◇手紙のやりとり
「最近機嫌が良いが、何かあったのか?」
何故かニヤついているエレフィス様にそう問いかけられたのは、ガーデンパーティーから十日ほど経った、ある日の昼下がりだった。
片手で頬杖をつき、もう片手はペンをくるくると回している。山積みの書類を横目に見ながら、俺は素知らぬフリをした。
「特に何もございませんが、機嫌良く見えるのですか?」
「ほう、しらを切るか。お前は機嫌が良いと、口元に笑みを浮かべたままだし、俺への小言が目に見えて減る」
エレフィス様は得意げにそう言うと、目の前の書類にサラサラとペンを走らせた。思いがけない指摘に俺は眉をひそめると、知らずのうちに緩んでいたらしい口元をキュッと引き締める。
「そうですか。お小言をお望みでしたら、喜んでお贈りしますよ」
「そんなことで誤魔化されないぞ。とある筋から、ガーデンパーティーの翌日に城下街でゼレンが綺麗な女性と会っていた、と報告が上がっているからな」
「……ほう。とある筋ですか」
「おい、急に冷ややかな目つきになるのはやめろ。部屋の温度が下がるっ」
「氷点下まで下げましょうか?」
満面の笑みを向けると、エレフィス様が身震いした。
……やれやれ。城下街で俺の姿を見たのは、恐らく非番の騎士だろう。知り合いの目に止まらないよう、すぐに移動するようにしていたんだが…
そこで思い出すのは、シェリル王女の侍女、リーチェ・ライノルドの姿。
待ち合わせに現れた彼女は、印象がガラリと変わっていた。
ガーデンパーティーの時にきっちりと隙なく纏められていた栗色の髪は下ろされており、耳上は編み込まれ、それ以外は背中で風に揺れていた。
紺色の上品なドレスは、シェリル王女のお忍び用のものだと言っていたが、リーチェにとても良く似合っていた。
侍女として洗練された佇まいも相まって、どこのご令嬢が近付いて来たのかと思ったほど。
そのあと告げた褒め言葉は本音から出たものだったが、本人には冗談が何かに捉えられていた気がする。
本気にしてもらえず少し面白くなかったが、そのあと褒め返してくれた為、満更でもない気分になったのは我ながら呆れた。
……なんて思い返していると、エレフィス様の咳払いが響く。
「それで?」
「……それで、とは?」
「まだはぐらかすつもりか?その女性に関して訊いたところでお前は答えないだろうから、俺はそのデートが上手くいったのか知りたいんだ」
まぁ、上手くいったからそんなにずっと機嫌がいいんだろうけど―――と続けられ、何と答えたものかと眉を寄せた。
リーチェに関してあれこれ訊かれないのはありがたいが、デートという名の会合は、お互いの主の色恋に関する話。
こっそりと俺達が会っていることは絶対にエレフィス様とシェリル王女には話さないと決めたし、当たり前ながらお互いが好意を抱いていることも、わざわざ他人の俺達から告げたりはしない。
最も、リーチェはシェリル王女から直接気持ちを聞いたわけではないらしく、俺もまた、エレフィス様から聞いたわけではない。
お互い、長年仕えている主の態度から気持ちを読み取っただけだ。
「……まぁ、彼女の人となりは知ることができました。話し合いも上手くいきましたし」
「……話し合い?デートで?」
「嫌ですね殿下。そんなに他人のデートが気になるお年頃ですか?」
先程のお返しにニヤリと笑ってみせると、途端にエレフィス様の顔が真っ赤に染まる。
そして慌てたように書類に手を戻した。
「う、上手くいっているならいいんだ。前に恋したことがないと言っていただろう?ついにゼレンに相手が、と思ったら嬉しくてな」
「……嬉しい、ですか?」
「俺が小さいときから仕えてくれている、兄のような存在のお前の幸せを…願ったっていいだろう?」
書類にペンを走らせたまま、緑色の瞳が優しく細められた。
……ああ、このひとは。
いつも俺が喜ぶことを、サラリと言ってのけるのだ。
だからこそ、このひとを護る盾となることを心に誓った。
「俺も、エレフィス様の幸せを心から願っていますよ」
◇◇◇
それからひっそりと観察を続けていると、エレフィス様とシェリル王女の手紙のやり取りは続いているようだった。
時に嬉しそうに、時に悩みながら手紙を書くエレフィス様を見るのは楽しい。恋とは、これほど人の感情に影響を与えるのだと知った。
そして俺も、あの日からずっとリーチェと手紙のやり取りを続けている。
最初はお互いの主の話ばかりだったが、自然と自分たちの話も綴るようになっていた。
顔が見えないからこその油断か、エレフィス様にすら話してない過去の話も書いてしまい、送ってから後悔したこともある。それでも彼女からの返信には、いつも俺を称える言葉があった。
