◆監禁と脱出
―――ああ、やられたわ。
両手を縄で縛られていることに気付き、私は冷たい床に横たわったままそう思った。
どうやら、薬品で眠らされていたらしい。まだ頭がぼんやりとするけれど、視界は良好だ。
すぐ近くにシェリル様が横たわっている。胸が上下しているので、同じように眠らされているだけのようだ。
「……シェリル様、シェリル様聞こえますか?」
床を這いながら、ずるずるとシェリル様の元へ近付く。
私の呼びかけに、長いまつ毛がゆっくりと持ち上がった。しばらくとろんとしていた瞳が、パッと見開かれる。
「……リーチェ!?」
「シェリル様。良かった……シェリル様はどこも縛られていませんね」
「縛られ……?まあ、リーチェ!」
シェリル様が私の手足を見て悲鳴を上げた。
すぐに起き上がり、縄を解こうとしてくれるも、結び目は固いようだ。
「シェリル様、手が傷ついてしまいますのでお止め下さい」
「何を言っているの!私なんかよりリーチェの方が傷ついているでしょう!」
「私はこれくらい平気ですよ。シェリル様はこのあと、両陛下との面談がありますので…」
そこまで言ってから、ピタリと手を止めたシェリル様と顔を見合わせた。
―――私たちがこうなってしまってから、どのくらいの時間が経ったのだろう。
「ここは……どこかの物置かしら?やけに涼しいわね」
周囲に視線を巡らせてから、シェリル様がぶるりと身体を震わせた。確かに、外は汗ばむ陽気だというのに、ここは随分と肌寒く感じる。
「シェリル様、すみませんが私の体を起こすのを手伝っていただけますか?」
「もちろんよ。……縄を解けなくてごめんなさい」
申し訳無さそうなシェリル様に手伝ってもらい、私は体を起こすと周囲を見渡した。
確かに乱雑に物が置かれていて、物置に見える。でも他の部屋にあるはずのものが無い。
「窓……」
「え?」
「窓がありません」
シェリル様がそれに気付き、顔を曇らせる。
壁のランプに明かりが灯っているが、それでも少し心許ない。
外の様子が見えない為、今が何時なのか分からなかった。さすがに夜になるまで探されずに、放置されているとは考えたくないけれど。
「ここは……地下なのかしら」
「その可能性が高いですね。シェリル様、一応扉が開くか試してみていただいても?」
こんな状況でも、スッと優雅に立ち上がったシェリル様は、この部屋で唯一の扉へ向かった。
「……駄目ね。開かないわ」
「そうですか……助けが来るまで待つしか無さそうですね」
「ええ、そうしましょう。……きっと、もう婚約者にはなれないわね」
独り言のように、シェリル様が呟いた。俯いていた為、表情は見えなかったけれど、心が痛む。
両陛下との面談の時間は、もうとっくに過ぎているだろう。
面談に無断欠席したとなれば…その場で婚約者候補から外されても仕方がない。
きっと、私たちをここに閉じ込めた人物も、それを狙っていたはずだ。
それが誰だが明確なだけに、余計に腹が立つ。
「まだ諦めないで下さい、シェリル様」
「リーチェ……でも…」
「でも、は禁止です。あんな女にシェリル様が負けるなんてこと、あってはいけません」
「あんな女って……ふふ、口が悪いわよ」
「いいんですよ、ここにはシェリル様と私しかいませんから」
くすくすとシェリル様が笑う。希望を失いかけていたその瞳に、またゆらりと炎が燃えたように見えた。
「そうね。私たちがこんなことになったのは、あの女……ルイーゼ様のせいよね?」
「ええ、間違いないでしょう。思えば、突然時間変更と言って騎士が迎えに来たのも、不審に思うべきでした」
エレフィス様との和やかな時間を、ルイーゼ様の乱入で壊されたあと、部屋で昼食を終えると護衛から伝えられたのだ。
『今しがた、両陛下の遣いの騎士が来ました。面談の時間が早まったと言っております』
聞けば、面談が予定より早く進んでいるとのことだった。事前に騎士が迎えに来ることは伝えられていたし、見たところアルテシア国の騎士の服に身を包んでいた為、信じてしまった。
その騎士が、アルテシア国民であるルイーゼ様の護衛騎士だと気付けなかったのだ。
まんまと罠に嵌ってしまったシェリル様と私は、騎士に連れられて廊下を歩いていた。
そして、だんだんと人気が無くなってきた所で、私は不審に思った。
―――両陛下がいるはずの謁見の間へ向かっているはずなのに、衛兵がいないのはどうして?
