どこにでも
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(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
(!)制服売場にいる
シャープペンシルの芯が切れていたので、伏見和尚はショッピングセンター内の文房具店へと出かけた。
Bの芯を購入し、文房具店のスペースから出たところで、腕組みをして眉間に皺を寄せた延原等価に気付く。その足元には紙袋がおざなりに置かれていた。
文房具店の隣、衣料品店では、市内の公立学校全般の制服を取り扱っている。春休みに入り、各学校の制服の見本が展示されていた。等価は、小学校の制服を着せられた首のない小さなマネキンを、難しい顔をして睨んでいる。
延原等価は、少し前に和尚の家の隣に引っ越してきた。和尚と同い年だという。春休みが明けたら、同じ高校に通うらしい。
「延原、さん」
いきなり呼び捨てにするのはまずいかもしれないと思い、和尚がそう呼んだのにも関わらず、
「やあ、おしょーさんじゃないか」
等価は、いきなり和尚をあだ名で呼んだ。和尚は、そのあだ名を等価に教えた母を恨む。
延原一家が、伏見家に引っ越しの挨拶に来たときのことだ。
「等しい価値と書いて、トウカです」
そう自分の名前を説明した等価に、
「変わってるけど、すごくかわいい名前ね」
と母は言い、
「うちの子は、和風の和に尚更の尚でカズナオっていうの。考えて名付けたつもりだったんだけど、和尚ってオショウって読むでしょ。学校でみんなに『おしょーさん』なんて呼ばれちゃって」
そんなことをケラケラ笑いながらベラベラとしゃべったのだ。横で聞いていた和尚はちっともおもしろくなかった。しかし、あだ名のことは学校へ行けば、どのみちすぐにわかってしまうことだ、と和尚は気を取り直し、等価に尋ねる。
「なにやってんの」
「ああ。新しい学校の制服を受け取りに来たんだがね」
等価は言う。足元の紙袋がそうか、と和尚は納得する。等価のしゃべり方は、和尚の父方の祖父に似ている。老紳士口調だ、と和尚は思う。
「おしょーさん、きみはこれらをどう思う?」
等価は右のてのひらを天井に向けて腕を前方に伸ばし、目の前の首のない小さなマネキンを指し示す。
「どうって?」
和尚は、等価の意図が掴めず、問いを返した。
「向かって左が西町小学校の制服。右が東町小学校の制服だ。そうだろう?」
等価は言う。和尚は、わけのわからないままに、ただうなずいた。
「男子の制服はそう大差がないので、この際置いておこう。問題は女子の制服だ」
言われて、和尚は左と右に視線を交互に動かす。西町小学校の制服は、黒かと見紛うような濃紺の襟なしブレザーに同じ色の無地のプリーツスカートだ。中には白いポロシャツ。東町小学校の制服は、黒の襟付きブレザーに 深緑がベースのタータンチェックのスカート。中はやはり白いポロシャツだ。
「おしょーさん」
等価が言う。
「西町小学校の制服は、東町小学校の制服にくらべると、いささかダサいと思わないかい?」
「思う」
和尚は素直にうなずいた。
「そうだろう。私も、断然東町小学校の制服のほうが好ましい」
等価は自分で言いながら、うんうんとうなずいている。
「最近は、市内ならどの学区の小学校でも希望のところへ行けると聞くが、制服にここまでの違いがあったなら、女児童が東町小学校に流れてしまわないのかね」
そこのところどうなんだね、と詰め寄る等価を手で制しながら和尚は口を開く。
「等価、あれを見てみろ」
もはや敬称など必要ないとばかりに等価を呼び捨て、和尚は店の奥を示す。店の奥にはまた別の首なしマネキンが展示されていた。
「あれは、それぞれの小学校のジャージだ。よく見てみろ」
等価が息を飲むのがわかった。
「なんてことだ」
等価が呟く。
西町小学校のジャージが、無難に落ち着いた青色なのに対し、東町小学校のジャージは、なぜかキャメルカラーだった。ダサいとかそういう次元の問題ではなく、単純にジャージとして様子がおかしい。
「おい、おしょーさん。私はいままで十六年間と少し生きてきたが、未だかつてあんな色のジャージは見たことがないぞ」
和尚の顔を見る等価の目は、これでもかというほど見開かれている。
「しかし、あのジャージは実際に存在するんだ。俺は、あれを六年間、ちゃんと着用したんだぞ」
和尚は言う。
「あんなキャメル……いや、そんなおしゃれなものではないな。あれは駱駝色……いやしかし……」
等価はジャージを凝視しながら、なにやらぶつぶつと言っていたが、結論が出たらしく、きっぱりと言った。
「納豆色だなあ、あれは」
和尚は心の中でうなずく。実際、東町小学校のジャージは、他校から『納豆』と呼ばれ、揶揄されていたのだ。
「あんなインパクトのあるものを見せられたら、ダサいと思っていた小豆色のジャージも、なんだか愛しくなってくるな。不思議なものだ」
