【1】崩壊してゆく世界
「工場裏の宇宙ネコ」の前のお話です。
天井の明かりが消え、重苦しい地鳴りが遠くから聞こえ出すと、やがて地面の下を何かが這っていくかの様な不快感の振動がやって来る。
不快な振動は、地面から柱に、そして屋根へと伝わり天井へとずるずると上がって行った。
窓からさし込んだ月明かりに照らされ、不安そうな顔で天井の方をみあげる宇宙ネコのココロの様子が見える。
そんなココロをボクは愛しく抱きしめた。
この異様な音が聞こえはじめてから、もう一ヶ月程になる。
ラジオ放送によると、世界的に起こっている異常現象で、イレギュラーな地殻変動による磁力の乱れが原因らしい。
しかし、火山活動の予兆などは見られないそうだ。
この重い音と不快感な振動は、地面の下を通過するといつもすぐにおさまる。
まぁ・・今日もやがて明かりが点くだろう。
ボクは窓を大きく開け、大きな青白い月がよく見える窓越しに座ると、青く美しい六弦を奏でた。
月明かりに照らされると、青い六弦とココロはうっすらと輝いて見えてどことなく幻想的に思えた。
ずっとずっとこのまま一緒に居れたら…、いや、何があろうとも一緒に居るとボクは不安をかき消す様に願った。
この異常現象の、不快な振動と音の広がり方は、まるで何者かがこの星の隅々まで念入りに調べているかの様に思えた。
それはボク達が捜し物をする時の動きによく似ている。
ボクはこの現象が自然現象とは思えなかったが、やはり同じ様に感じている人も多いらしく、調査の要望が多いそうだ。
しかし、自然界の事象について調査している国の機関に問い合わしてみても、まだ確かな事は全く解っていないらしい。
過去の自然現象には全く見られない不思議な現象なのだ。
調査の要望が多いため、とうとうボクに調査依頼がやって来た。
そして同時に、一人の人物を紹介された。
その人物とは、あらゆる好奇心の塊の変人だそうだ。
だが、その人物の今の興味の対象はまさにこの奇怪な現象なのだそうだ。
ボクはとにかくその人物を訪ねてみた。
こういう人間は、他人との交流を好まないかと思ったが、全くその様な事はなく歓迎された。
その人物のいる研究施設は、山中の高い塀に囲まれた中にあり、明らかに世界から隔離されている。
その塀の高さからまるで、脱獄不可能な刑務所を思わせたが、この施設の場合は重要な機密情報を扱う可能性がある為だろう。
この施設の人々は外界に滅多に出ることもなくよく平気だとも思うが、好きな研究に没頭出来るからだろうか、生き生きとした表情でよく会話しているのを見かけた。
ボクが紹介された人物は、この施設の代表責任者を任されている「三角楽」と言う名の博士だった。
ボクは三角博士と待ち合わせをしている部屋に入った。
三角博士はボクを見ると、少し前にかがんだ姿勢からひょいと片足を膝の高さまで開いて上げると、両手を左右に軽く開いてポーズをつけた。
戸惑ったボクに彼はこう言った。
「このポーズはどうだね?
理論上だが、最小の労力で最高の効率を得ることの出来る究極の形だよ
後一言、ポーズをとった時に言うフレーズがあれば完成だ」
そう言うと、三角博士は黒板に何かの計算式を書き出した。
それが三角楽との最初の出会いだった。
謎の現象を調べているはずの、三角博士は意外にもとても楽観的に見えた。
彼を見る限りボクも気楽でいていいのかとも思うけど、原因が解らないままではそうはいかないんだろうな。
ボクは三角博士に定期的に起こる現象について訊ねた。
すると、三角博士は考え事をする仕草をしてからこう言った。
「くじ引きって絶対ハズレってあるよね?」
「?・・ありますね」
「誰がクジを引いたのか知らないけどね、我々はどうやらくじ引きにハズレちゃったんだよ」
「えっと、謎の現象とくじ引きに関係があるんでしょうか?」
三角博士は黒板にまたカツカツと計算式を書いた。
謎の現象を調べているはずの、三角楽は意外に楽観的に見えた。
彼を見る限りボクも気楽でいていいのかとも思うけど、原因が解らないままではそうはいかないんだろうな。
「その式は?」
「この式の答えは50%だ、つまりコイン投げと同じ確率って事だな」
「クジはコイン投げですか‥
ボク達がハズレを引いたって事は、当たった人もいるんでしょうね」
「お、いいね!キミは冴えてるじゃないか!