後ろを確認しようとしたところで、急に背後から口を塞がれた。先導していた騎士に、シェリル様が同じように口を塞がれているを視界に捉え、薄れゆく意識の中で、私はポケットに手を伸ばしていた。
そして意識を取り戻したら、この有り様だ。
「ルイーゼ様は、こんなことをしてどうなるか考えなかったのかしら…」
「恐らく、そこまで考えていないでしょうね」
前に私が忠告したことを、綺麗サッパリ聞き流したに違いない。
このままシェリル様を蹴落としたとして、ルイーゼ様は自分が何の咎めも無しに婚約者になれると、本気で思っているのだろうか。
「他国でここまで内部のゴタゴタに巻き込まれるとは、思ってもいませんでした」
「そうねぇ……お父様がどう出るか心配だわ。エレフィス様との婚約を望んで下さってはいたのだけれど」
陛下は、シェリル様をそれはもう溺愛している。
大事な娘が他国の城内で監禁のような目に遭ったと知ったら、国政を放り投げて駆けつけて来るかもしれない。
「この国の国王陛下が、この事態をどう受け止めるかによりますよね。……シェリル様は、どうなることをお望みですか?」
私がじっと見つめると、シェリル様は眉を下げて微笑んだ。
「それがねリーチェ、私……困ってるの」
「どうされました?」
「こんな目に遭っているのに、ずっと頭に浮かんでいるのはエレフィス様の笑顔なのよ。私はどうしようもなく、あの方に惹かれているみたいなの」
今にも泣き出してしまいそうな、そんな顔でシェリル様は続けた。
「ルイーゼ様には、相応の罰を望むわ。私だってさすがに怒るし、リーチェに対してしたことはもっと許せないもの。……でも、エレフィス様には罪の意識を持って欲しくないの。私はあの方の婚約者に……妻に、なりたいのよ」
シェリル様の、望む道。
それがハッキリしているなら、私が出来ることはただ一つ。
全力で、シェリル様を支えることだ。
「分かりました、シェリル様。見つけてもらうのをただ待つだけじゃなく、ここから出られる方法を考えましょう」
「そうね。見つけてもらえるかも分からないし…」
「それは大丈夫だと思います。……きっと、ゼレン様が見つけてくれます」
私がそう言うと、シェリル様が「あら」と口元に手を添えた。
「リーチェが、殿方をそこまで信頼しているなんて……ゼレン様に嫉妬してしまうわ」
「安心して下さいシェリル様。私の全幅の愛と信頼は、シェリル様に捧げていますので」
「……それは少しゼレン様が可哀想よ。そして、私には重すぎる愛だわリーチェ」
シェリル様と顔を合わせて笑い合う。早く、エレフィス殿下の隣で幸せそうに笑うシェリル様が見たい。
「シェリル様、立ち上がりたいのですが…」
「ええ、任せて」
「ありがとうございます。そのまま、扉の方まで支えていただけますか」
足首が縛られているので、ぴょんぴょんと飛びながら移動する。扉に耳を付けてみたけれど、外の音は何も聞こえなかった。
「この扉の外に、地上へ続く階段があるのかしら?」
「そうだと思います。そこまでの距離が分かりませんし、声が届くかどうか……よし、シェリル様。少し離れていて下さい」
シェリル様は不思議そうに扉から離れると、首を傾げた。私も少し距離を取る。
「何をするつもりなの?」
「扉を壊します」
「そう、扉を―――…え!?」
シェリル様の驚きの声は、私が扉に思い切り体当たりをした音で掻き消された。
