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くちづけの花嫁  作者: しきみ彰
《上》
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壱章-⑥ 双子の妹、救(さら)われる

 琴乃が目を覚ましたのは、昼過ぎだった。

 目を開けて、見たことがない天井にまず驚き、障子から入ってくる光にハッとする。


「おそう、じっ」


 今まで一度だって寝過ごしたことなどないのに、何故今日はこんなことになっているのだろう。そしてどうして、寝過ごしたのに女中頭は殴りも蹴りもしないのだろう。

 そう思って布団を蹴り飛ばしてから、ここが巴家ではないことに気づいた。

 あたふたと慌てて飛ばしてしまった布団に謝ってから、琴乃はせっせとたたむ。それを端に寄せたところで、外から声をかけられた。


『おはようございます、琴乃様。入室しても構いませんか?』

「は、はい」


 広い部屋の真ん中で正座をして待ち構えていると、やってきたのは秋穂だった。秋穂は一礼してから入ってくると同時に、ずらずらと狐面の人たちが入ってきて秋穂と同じように礼をする。

 その人数に呆気に取られていると、彼らは長方形で平たい桐の箱を大量に運び込んでくる。


 そんなふうにせっせと荷物を運ぶ使用人たちを背景に、秋穂は琴乃の前で正座をすると深々と頭を下げた。


「おはようございます、琴乃様。昨日はよくお眠りになられたでしょうか?」

「は、はい。申し訳ありません、その、すっかり寝過ごしてしまったようで……」


 仕舞いどころがない手鏡を膝の上に乗せつつ、琴乃は深々と頭を下げる。すると慌てた様子の秋穂が「お気になさらないでください」と声をかけてきた。


「琴乃様は栄様の華嫁様ですから、そのようなこと気になさらずとも良いのですよ」

「あ、ありがとうございます。……あの、〝はなよめ〟というのは一体……」


 いけないことをしたはずなのに殴られも蹴られも罵倒もないことに、なんとなく違和感を覚えつつ、一番大切なことを聞こうと質問をする。

 すると秋穂は「お食事の後に詳しいお話をいたします」と言って琴乃を外に誘った。


「お食事前にまず、湯浴みをさせていただきます。その後お召し物を着替えてから、お食事にさせていただきますね」

「ゆ、湯浴み、ですか。こんな時間に、そんな高価なもの……」


 そう言い繕ったが、そのまま風呂場に案内されてあれよあれよという間に脱がされてしまう。そして一緒に入ってきた秋穂に、頭のてっぺんから指先まで念入りに洗われてしまった。

 そうして部屋に戻れば、先ほどまで桐の箱に入っていたであろう着物やら帯やらが一面に広げられている。


 秋穂を含めた使用人たちがああでもないこうでもないと着物を琴乃の体にあてがい、帯を合わせ、帯揚げと帯締めの色を選んでいったら、あっという間に着替えさせられてしまった。

 着替えたのは、藤の花が咲き誇る美しい振袖だった。白地に濃さの違う紫の藤が垂れ下がり、その間を蝶が行き交う美しい柄行きだ。帯もそれに合わせて選ばれている。

 髪も梳られ香油を塗られて、同じく藤の花の簪で留められて。生まれて初めて化粧もした。

 そうして姿見の前に立った琴乃は、目の前にいるのが一瞬誰か分からなくなった。


(ゆみ、の……?)


 同じ顔の、双子の姉。

 彼女が目の前にいるのかと錯覚する。


 しかし自信がなさげに視線を落としているところや痩せているところ、顔色が良くないところはまごうことなく琴乃だった。なので少しだけ安心する。

 秋穂たち使用人はそこまで終わると満足そうにして、琴乃の出来栄えを口々に褒めていた。


「これで、御禊は終わりましたね」

「……御禊、ですか?」

「はい、そうですよ。いらっしゃられた華嫁様は皆様、湯浴みで体を清めてから、こちらで用意したお着物に着替えていただくのです。神族血統の方の間で伝わるしきたりですね」

「そうでしたか……」

「はい。ただ琴乃様はいらっしゃったお時間が遅かったので、翌日改めて、という形になってしまいましたが……」


 にこりと笑みを浮かべながら、秋穂は言う。


「こちらのお着物は全て、栄様がお選びになられたのですよ。その中でも、藤の花は絶対に似合うからとおっしゃられていましたが……本当に良くお似合いですね」

「……ありがとう、ございます」

「ご安心くださいませ。琴乃様は華嫁様ですから、これから先必ず幸せになりますよ」


 そう言いながら、秋穂は琴乃が大切にしている手鏡を襟元に入れてくれる。

 琴乃の表情がこわばっていたのを何か別の意味として捉え、緊張をほぐす意味でそう言ってくれたのだと思う。しかし琴乃は、曖昧に笑みを浮かべることしかできなかった。なんと言えばいいのか分からなかったのだ。


(私が、幸せに、なる?)


 この世で一番あり得ない言葉を聞いた気がした。

 実感が湧かない。これから先一生幸せになどなれないはずなのに、幸せになれるのだろうか。

 肝心の笑顔も、今まで笑ってこなかったこともあり上手くいかない。だからぺこりと頭を下げることで、感謝の気持ちを伝えた。


 そのまま秋穂に連れられて、琴乃は座敷に連れてこられた。座敷は広く、何十人が座ったとしてもまだ余裕がありそうなくらい広く長く続いている。

 その上座付近には既に栄が座っていて、昨日と同じ着流しを着てあぐらをかいている。彼は琴乃が現れると、顔をぱあっと明るくした。


「おはよう、琴乃。よく眠れた?」

「は、はい。申し訳ございません、このような時間になってしまい……」

「いいんだよ。さ、昼食を運んでもらうから、座って」


 そう促され、琴乃も用意されていた座布団の上で腰を下ろす。そうしたら使用人たちが素早く、昼食の支度をして去っていった。

 食事は、白飯にわかめと豆腐の味噌汁、海老と山菜の天ぷら、筍の煮物、蕗のおひたしだった。旬の食材がふんだんに使われており、もちろんどれもできたてで温かい。

 初めて食べるであろう温かい食事に、琴乃はどうしたらいいのか分からなくなった。


(私が食べても、良いのかしら……)


 ちらりと栄のほうを窺ってみたが、彼は食前の挨拶を琴乃と一緒に済ませた後、ごはんを食べ始めてしまう。それにならう形で、彼女も食事を口に運んだ。

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