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◇厄介な婚約者候補

 


「はあ―――………」



 盛大なため息が、その口から長々と発せられる。

 エレフィス様は窓辺に腰掛け、どこか遠くを見つめていた。


 俺は扉に背を向けて立ち、どこか陰を背負う主の姿を見て心を痛める。



 無理もない。彼女が城に滞在を始めてから二日が過ぎたが、こう言ってはなんだが…ひっつき虫のようにエレフィス様に付きまとっていたからだ。


 どこから嗅ぎつけているのか、ルイーゼ嬢はエレフィス様の行く先々に現れた。

 そしてキツイ香水を纏わせ、隙あらば身体を寄せてくる。それを回避しようとするエレフィス様の動きは俊敏だが、目をギラつかせたルイーゼ嬢には敵わなかった。


 そして示し合わせたように、ルイーゼ嬢の祖父である宰相がその場に居合わせるのだ。

 国の重鎮である宰相がいる手前、彼女を邪険に扱うことはエレフィス様には出来なかった。



 よって、城内にいるエレフィス様の側には、決まってルイーゼ嬢の姿があった。

 それを見た他国の婚約者候補たちから、常に冷ややかな視線が送られていることに、ルイーゼ嬢は気付いていない。


 それでも、彼女がエレフィス様の婚約者に一番近い人物だ―――などと思われることは無かった。


 エレフィス様はシェリル王女を含めた他国の婚約者候補たちと、個別に会う時間を設けていたからだ。

 そこで毎回ルイーゼ嬢に関する質問攻めに合い、その度にエレフィス様は詫びと共に説明した。



 ―――『選抜試験は、公正な判断の元で行われます。最も優秀な女性が、私の将来の伴侶として選ばれるのです』



 その言葉に皆納得し、ならば試験を頑張ろうと意気込んでいた。



「……エレフィス様、今日はなるべく執務室で出来る公務にしましょう。明日は試験が始まりますし、なるべく心を落ち着けた方がいいと思います」



 俺の言葉に、エレフィス様は窓の外から視線を外す。そして驚くことに笑ったのだった。



「そんなに素敵な笑顔を俺に向けるなんて…末期ですか?」


「おい。……別にお前に向けたわけじゃない。外に、癒やしの花が見えた」


「癒やしの……」



 ああ、とピンときた。今のエレフィス様を癒やせる花のような存在なんて、あの方しかいない。



「そうですか。それは良かったです。存分にそこから癒やしを堪能して下さい」


「……ゼレン。お前はもう、気付いているんだな?」


「何のことでしょう?」


「今まで、知らないフリをしてくれていてありがとう。俺は、彼女を……シェリル様を、婚約者に望んでいる」



 そう言ったエレフィス様の表情は、とても真剣だった。強い意志が宿る瞳を見て、俺はその場で跪く。



「……心の内を打ち明けて下さり、光栄です。ならば俺は、貴方様の為に全力を尽くしましょう」



 ははっ、と可笑しそうにエレフィス様が笑った。久しぶりに見た、年相応の無邪気な笑顔だ。



「本当に、ゼレンの忠誠は重いな。そこが信頼できる」


「……重くはありません。当然です」


「そう不服そうにするな、褒めている。だが、今回はお前の尽力は必要ない」



 何故、と問うより先に、エレフィス様がニヤリと口元で弧を描く。

 窓から差し込む光が、その金髪を輝かせた。



「惚れた女性を射止めるのは、俺自身の力が望ましいからだ。そしてまた、彼女の力を信じることも必要だ」


「エレフィス様……」


「そんな潤んだ瞳を俺に向けても需要はないぞ。さて、今日も個別の挨拶に向かうかな」


「かしこまりました。……まずは、癒やしの花のお方からですね?では庭へ向かいましょう」


「ごほん、………そうする」



 恥ずかしそうに咳払いしたエレフィス様に笑いながら、扉を開けた。

 俺の癒やしの花もそこにいるはずだ―――そう思いながら。






「あら、エレフィス様?」



 中庭に着いてすぐ、シェリル王女が俺たちに気付いて目を丸くした。

 どうやらお茶を嗜んでいたらしく、優雅な仕草でカップを置くと立ち上がる。



「よろしければ、テノルツェ国産の紅茶はいかがですか?とても香りが良いのです」


「突然押しかけてすみません。……ありがたくご一緒させていただきます」



 ふわりと微笑んだシェリル王女は、俺から見てもとても可愛らしい。王族としての所作も綺麗で、例の令嬢(ルイーゼ嬢)には見習ってもらいたいところだ。


 向かい合うように腰掛けたエレフィス様の少し後ろで控えながら、俺は周囲に視線を巡らせ、そこにいると思っていた姿が見当たらないことに疑問を抱く。



 シェリル王女付きの侍女であるリーチェが、いない。

 代わりにお茶の準備をしている侍女が一人と、後ろに護衛が一人。


 どうしているのか訊ねたくても、俺と彼女がこっそりとやり取りしていることは、お互いの主は知らない為、口を閉じているしかない。



 直接言葉を交わせなくても、一目でもいいから姿を見たかった―――なんて、女々しいことを考える自分に笑いそうになった。