うん、当たった者は‥いるよ」
「‥‥」
困惑したボクの顔を見て、三角博士はニヤリとした。
「その顔、何故わかるか聞きたそうだね」
「ボクも物事や憶測を考える事に関しては得意な方なのですが、これはさっぱりわかりません」
「いや、多分キミが思ってる程は難しい事じゃないんだ
そうだ、キミもワシも咽がかわいたな?
じゃぁ紅茶を入れようかね」
三角博士はフラスコに水を入れ、それをアルコールランプの上の台にのせ、まるで科学の実験をするかの様に紅茶の準備をした。
「キミ、ちょっとこれを見ててごらん?」
三角博士はじきに沸騰しはじめた湯に棒状の温度計を刺しボクに見せた。
温度計のゲージは徐々に上がり、やがて止まった。
「90℃辺りを指してますね‥あれ?」
水の沸点は100℃だった様な。
「もちろん、この温度計はおかしくはないよ?」
まさか、くじ引きでハズレた事で、水の沸点が90℃になったのだろうか?
「あの、何となく分かるような分からないような感じはしてるのですが
もう少し簡単に話していただけませんか?」
三角博士はアルコールランプの火を消してからフラスコに紅茶の葉を入れると、砂時計を脇に置いた。
「ワシは紅茶を入れる為に毎回お湯の温度を測ってるんだけどね、
段々と沸騰する温度が下がってきてるんだ
おかげで少し湯を冷ます必要がなくなったよ」
「温度が下がってる・・?
それはどういう事なんでしょうか?」
「例えば、この施設は国から予算をもらって維持出来てるのは知ってるよね?」
「えぇ、それはわかります」
「もし、予算がなくなったらその内維持出来なくなっちゃうよね」
三角博士は紅茶をビーカーに注ぎ、ボクに差し出しながらそう言った。
「そうで‥す‥えっ?あちっ」
ボクがある事に気がついたとたんに、三角博士は真顔になり
「その動揺、どうやら分かった様だね?」
三角博士は紅茶をずずっとすすってふーっと息をついた。
この世界はコイン投げでハズレを引いてしまった。
あの振動が起こるたびに、水の沸点が下がっているのだそうだ。
しかし、それよりもっと深刻な事が分かっているらしい。
それは、この世界そのものが破綻の一途を辿っている事だった。
それが本当だとしたら、この先ボク達はどうなってしまうのだろう。
だが驚いた事に、三角博士はこの事態を解決出来る方法を既に導き出していると言う。
「え!?
そんな方法があるんですか?」
「うむ、じゃなかったら、ここに居るみんながあんな顔してる訳ないからね」
そりゃそうか、ボクに話せる位の事ならここの人達が知らない訳ないよな。
そこかしこに施設の研究者が見られたが、その顔にはいささかも悲観さは見られなかった。
「なるほど、その方法を今やろうとしてるんですか?」
「その通り、既に実験も成功したんだよ」
三角博士の顔がボクに迫ったので、半歩たじろいだ。
「えぇ!?そうだったんですか!」
―― この世界は…
「まだ実験の奴あるんだけど、見る?」
「ぜひ!」
―― 何とかなりそうかもしれない!
