◆王女シェリルと侍女リーチェ
「……ねえ、リーチェ。恋をしたことはあるかしら?」
可愛らしい唇から紡がれた、少し震えた声に視線を上げる。
ふんわりと揺れる長い銀髪に、潤んだ薄紅の大きな瞳。陶器のような艶のある肌。
可愛らしい桃色を基調としたドレスに身を包まれた、まるでお人形のような可憐な少女。
シェリル・テノルツェ。
私が侍女としてお仕えしている、この国の大事な大事な王女様。
―――ああ、今日もシェリル様は世界で一番可愛らしい。
私は誇らしげな気持ちで、手元で注いでいた紅茶のカップを静かに差し出した。
「シェリル様、いつもの紅茶でございます。……それと、先程の質問の答えですが…」
「ええ。それで?」
ずいっ、と身を乗り出すシェリル様の目は、真剣そのものだった。眉間に少し皺を寄せている姿も可愛いなぁなんて思いながら、私はふふっと微笑む。
「恋をしたことは、ありません」
「………えっ?」
「ありませんよ」
「……………一度も?」
信じられない、とばかりに瞬きを繰り返しているシェリル様に、「ええ、一度も」と答えながら笑って頷く。
二十二年も生きている間に、恋をしたことが一度もない私は、シェリル様にとっては珍しい存在らしい。ちなみに、シェリル様は色恋に関心のある十四歳である。
何度か交際をしたことはある。でも、相手に対する気持ちが恋だとは思えなかった。
何だか義務で付き合っていたような気がする。
扉の側に控えている他の侍女や護衛騎士は、少し目を丸くして私をちらちらと見ていた。
「……そう。リーチェに訊けば答えが見つかるかもしれないと思ったのだけど…」
シェリル様は小さく呟くようにそう言うと、ふわりと微笑んで私を見た。
「変なことを訊いたわね、リーチェ。忘れてちょうだい」
「かしこまりました」
恭しくお辞儀をしながら、私は内心焦っていた。
―――あああ、シェリル様に気を遣わせてしまった。私に訊けば答えが見つかるかもなんて、期待していただいたのに、バカバカ!
脳内で自分に回し蹴りを食らわせながら、何事もなかったかのように優雅に紅茶を飲み始めたシェリル様をこっそりと見つめた。
シェリル様が何故、『恋をしたことはあるか』なんて問いを口にしたか。
それはきっと、シェリル様自身に色恋に関わるような何かがあったということだと思う。……と、言うことは。
「そういえばシェリル様。この間の生誕祭…とても素晴らしかったですね」
「……え、ええ。そうね」
ピクッと動いた肩に、少し泳いだ薄紅の瞳。これは間違いなく動揺している。
ついこの間、シェリル様の十四歳を迎えた生誕祭が、大々的に城内と城下街で開催された。
そこにはたくさんの貴族たちが訪れ、その中にはシェリル様の婚約者候補である、他国の王子殿下たちが数人いたのだ。
そのうちの誰か……はたまた婚約者候補にもなっていないどこかの貴族の令息が関係しているのかしら。
うーん、直接探りを入れたいところだけれど……この場には他の侍女や護衛もいるし、あまりシェリル様のお心に踏み込むのも良くないわよね。
「あの日のシェリル様は、それはもう女神のようでした。光り輝く銀の髪に、添えられた色鮮やかな花…動くたびにふわりと舞うドレス……」
「リ、リーチェ?」
「……あら、申し訳ございません。シェリル様のあまりに美しいお姿を思い出してしまって、つい」
つらつらとシェリル様への賛辞が私の口から飛び出したことで、戸惑いがちに名前を呼ばれ、口元にそっと手を添える。
ふふっと笑って誤魔化したあと、窓際で部屋を彩る花々が生けられた花瓶が目に入った。
生誕祭で一部屋が埋まるほどの贈り物が届けられていたけれど、確かそのうちの一つの花束だったはず。
シェリル様に似合うように選ばれたであろう可憐な花束に、私よりシェリル様に似合う花が分かっていそうだわ、と思わず嫉妬したのを覚えていた。
「それにしても、あの花束は本当に素晴らしいですね。確か、アルテシア国の……」
そこで私が口を噤んだのは、シェリル様の肩がまた僅かに反応を示したからだ。
けれどきっと、それは私以外の他の誰も気づかないような、ほんの些細なもの。
「―――ええ。とても綺麗でしょう?気に入ったから私の部屋に飾ってみたの」
「では、出来るだけ長く楽しめるよう、お世話させていただきますね」
「ありがとう、リーチェ」
花が咲くようにふわりと笑顔を浮かべたシェリル様に、私も笑顔を返す。
―――お任せください、シェリル様。
私が貴女様の恋を、全力で応援させていただきます。