―――『ゼレン様は、本当に心からエレフィス殿下を敬愛していらっしゃるのですね。とても素晴らしいと思います』
つい先程届いた手紙の最後には、綺麗な字でそう綴られていた。
その字を指でなぞりながら、自然と口角が上がる。それはリーチェ、君にも言えることだ、と思いながら。
とにかく、彼女はシェリル王女を女神のように崇めていた。
容姿を褒め、性格を褒め、自身が仕え始めた幼い頃からずっと、シェリル王女の存在こそが生きる意味なのだと。
俺が言うのも何だが、その重すぎるほどの敬愛に、ふと疑問に思ったことを以前手紙に書いたことがあった。
『お付き合いされている方は、妬いたりしないのですか?』と。そしてその返信の字は、少し乱れてこう書かれてた。
『そのような方は、現在おりません。以前、私のシェリル王女への忠誠心が一因となって、手酷く振られたことはありますが』
その一文を読んで、馬鹿なことを訊いたと思った。同時に、そんな男は別れて正解だとも。
素晴らしい主に仕える幸せを、俺は知っている。……俺なら、分かってあげられるのに。
リーチェからの手紙は、自室の机の鍵のついた引き出しに全て入れていた。
その手紙の量が増えるごとに、俺の中の彼女に対する感情が変わっていくことには、なんとなく気付いていた。
「………直接、話をしたいな」
ポツリと口から出た言葉に、慌てて周囲を確認する。自室の為、もちろん誰もいないのだが、俺はホッとして額に手を当てた。
書き終えた手紙の横にある、もう一つの分厚い封筒に目を遣る。
それは、三ヶ月後に控える、エレフィス様の婚約者候補の選別―――つまり、将来の王妃の選抜試験の案内状だ。
以前から、婚約者候補たちにはいずれ選抜試験があることは知らせていた。今回実施を確定するに至ったのは、エレフィス様が国王陛下に進言した為だった。
それはつまり、エレフィス様は婚約者を決める覚悟をしたということ。
だが、必ずしも本人が望む人物が選ばれるとは限らない。
……それでも俺は、エレフィス様を陰ながら全力で支えるのみ。
ひと息吐き出すと、二通の封筒を持って席を立った。
◇◇◇
月日は流れ、あっという間に選抜試験の三日前となった。
日中は汗ばむ季節となったが、城内はまだ比較的過ごしやすい。そんな中、慌ただしく動き回る侍女や使用人、騎士たちの額には汗が滲んでいる。
エレフィス様の婚約者候補、六名。
その候補者たちが自国の従者を連れ、続々と城へやって来ていた。
選抜試験は一日目に知識・教養、マナー等の試験に始まり、二日目にエレフィス様との対話、そして国王と王妃の面談で終わる。
三日目に最終的な婚約者の発表をする予定だ。
最低でも、アルテシア国に七日は滞在することになるため、多くの荷物が運び込まれている最中だった。
試験日三日前に来るようお願いしたのは、それぞれの部屋を過ごしやすいよう整えることと、城内の雰囲気に慣れてもらうことが目的である。
「ついに、か…」
婚約者候補たちを出迎える為、城のエントランスホールに立つエレフィス様が、小さく呟いた。
俺は一歩後ろに控えていた為、その表情は見えない。けれど、身体が緊張で強張っているのが分かった。
そんな主の背中をどうにか勇気づけようと口を開きかけたところで、甲高い声が響く。
「まあ、エレフィス様!わざわざわたくしを出迎えに来て下さったのね!」
「……やぁ、ルイーゼ嬢」
ごてごての動きづらそうなドレスに身を包み、やたらと装飾品を身に着けた一人の令嬢が嬉しそうに近付いてきた。
薄茶の髪はくるくると巻かれており、同じ色の瞳がギラギラと輝いている。
エレフィス様は固い声で彼女の名を呼び、俺は思わず眉をひそめてしまった。
ルイーゼ・ツェラー。
つい二ヶ月程前に急遽ねじ込まれた、唯一のこの国からの婚約者候補。
他の五名は他国の王女である中、彼女はアルテシア国の宰相の孫娘という心許ない地位なのだが、なかなか図々し……いや、強かな心を持っていた。
「うふふ、わたくし、選抜試験の日をとても楽しみに待っていたのですよ」
「そうですか。まずは滞在する部屋へ衛兵がご案内するので、ゆっくり休んでください」
「ええ。部屋を整えたら、わたくしとお話する時間はとっていただけるのかしら?」
笑顔で追い払おうとしたエレフィス様の言葉は失敗に終わったようで、ルイーゼ嬢の腕がするりとエレフィス様の腕に伸びる。
護衛として、咄嗟に腰の剣に手を掛けた。ビクッと体を震わせたエレフィス様の腕に、ルイーゼ嬢が自身の身体を押し付けるように絡まる。
そして、無情にも。
「―――テノルツェ国王女、シェリル様のご到着です」
ホールに響き渡る衛兵の声と共に、扉がゆっくりと開く。
その先に、目を見開くシェリル王女と―――軽蔑の眼差しを浮かべた、リーチェの姿があった。