三角博士に連れていかれた場所は、敷地内に建てられた大きな工場の様に見える実験場の中にあるそうだ。
その実験場には、身の丈以上の太さの巨大なパイプが大量に束ねられて繋がれており、そのパイプの束の周辺には立ち入り禁止の標識の付いた金網が張られていた。
「三角博士、このパイプは?」
「あぁ、発電所から電気を引いてるんだよ
結構電磁波が出てるからあんまり近づかない方がいいよ」
「電気ですか…
そういえば少し暑いですね」
パイプの方向から熱気が放たれて、ボクの顔を火照らせた。
これだけのパイプの太さで供給される電力って、一体どれほどのものなのだろう。
ボク達は工場の中に入っていった。
工場内には中央に巨大な穴が掘られており、その周りをぐるっと少し色の付いた分厚いガラスで囲んでいる。
「真ん中の穴の中が実験現場だよ
今も稼働中だからこれ以上は近付けなくてすまんね」
思った以上に大規模な実験場だった。
こんなインフラまでが提供されているこの施設は、確かにただの研究所ではないとわかる。
もしかすると、国家規模‥はては世界規模の施設なのかもしれない。
「これは…」
「この実験はね
簡単に言うと2つの物質をすっごく加速させて正面衝突させるものなんだよ
その為の消費電力はあの通り国家規模になってしまうのだが…」
「2つの物をぶつける・・ですか」
やはり全く理解出来ない、ぶつけると一体何が起こるのだろう。
「この地下にはトンネルが掘ってあってね
直径5キロメートル位の円になってるんだけど
2つの物質はそこをお互い逆方向にビュンビュン飛んで回ってゆくんだ」
この下にそんな巨大なトンネルが掘られているとは…
「ぶつかると何が起こるんですか?」
「ぶつかると凄いエネルギーが放出されるんだよ
そして、ある条件を満たしてあげると…」
「と?」
三角博士はもったいぶる様に少し貯めてから口を開いた
「…ゲートが開くんだよ」
「…ゲート?」
「我々のいるこの世界はね、複数の次元で形成されていて
いまだその存在は確認はされていないのだが、余剰次元が多数ある可能性が高確率であると考えられているんだ」
三角博士は本の山を指差して言った
「その次元同士は厚さ0.1ミリ程度の膜みたいなもんで隔たれていてね
その幕は唯一重力のみ行き来出来るんだ」
「はぁ…」
「その中にコイン投げに勝った次元が存在するはずなのだが
恐らくこの世界とかなり近い次元にあるだろう」
「それも仮説ですか?」
ボクは三角博士の仮説を信じられなかった。
「ふむ…?
その顔は信じられないって顔だね?」
「すみません…
余りに専門的で…0.1ミリの膜とか余剰次元とかどういう事なのか」
「じゃあね
特別に厚さ0.1ミリ隔てた先の別の次元を見せてあげようかね」
三角博士はボクを映写室に案内した。
映写室にはたくさんの椅子が列になって並んでいた。
「用意するから適当に座ってね」
言われるままにボクは近くの椅子に腰掛けた。
三角博士は暗幕を閉じ、映写機に何かのフィルムをセットして始動させると照明を落とした。
映写機はカタカタと音を上げ、やがて映像を映しはじめると三角博士もボクの隣に座った。
「これが今回の関係者一同だよ」
その映像には実験に携わったらしき人達が並んでいて、三角博士はその中央に立っていた。
場面が変わり、三角博士が工場内部の説明をする映像になった。
音声がない代わりに、フィルムの下には文字が表示されている。
説明の意味はよくわからないけど、凄い実験なのは雰囲気と規模で何となくわかった。
実験は、電子ブレインと呼ばれる機械を1080台使ってサポートすると言う。
電子ブレインって聞いたことない名前だな。
三角博士の話によると、電子ブレインは電子計算機の様なもので、その1つだけでも軍などが使う大型の電子計算機よりもはるかに高性能らしい。
1080台の電子ブレインは中央のコントローラに接続されていて、実験を先読みで予測して問題がない様に常に補正していくのだそうだ。
長い説明が一通り終わり、ようやく実験が開始された。
カメラの映像も中央の大穴の内部に入って行った。
この大穴の深さはなんと100メートル以上あり、内部へはエレベータを使って降りる。
やがてカメラの映像は最深部に到着した。
最深部はドームの様にになっていて、その広さは地上部分と同じくらいある様だ。
操作板の巨大なレバーやスイッチ類が操作されると、ランプが点滅を開始した。
1回の点滅はトンネル内部の物質が1回転した印なのだそうだ。
そのうちランプが点灯しっぱなしになり、今度は大きなメーターの針が動きだした。
かなり久々になってしまいました。
地味にメモ書きを続けてたのですが、溜まってきたので一度公開します。