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くちづけの花嫁  作者: しきみ彰
《上》
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壱章-⑤ 双子の妹、救(さら)われる

 帝都全体には大きな結界が張られていて妖物の類いを跳ね除けてくれるからと言って、夜が深くなればなるほど妖物と出会う確率は高くなる。こんな時間に出歩ける人間などそう多くない。


 それなのに〝栄〟は焦った様子もなく、人がいない道を悠々と歩いていった。


 そうして琴乃が連れて来られたのは、巴家など比ではないくらい立派な建物を構えた屋敷だった。夜なのに灯りがついていて、全貌が分かる。


 母屋が二階建ての木造建築で、離れに洋館を構えていることは同じなのだが、まず離れの数が違う。一つ一つの建物も大きくて、しかし外から見たときの敷地面積と違っていて首を傾げた。

 そんな琴乃の様子が伝わったのだろう。〝栄〟はこともなさげに言う。


「ああ、帝都はそんなに広くないからね。高位の華族は大抵、空間を歪めて領域を広くするよ」

「すごい、です……」

「そう? 屋敷の良し悪しは大きさでも広さじゃないから、そこは別になぁ」


 そう言いつつ、彼は母家に入っていく。すると、玄関で数人の使用人が待ち構えていた。


『おかえりなさいませ、旦那様』


 びくりと、琴乃は一瞬肩を震わせた。使用人たちが、皆一様に狐のお面をかぶっていたからだ。そんな彼らに頭を下げられて、内心困惑してしまう。


 だがこんな時間にもかかわらず主人の帰宅を待ち、綺麗に整列して同じ角度で頭を下げるその姿を見てほう、と息をついてしまう。巴家の使用人たちと違って、洗練された美しさがあったからだ。この美しさの前では、狐面など大したことはないのかもしれない。


「うん、ただいま」


 そして肝心の主人は特に気にした様子もなく、使用人の一人に持っていた太刀を渡してから琴乃を抱えたまま中へ入っていく。それを見た琴乃はやはり、狐面は大した問題ではないのだと悟る。


 そうやって琴乃が考えている間にも、〝栄〟は長く広々とした内廊下を歩き、いくつもの部屋を横切ってからとある襖に手をかけた。


 そこは居間、だろうか。床は板張りで、テーブルと椅子がおいてある。内装はとても簡素だが、置いてある調度品の品が良い。洋和室、といった雰囲気だった。琴乃は、その部屋の椅子にそっと下ろされた。

 そこまできて、彼がようやく口を開く。


「改めまして。初めまして、僕の華嫁。僕の名前は孤月院(こげついん)栄。どうぞよろしくね」


 孤月院。

 その名前を聞いて、琴乃は目を丸くする。


(神族血統の方、だわ……)


 神族血統は、一般的な華族よりも格上の血族だ。同じく華族の一家系として扱われるが、全員が公爵位に就いている。


 一番の特徴としては、神の血を継いでいること。そうすることで絶大な力を得ることができる上に、人の力では到底為し得ないこともできるようになると言う。また、次代の帝が天命により選出される家系だった。


 孤月院家が東都に構えている屋敷なのだから、立派なのは当たり前だ。彼の見目が麗しいのも当然だった。神族血統の人間は、力が強ければ強いほど美しい見目を持っていることで有名だからだ。


 弓乃にやらされていた学習院での宿題の知識が、初めて活かせた気がする。

 琴乃は目をぐるぐると回しながら、かすれた声で呟いた。


「はじめ、まして、孤月院様。琴乃、と申します」

「琴乃か。綺麗な名前だね、君にぴったりだ」

「あ、え、そ、の……」

「でも、孤月院様っていう呼び方はいやだなぁ。この屋敷にはたくさん、孤月院がいるし。だから、栄と呼んで?」


 琴乃は名前を呼ぶことをためらったが、栄が期待を込めた眼差しで見つめてきているのが分かり、逡巡する。

 そして、おずおずと口を開いた。


「栄、さま」

「うん」

「あの……栄様」

「なぁに、琴乃?」


 琴乃は、ぎゅっと手鏡を握り締めながらかすれた声で告げた。


「本当に、本当に。助けてくださり、ありがとうございました……」

「どういたしまして。でも僕としては、あんな場面に出くわして助けないほうが、人としてどうかしてると思うよ?」

「……そう、でしょうか」

「うん、そう」


 さも当然のようにそう言ってくる栄の言葉に、琴乃の胸がわずかに疼く。

 その感覚が一体なんなのか、このときの琴乃には知る由もなかった。






 それから栄と少し話をしてから、琴乃はどっと疲れが出たらしく凄まじい眠気に襲われた。それを見た栄が慌てて「今日はもう遅いから、詳しい説明は起きてからね」と言い琴乃を寝室まで案内してくれる。


 案内された畳の部屋は、琴乃が使っていた使用人部屋の数倍は広く、それでいて清潔だった。い草の匂いがとても心地好い。その真ん中には、布団がひと組み敷かれていた。


 するとどこからともなく一人の女性が現れた。

 歳は四十代ほどだろうか。あたたかみのある優しい笑みを浮かべる人だ。他の使用人たちと違い狐面はかぶっていない。


「彼女は秋穂あきほ。琴乃に付ける侍女だから、何かあったら言って」

「よろしくお願いいたします、琴乃様」

「あ、は、はい。よろしくお願いします……」


 すると、栄は琴乃を置いて立ち去ってしまう。どうしたらいいのか分からず立ち尽くしていると、秋穂は琴乃の襦袢を脱がせてから体をぬるま湯に浸した布で拭ってくれる。それから新しい襦袢に着替えるまでは、あっという間だった。

 そのまま布団に寝かしつけられると、「それでは琴乃様、おやすみなさいませ」と言われて灯りが消える。


 本当ならばもっと警戒しなければならないのだろう。

 しかし巴家でずっと使っていたものよりもふかふかで柔らかく、太陽の匂いがする布団をかぶっていると、どんどん眠気が強くなっていった。


 こんなにもあたたかい布団を使うのは、初めてではないだろうか。覚えている限りでは一度もない。


 これから先何が待ち受けているのだとしても、今までより酷い展開にはならないだろう。琴乃は事態をどこか達観していた。


(どうかこれが、私の夢ではありませんように)


 それだけを願って、琴乃はゆっくりと眠りについたのだ。

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