そう言って、等価は足元に置いていた紙袋を大事そうに持った。和尚が通っており、四月から等価も通う高校の和尚たちの学年のジャージは小豆色なのだ。
「わかったろ。だから、東町小学校が特別人気だということはないんだよ。だいたいみんな、おとなしく学区内の小学校へ行くことになるんだ」
和尚が言うと、
「ああ、よくわかった。むしろ西町小学校へ行きたくなってしまったよ」
「俺も、小学生の時は、西町小学校のジャージが羨ましかった」
「わかるよ」
和尚と等価はうなずき合う。
「でも、俺たちはもう高校二年生になる。もう、あのジャージを着なくてもいいんだ」
「そうだな」
等価はうなずく。
「成長するということは、本当に素晴らしいことだな」
等価は穏やかに笑う。
(!)帰り道にいる
学校からの帰り道、背後から肩を叩かれて、和尚はびくりとする。振り返ると、等価が立っていた。
「やあ、おしょーさん。きみも、いま帰りかい?」
「びっくりするじゃないか。気配なく現れるなよ」
春先なので、まだ日が落ちるのが早い。七時と言えど、辺りは薄暗かった。
「気配を消したつもりはないんだがね」
和尚に並んで歩きながら等価は言う。
「きみが鈍感なだけではないのかね」
そんな等価の言葉を無視して、
「ところでおまえ、こんな遅くまでなにやってたの?」
和尚は尋ねる。和尚もそうだが、等価もまだ制服姿だった。
等価は、むふふ、と笑い、
「聞きたいかね、おしょーさん。この私の大冒険を」
などと勿体ぶる。勿体ぶられてまで聞きたい話だとは思わなかったが、和尚は一応うなずく。
「友だちと遊んでいたんだ」
等価は言う。
「ドーナツを食べて、ロフトへ行って、ゲーセンでプリクラを撮ったんだ。どうだ、すごいだろう?」
え、それだけ? と和尚は思う。とても大冒険とは言えない。
「実は心配していたんだよ。友だちができるかどうか」
等価は言った。
「でも、ちゃんとできた。よかった」
呟くように噛みしめるように、等価は言う。
「等価にも心配事があるのか」
和尚は意外に思う。
「そりゃあ、あるさ。なぜなら、私は生きているからな」
等価は言う。
確かに、生きていれば誰にでも心配事はあるものだが、和尚は、等価から何事にも動じない雰囲気をなんとなく感じていたので、心配事などとは無縁のような気がしていたのだ。和尚は等価のイメージを改める。
「おまえ、結構ふつうなんだな」
「私は、どこからどう見てもふつうだろう。なにをいまさら言うんだね」
等価は怪訝そうな表情だ。
そうか、自分ではわからないものなのか、と和尚は心の中でうなずく。
「ところで、おしょーさんはこんなに遅くまでなにをしていたんだい?」
等価の問いに、
「数学の課題の提出が遅れていたんだ」
和尚は答える。
「堪忍袋の緒を切らした先生に、できるまで帰さないって言われて、居残りしてた」
「そうか。大変だったな」
等価は言った。
「どのくらい遅れていたんだ?」
「一年の冬から」
いまは二年の春だ。一年生の時の課題くらい大目に見てくれてもいいのではないか、と和尚は思うのだが、
「おしょーさんも大変だが、先生も大変だな」
と等価は笑う。
「そうだ。おしょーさん、これ」
そう言って、等価が鞄から取り出し、差し出してきたものを和尚は受け取る。
「プリクラだ。たくさん撮ったから、きみに一枚あげよう」
等価は言った。
「見てごらんよ。目が大きいだろう。そういうふうに写るらしいぞ、プリクラというものは」
そのプリクラには、等価と、等価と同じクラスの女子の計三名が写っていた。確かに、全員の目が通常見慣れているものよりも大きい。しかも、なんだか肌も白くなって、全体的にキラキラしている。
「すごいな」
和尚は言った。和尚がプリクラを撮ったのは、もう四、五年くらい前のことになる。知らぬ間に、プリクラは進化を遂げていたようだ。
「だろう? これは、もはや私ではない」
等価は、おもしろそうに笑った。
「おしょーさん、今度いっしょにプリクラを撮りに行こうじゃないか。私は、今日、機械の使い方を覚えたんだ」
「まさか、等価、いままでプリクラ撮ったことなかったのか?」
「ああ。今日が初めてだ」
「へえ」
和尚は気のない返事をしながら、もしかして等価はいままで友だちがいなかったのだろうか、と考える。等価を見ると、やはり穏やかに笑っていた。
「なあ、行こう」
等価は言う。
「うん。じゃあ、今度」
和尚は、思わずうなずく。
(!)部屋にいる
六月に入り、和尚は風邪をひいた。
雨降りのしょぼしょぼと静かな音の中、和尚は学校を休み、うとうとと微睡んでいた。午前中は病院へ行き、点滴をされた。それだけでなんだか疲れてしまい、あとは薬を飲んで眠っていたのだ。
ふと、自分しかいないはずの自室に他人の気配を感じ、和尚は重たい瞼を持ち上げた。
「うわっ」