ダァン、と大きな音と共に、肩に痛みが走る。
「リーチェ!止めなさい!!」
制止の声を無視して、もう一度。メキッという音が聞こえ、肩で息を吐く。
「見て下さいシェリル様、この扉、鍵の部品が脆くなっています。あと数回体当たりすれば壊れますよ」
「それなら、私もやるわ」
「何を仰っているのですか。そんなことさせられません」
「いいえ、やるわ。私はもう、リーチェだけに痛い思いをさせるのは嫌よ」
ギラリと瞳が燃えている。これはもう、私が何を言っても聞かない時のシェリル様だ。
二人でやれば、すぐ壊れるかもしれない。でも、大事な大事なテノルツェ国の王女様の身体に、傷なんて…。
私が葛藤しているのが分かったのか、シェリル様が両手で私の頬を優しく包み、口を開く。
「リーチェ。例え私が怪我をしたって、決して貴女のせいにはさせないわ。……それにね、私はリーチェを生涯手放すつもりはないの」
ごめんなさいね、と茶目っ気たっぷりにシェリル様が笑った。
……もう、ずるい。こんな時に、嬉しい言葉をくれるなんて。
「……分かりました。三つ数えたら、ありったけの力で体当たりしましょう」
「頑張るわ」
互いに頷いてから、カウントする。
「いち、に、さん!!」
鍵が外れ、扉が勢い良く開いた。
成功したと喜ぶより先に、その勢いのままシェリル様と共に床へ倒れ込む。
それと同時に、バタバタと足音が近付いてきた。
「―――シェリル様!!」
「リーチェ!!」
光が差し込む階段から、二人の陰が降りてくる。
顔だけ上げて姿を確認した私は、心の底から安堵した。
―――ああ、やっぱりゼレン様が見つけてくれた。
先頭を駆け下りてきたエレフィス殿下は、よろりと立ち上がったシェリル様を素早く支えてくれる。
「シェリル様!どこかお怪我は…!」
「平気です。私よりリーチェをお願いします、エレフィス様。私は……私は、両陛下の元へ向かいたいのです」
懇願するようにそう言ったシェリル様に、エレフィス殿下は目を見張っていた。
そしてすぐに頷くと、その場でシェリル様を横向きに抱き上げた。……お姫様抱っこだ。
「きゃあ!?」
「失礼します、シェリル様。どうかこのま向かわせて下さい。……リーチェ」
驚くことに、エレフィス殿下が私の名前を呼んだ。
ゼレン様が私を起き上がらせてくれている最中で、咄嗟に返事が出来ずに見上げていると、殿下は美しい笑みを浮かべる。
「君がシェリル様の侍女で良かったと、心から思う。私では頼りないかもしれないが、どうかこの後は任せて欲しい」
「……もちろんです、エレフィス殿下」
私はシェリル様に仕えた頃から、決めていたのだ。
その足で自ら迎えに来た王子様の手を、お姫様が取ることを望んだなら。
……私は、ずっと見守ってきた背中を、そっと押してあげるのだと。
「シェリル様を、よろしくお願い致します」
エレフィス殿下の腕の中で、シェリル様が潤んだ瞳を私に向けていた。私までつられて視界が滲む。
「私が護ると、約束しよう。……ゼレン、先に戻る。あとは頼んだ」
「はい。行ってらっしゃいませ」
階段を上って行く王子様とお姫様の姿を見送ってから、私の手足の縄を短剣を使って解いてくれているゼレン様を見た。
「……ゼレン様」
ああ、思ったより声が震えた。
ゼレン様がゆっくりと、灰色の瞳を持ち上げる。
―――次の言葉を口にするよりも先に、私の体は優しく抱きしめられていた。




