニャールの木の下で思い思いに車座を組みトアレグの人々との再会を喜びつつ四方山話に花を咲かしている。

 アクイヤを一頭料理して盛り上げた大皿の周りでは子供達がはしゃぎながら走り回っている。

 それを叱りつける母親達の声、酒が入り赤ら顔をした男達のどっと沸き上がる笑い、何もかもがタブキには昔通りの変わらぬ有様に思えた。

 だがここには彼の父はいない、そして何人もの腕自慢でならした男達も・・・。

 酒杯を手にしたワレキアがそんな彼を気遣うように陽気な振る舞いで酒を勧める。

 しかしタブキはどうしても心地良く酔うことが出来なかった。

 この場所からわずか200ターキも離れないロアフィー湖には今この時ですらあのカリヒーがのうのうと潜んでいるのだ。

 あの化け物が湖にいる限りソルカイドの村に未来はない。

 そのことがメーガリ(村長)の息子でもあったタブキの肩に重くのしかかっていた。

 「すまんな・・・タブキ。陸の戦いならば我らトアレグに勝る者などイスカ広しといえどもどこにもおらんと胸を張って言えるが、水の上では・・・・・。」

 残念そうにワラキアはぽつりと呟いた。

 トアレグは戦いの場となればめっぽう強い。

 巨大なアルガーニを見事に乗りこなし長剣を振るう彼らの姿はまさに鬼神の如きである。 それ故にトアレグの傭兵もこのイスカには数多い。

 しかしそれも陸なればこそである。 

 トアレグ戦士のワラキアにとって親友であったタブキの父の敵が討てぬ無念はまさしく断腸の思いであっただろう。

 だが彼は笑いを絶やさずタブキを励ました。

 そんなワラキアの気遣いがタブキにはいたいほど身に浸みた。

 宴も大いに盛り上がり皆に請われるままに長剣を握り美しい舞いを踊るワラキアの大きな影を後にそっと広場を抜け出したタブキは、人気のない夜道を一人足早に歩きいつしか漁師小屋に戻っていた。

 タブキはいつものように銛を磨く。それが彼に残された唯一つの父の形見だった。

 小さな明かりに照らされた精悍な彼のその表情は何かを思い詰めているようだった。

 その時、「ごと」と小さな音をい立て小屋の戸が開いた。

 ふっと顔を上げたタブキの目に写ったものは黒髪を綺麗に束ね、空のように青い衣装にアゲートの首飾りをしたラナの姿だった。

 「びっくりした。タブキのそんな怖い顔、初めて見たわ。」

 「今・・・僕、そんな顔してたか。」

 「ええ、まるで戦いの神ナハサラみたいだったわ。」

 「そうか・・・。」

 タブキは服と同じく目の覚めるようなラナの青い瞳から目を反らし俯いた。

 「ねえタブキ、もう・・・いっそのこと敵を討つことなんて諦めてしまったら。あのカリヒーを倒すなんて死にに行くようなものよ。・・・タブキなら父さんも私たちの部族に迎えていいって・・・・」

 「・・・・・それは出来ない。この村を離れる訳には行かないんだ。僕はソルカイドの誇りを守らなくちゃならない。父さんがそうしたように・・・・・たとえかなわないと分かってたって戦わなくちゃならないんだ。」