 侍女が入れた紅茶を、シェリル王女が飲み、続いてエレフィス様がゆっくりと口へ運ぶ。

 そのあとすぐに味の感想を述べてから、躊躇いがちにシェリル王女の名を呼んだ。



「……シェリル様。何か気がかりなことでもありますか?」


「えっ?」


「どこか瞳が憂えている気がしまして。……いつもの侍女がいないようですが、関係が?」


「……まあ。どうしてお分かりに…?」



 エレフィス様の言葉に驚いたのは、シェリル王女だけではなかった。まさかエレフィス様が、王女の侍女を……リーチェを、覚えていたとは。

 いや、もしかしたらシェリル王女の侍女だからこそかもしれない。


 言い当てられたシェリル王女は、困ったように視線を彷徨わせる。



「……実はエレフィス様、その通りなのです。私の侍女が、少し前に部屋に訪ねて来た方の対応をしているのですが、その…」



 そこでシェリル王女は口ごもり、エレフィス様を見た。この先を言おうか迷っているようだった。



「シェリル様を訪ねたのは、この城の者ですか?」


「いえ…」


「では、他の……婚約者候補ですか?」


「………はい」



 エレフィス様の鋭い指摘に、シェリル王女は覚悟を決めたのか頷いた。その口が開かれる前に、誰のことなのか想像がついてしまう。



「ルイーゼ様です」



 ああ、やはり。そう思ったのはエレフィス様も同じようで、肩で息を吐き出したのが分かった。



「ルイーゼ嬢が……それは、今回が初めてなのですか?」


「はい。突然お一人で訪ねて来て、その……少し、ルイーゼ様が発した言葉が、私の侍女の気に障ったようで……私を逃がすように、侍女だけがルイーゼ様の対応で部屋に残ったのです」


「……そうですか」



 背中越しにでも、エレフィス様の表情は悔しげに歪んでいるだろうということが分かった。

 ルイーゼ嬢の訪問理由が、他の候補者と友好を深めるためだとか、そんな優しい理由ならこちらも苦労はしないのに。


 リーチェの気に障るということは、シェリル様に対して不敬な言葉でも言ったのだろうか。本当に頭の痛くなる存在だ。



「何とか気持ちを落ち着けようと、お茶をしていたのですが、気になっ……、リーチェ!?」



 シェリル様が金切り声を上げ、両手で口元を押さえる。見開かれた目がエレフィス様の後ろにいる俺よりさらに後方に向けられていて、慌てて振り返った。



「ただいま戻りました、シェリル様。……エレフィス殿下もいらっしゃったのですね」



 ご歓談中失礼致しました、と礼を取るリーチェの所作は、綺麗なものだ。

 けれど、正直それどころじゃない。



「……っ、どうしたんですか、それは!」



 思わず、声を張り上げてリーチェに駆け寄った。まさか俺から話しかけられると思っていなかったのか、リーチェがぱちくりと瞬きを繰り返す。



「ええと…」



 細くて白い手が、そこにあるものを隠すように頬に添えられた。

 それでも隠しきれないほど、右頬が赤く腫れている。栗色の髪はいつものように纏め上げられていたが、所々解れて飛び出していた。



「ゼ……、騎士様にお伝えするようなことは何も…」


「何もなかったとは言わせませんよ。シェリル王女殿下から、誰と話していたのかは聞いています」


「そ、うですか……。で、では、話し終えたあと、こちらへ向かう途中で、その……こ、コケてぶつけました」


「………」



 痛々しげな頬を庇うリーチェの手に、俺は知らずのうちに自分の手を添えていた。

 彼女は目をきょろきょろさせながら、何とも下手くそな言い訳を口にする。



 嘘をつくのは、ルイーゼ嬢を庇う為じゃなく、シェリル王女を庇う為のものだと分かる。

 試験前日に、内容がどうであれいざこざを起こしたと噂が広まれば、両陛下の心象に影響するだろう。

 例えそこに関わったのが、王女本人ではなく侍女だとしても。


 だが、ここでリーチェが何事もなく振る舞ったところで、あの令嬢が黙っているとは限らないのだ。



 ギリ、と唇を噛みしめると、リーチェの瞳が気遣うように俺に向けられる。そこで、後ろから声を掛けられた。



「ゼレン、一度下がれ。シェリル様が心配している」



 エレフィス様の言葉で、反射的に後ろへ下がる。シェリル王女が駆け寄ってきて、リーチェの背中へそっと手を当てた。



「リーチェ。ごめんなさい……大丈夫?」


「はい。シェリル様が謝る必要など、どこにもありませんよ」



 微かに震えるシェリル王女に、ふわりと優しく微笑んだリーチェは、とても良くできた侍女だ。

 俺が振り返ると、エレフィス様が神妙な面持ちで頷く。



「……侍女どの。事を荒立てたくない気持ちは分かるが……私がここにいる以上、見て見ぬふりは出来ない。詳しく話して欲しい」



 エレフィス様をじっと見つめたリーチェは、シェリル様にちらりと視線を向けてから、「かしこまりました」と頭を下げた。




 ―――そして、翌日の試験開始日。

 俺の嫌な予感が、見事的中してしまうのだった。



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