◇王太子エレフィスと護衛騎士ゼレン
「……なあ、ゼレン。恋をしたことはあるか?」
僅かに緊張を含んだ声音でそう問われ、ゆっくりと振り返る。
日の光を浴びて輝く金髪に、意思の強さを宿す緑の瞳。十五の少年にしてはまだ幼さが残る美しい顔立ちに、線は細いが鍛えているのが分かる身体。
エレフィス・アルテシア。
俺が護衛騎士としてお仕えしている、この国の未来を担う王太子殿下。
―――ああ、今日もエレフィス様は世界で一番輝いている。
俺は誇らしげな気持ちで、手に取っていた本をパタリと閉じた。
「……親愛なるエレフィス様へ、嘘偽りなくお答え致します」
「ああ」
「俺は恋というものが、よく分かりません」
「……つまり、恋をしたことが無い、ということだな?」
真剣な眼差しを向けるエレフィス様に、真顔で頷く。と、何故か大きなため息をつかれた。
「そのようなキリッとした顔で言われても…ゼレン、確か歳は二十六だったよな?」
「はい」
「俺より十年以上長く生きていて、心を奪われる女性に出逢わなかったのか?」
そう言って不思議そうに眉をひそめるエレフィス様は、自室で俺と会話をする時だけ、一人称が「私」ではなく「俺」になる。
ちなみに、俺も同じだ。このエレフィス様の部屋が、護衛騎士である俺との身分差の壁を少しだけ薄くしてくれる。
そんな特別感を今日もしみじみと堪能しながら、エレフィス様の問いに頷いた。
「エレフィス様より心を奪われる女性の存在など、俺の人生に一度も現れませんでした」
「待て。変な誤解を招きそうな回答は頼むからやめてくれ」
頭を抱え出したエレフィス様に、ああでもそういえば、と思い出したように付け加える。
「お付き合いした女性なら、何人かいましたよ」
「何?そうなのか?」
「はい。好きだの付き合って欲しいだの頼み込まれて、面倒くさくて了承したら、やっぱり面倒くさくなって関係は自然消滅しましたが」
「……そうなのか…」
おや。綺麗な緑の瞳が、とても憐れんでいるように細められてしまった。
でもこの際、俺の恋愛事情なんかどうでもいい。
重要なのは、何故突然、エレフィス様が色恋に関する問いを投げたのかということのみ。
ちら、と壁掛け時計に視線を向ける。もうすぐこの部屋には、侍女がお茶の準備にやってくる。
今はエレフィス様と俺しかいないが、このまま根掘り葉掘り訊いてしまうと、間違いなく途中で話が途切れてしまう。
……それに、エレフィス様も多感なお年頃だ。恋をしたことがあるか、なんてボヤッとした質問をするんだから、核心に迫る話はあまりしたがらないかもしれない。
「心を奪われるまではいきませんが、綺麗だな、と思ったりした女性はいましたよ」
「……へぇ。誰だ?」
「名前は知りません。他国の女性で、通りすがっただけですから」
他国、の部分でエレフィス様の眉がピクリと動いた。そこを見逃さず、俺は思考を巡らせる。
エレフィス様の婚約者候補は、現時点で他国に数名おり、お茶会等で何度かお会いした方もいれば、その逆の方もいる。
急にこのような質問をするということは、最近接点のあった候補者様に関係しているのか?
全然関係のない女性の可能性もあるが、この国を背負う覚悟のあるエレフィス様なら、きっと国王陛下が選んだ婚約者候補としっかり向き合おうとしているはず。
……確か、最近接点があったのは…。
「……テノルツェ国の女性ですよ、エレフィス様」
少し微笑みながらそう言うと、エレフィス様の眉がまた少しピクリと反応した。
すぐに何でもないように「そうか、とても気になるな」なんて言いながら表情を取り繕うなんて流石だ。
でも、物心ついた頃からお仕えしているこの俺を、そう簡単に騙せるわけないですよ、殿下。
「そうですね。俺もまた……お会いしたいです」
―――俺が会いたいのは、貴方の気になるお相手ですけどね。