 「どうしても・・・。」

 「そう・・・どうしてもだ。」

 絞り出すように答えたタブキの声にラナは悲しそうに目を伏せた。

 「明日、僕はロアフィーに出る。」

 「そっ、そんな・・・」

 鋭く光るタブキの眼差しに動かしがたい決意を感じ取りラナは言葉を詰まらせた。

 「これ以上漁が出来なければこの村はお終いだ。村を離れて他の土地に流れて行く者もずいぶん増えた。僕は・・・僕は消えてしまうソルカイドの村を見たくはない。」

 「それで・・・それで死ぬのを承知で戦いに行くというのね。・・・駄目よ。そんなの駄目。私、ずっと昔からこの村が好きだったわ。それに・・・・。」

 ラナは息を詰まらせ黙り込んだ。

 それでもタブキは無言のまま銛を磨いている。

 何か自分の思いを込めるようにじりじりと皮を押し当て鉄の刃先を研ぎ澄まして行く。

 「もう・・・どうしようもないのね。」

 タブキは小さく頷いた。

 「分かったわ。最期に・・・最期に私の話を聞いてくれる。」

 ラナの真剣な声にタブキは思わず手を止めた。

 「ずっと昔・・・まだ私がうんと小さな子供だった頃、マラブー(呪術師)のお婆さんからカリヒーの伝説を聞いた事があるの。お婆さんは勇敢なソルカイドの若者がずっと昔に怪物カリヒーを倒したって話してくれたわ。・・・その時若者は月の力を借りて戦ったって、月の輝きが眩い晩にはカリヒーは目が見えなくなのよ、そしてその目を聖なる銀の銛で貫いて若者はカリヒーを滅ぼしたそうよ。満月の夜ならば・・・そう満月の夜ならばきっと・・・・・。」

 「ラナ・・・ありがとう。」

 「だってまだタブキに私の新しく覚えた踊りを見てもらってないもの。だからお願い・・・必ず・・・必ず帰って来て。」

 かすれるような声でラナは小さく呟くとじっとタブキの瞳を見つめた。

 開け放たれた扉を潜り小屋の中に吹き込んだ柔らかな夜風が無言のまま見つめ合う二人の影をそっと揺らめかせた。

 その夜タブキは日の出を待たずにロアフィー湖に一人静かに漕ぎ出した。



 タブキは再び鋭い呼気を吐き出して逸る心を押し沈めた。

 雲一つ無い夜空にはムーサの目のように金色に輝く真円の月が無数の星々従え冷たい光を放っている。

 昼はカリヒーの入り込めない芦原にハコを潜ませ、月が上がると湖面に漕ぎ出す。

 しかしそんな日々も今晩で決着が付く。

 月の光が増すに従いゆうゆうと湖面にのさばるカリヒーの動きが鈍くなる様をタブキは静かに息をひそめ身を隠しつつその目でしっかりと見据えていた。

 そして遂に時は来た。

 見上げればそこに満月がある。

 タブキは耳を澄まし目を凝らしほんの僅かな水の揺らぎさえものがさまいと、鋭く研ぎ澄ました全神経を湖面に向けた。

 あの化け物が身をひそめる闇はもうどこにもない。

 そして聖なる月の光が奴の自由を奪っているのだ。

 タブキを乗せた小さなハコがゆっくりと向きを変えた。

 その時何か・・・そう、このロアフィーで育ち、誇り高きソルカイドの血を引く者にしか感じることの出来ない何かを彼は感じたのだ。

 自らの内に秘めた渾身の力を銀色に輝く銛の穂先に託し、見事なまでに気配を消したタブキは大きく見開りいたその瞳でかすかな湖面の揺らぎを見つけだした。

 奴だ。

 その時、磨き上げた鏡面のように光り輝く湖面にふわり何かが浮かび上がった。

 それは紛れもなくあのカリヒーの鋭く凶々しい背鰭だった。

 もしタブキの乗った小さなハコがその背鰭に突き立つ鋭い棘の一本にでもふれようものなら一瞬にして船は彼もろとも引き裂かれてしまうだろう。

 しかしタブキは不思議と恐怖は感じなかった。

 ただ息を止めた彼の脳裏にはふっとラナの着ていた衣装の目の覚めるようなあの青色が浮かんで消えた。

 白々と舞い降りる月光の中、光る湖面に浮き上がったタブキの影はまるで時の狭間に飾られた一枚の絵のようだった。

 月の力に縛られたカリヒーはそれでも何かを感じてかその巨体を緩やかにゆくらして遂に狂気の姿を水面に現した。

 その瞬間、必殺の気合いを込めた鋭い銛がタブキの逞しい腕を離れ夜の空気を切り裂き飛んだ。

 「だあー!」

 全ての力を振り絞るタブキの叫びが取り巻く静寂を打ち破り辺りを振るわせる。

 「ドスッ!」

 鈍い音と共にタブキの手から放たれた銛が見事カリヒーに打ち込まれた。

 耳をつんざく化け物のすさましい唸りがタブキを叩きつける。

 「やった!」

 思わず声を上げたタブキの身体がいきなり宙に舞った。

 その真下で今まで彼の乗っていたハコが粉みじんに打ち砕かれる。

 タブキが渾身の力を振り絞りカリヒーの弱点、あの深紅に染まった目玉めがけて突き立てたはずの銛がなんと奴の眉間に打ち込まれていた。

 カリヒーが浮き上がるその僅かな水の揺らめきが、僅かではあったが銛を打つタブキの手元を狂わしてしまったのだ。

 「しまった!」

 もんどり打って激しく湖面に叩きつけられたタブキは、悔しげに水を叩きつけた。

 そんな彼の姿をまるであざけ笑うように軽く首を一閃した怪物は突き立った銛を天高く跳ね上げると、怒りにその身を悶えさせ、まがまがしいまでに巨大な顎をがっと開きタブキに迫る。

 「ラナ!ごめん」

 自らを飲み込む死の影に思わず目を閉じたタブキは押さえようのない恐怖にぐっとその身を振るわせた。

 「もう駄目だ」そう呻いた彼の脳裏に一筋の銀光が迸った。

 はっと面を上げた彼の目にその時信じられない光景が飛び込んできた。

 今まさにタブキの身体を噛み砕こうと鋭い牙を剥き迫り来るカリヒーがガクンと身を仰け反らせるとまるで何かに操られるように動きを止めた。

 その瞬間狂気に血塗られ深紅に輝くカリヒーの目玉に吸い込まれるように光の矢が突き立ったのだ。

 それはなんと怪物の一閃で易々と天高く跳ね上げられたあの銛だった。

 まさしく天の奇跡に息をのむタブキの目の前で、深々と目玉を刺し抜かれた化け物はごうごうと不気味な断末魔の唸りをあげ、あっと言う間に引きずり込まれるように湖底深くへと沈んでいった。

 惚けたように呆然と水面に浮かぶタブキの姿を月は何事もなかったかのように冷たく照らし出し、辺りは再び静寂に包まれてた。

 ハコの残骸に身を任せ、天を見上げたタブキはほっと大きなため息を付いて静かに目を閉じた。



 どこからかひたひたと打ち寄せる波の音が聞こえてくる。

 そして楽しげに遊ぶ子供達のざわめき。

 タブキは初めてハコに乗りロアフィーに漕ぎ出た日のことをまざまざと思い浮かべていた。

 巧みに櫂を操る大きな父の背が無性に頼もしく思えタブキはやたらに声を上げてはしゃいでいた。

 そうだ・・・あの時初めて父の銛を持たしてもらったんだ・・・。

 ずしりと重い質感はその次の日も手の内にはっきり残っていた・・・・。

 辺りが白くなる・・・どんどん白くなってもう耐えられないほど眩しく・・・。

 混濁していた意識がふっと解放されると、タブキは薄ぼんやりと目を開いた。

 途端にかっと差し込む強い陽光が全てを金色に染め上げる。

 「おお、やっと気が付いたか・・・。タブキ、今日はずいぶんと寝坊だな。」

 「ワレキアおじさん・・・。」

 ようやくはっきりと姿を現した景色の中で真っ白い歯を輝かせ満面の笑みを浮かべたワレキアがそっと彼の身体を抱き起こした。

 意識を失い湖面を漂ううちいつしかタブキは湖岸に打ち寄せられていたのだ。

 「良くやった。」

 ワレキアは大きく頷いてタブキの肩を優しく叩いた。

 「僕は・・・・・。」

 そう呟いて辺りを見回すと全ての村人が心配そうな表情を浮かべ彼を取り巻いている。

 タブキが彼らを見回しぎこちなく笑みを浮かべると、ようやく皆はほっとした様に頷いた。

 「タブキ・・・・・お前は見事に村を救ったんじゃ。あのカリヒーを倒したんじゃぞ。これで父の敵が討てたのう。」

 長老のしわがれた声を聞いてタブキはようやく昨晩の死闘を思い出した。

 だがタブキには、不思議とあの怪物との戦いがまるで夢の中の出来事のようで何故か遠い昔のことの様に思えてしかたなかった。

 その時彼の目に美しいブルーの光が瞬いた。

 村人をかき分け横たわるタブキに覆い被さるようにしがみついいたラナはまるで子供のような泣き笑いの表情を浮かべていた。

 美しい彼女の黒髪を優しくそっと撫でタブキは静かに頷いた。





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