思わず声を上げる。目の前に、等価の顔があったのだ。
「起きたか」
等価は言った。
「びっくりするじゃないか。いるなら起こせよ」
和尚はかすれた声で訴える。
「すまないね。気持ちよさそうに寝ていたものだから」
等価は言う。
「鼻がぴーぴー鳴っていたぞ。詰まっているんじゃないのか」
等価に言われ、和尚は枕元にあったティッシュで鼻をかむ。
「あー、びっくりした。おまえは、どこにでもいるよな」
すっきりした声で和尚は言う。体調も、睡眠を取る前よりもよくなったようだ。
「どこにでもいるわけじゃないぞ」
等価は言う。
「私は私のいる場所にしかいない」
あたりまえじゃないか、と和尚は思う。
「で、なんだ。なにか用があったんじゃないのか」
「用などないよ」
等価は言った。
「おしょーさんのことが、心配だっただけだ」
等価のストレートな言葉に、和尚はどう反応したらいいのかわからない。
「そりゃ、どうも」
ぼそりと言うと、等価は穏やかに笑う。
「おしょーさん、早く元気になりたまえ。きみが元気じゃないと、私はつまらないよ」
そう言って等価は和尚の手を人差し指でつついた。和尚は思わず等価の指をきゅっと握る。すると、
「赤ちゃんみたいだな」
と言われたものだから和尚は慌てて等価の指を離した。
「別にいいんだぞ。病気の時は誰でも不安になるものさ」
等価は穏やかに笑っている。
(!)となりにいる
「ゾウというものは、こんなに大きなものなのだな」
和尚のとなりで、手すりに体重を預けた前のめりの体勢で、等価が感嘆の声をもらした。
「まさかとは思うが」
和尚は、等価の横顔を見ながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
「おまえ、もしかしてゾウを見るのが初めてだなんてことはないよな」
こわごわと尋ねると、
「実物を見るのは初めてだね」
等価は、さらりと言った。
和尚の風邪が治り、次の日曜日、和尚と等価はふたりで動物園に来ていた。等価に誘われたのだ。まるでデートみたいだ、と和尚はいささか緊張していたのだが、となりの等価は全くそういうつもりはないらしく、リラックスムードで無邪気に動物を見学している。
「どういうふうに生きてきたら、ゾウを見ずに高校生になれるんだよ」
ほとんど独り言のように呟いた和尚の言葉に、等価は穏やかに笑う。
「私は少々、身体が弱かったのでね」
等価は、やはりさらりと言った。
「入院するほどのことではなかったのだが、中学くらいまでは、学校も行ったり行かなかったりだった」
等価は、柵の中でゆっくりと歩く象を目で追いながら、淡々と言う。
「毎日が不安だったな。いまは、そんな重い病気などではなかったと理解しているが、あの頃は、自分がいつ死んでもおかしくないような気がしていたよ」
等価が、ふいに和尚を見る。等価の横顔をじっと見ていた和尚と必然的に視線がかち合う。
「学校行事にはほとんど参加できなかった。遠足や修学旅行も行っていない。動物園や遊園地にも行ったことがなかった」
等価の指が、和尚の手の甲に一瞬だけひんやりと触れ、すぐに離れた。
「だから、私は今日、とても楽しいんだよ」
等価は穏やかに笑っている。
「俺も、楽しいよ」
和尚は、それだけ言った。
「よかった」
等価は言って、象に視線を戻す。
「等価は、ゾウが好きか」
「ああ。好きだな。できれば乗ってみたい」
「じゃあ、いつかいっしょに乗りに行こう」
和尚が言うと、等価は無邪気に尋ねた。
「日本にそういうところがあるのかい? ゾウ牧場みたいな」
わからなかったので、和尚は黙った。
「おしょーさん。もし、そこが外国だとしても、いっしょに行ってくれるかい?」
沈黙からなにかを察した等価が心配そうに言うので、
「うん」
和尚はうなずいた。
「いつか、いっしょに行こう」
等価は、穏やかに笑う。
一通り動物を見て、等価はずっとはしゃいでいた。和尚は、動物ではなくて、そんな等価をずっと見ていた。
帰り際、
「等価、あれやろう。プリクラじゃないけど」
和尚は、写真撮影用のパネルを示す。
「やろう!」
等価の目が輝いた。
パネルにはライオンとパンダのイラストが描かれており、顔の部分がくりぬかれている。五百円でポラロイド写真を撮ってくれるらしい。
等価は迷わずライオンの顔に、自分の顔をはめこんだ。
「パンダじゃなくていいのか?」
和尚が尋ねると、
「どうしてだい?」
等価が不思議そうに言うので、
「いや別に」
和尚はおとなしくパンダの顔に自分の顔をはめこむ。和尚は、女の子は全員もれなくパンダが好きなものだと思い込んでいたのだ。
「等価は、ライオンが好きか」
「ゾウの次に好きだな」
等価は言う。
「だけど、ライオンには乗れないんだろうね」
「食われるぞ」
「そうだな。死ぬのはいやだな」
言いながら、等価は受け取ったポラロイド写真をうれしそうに眺めた。
「それ、等価が持ってろ」
和尚は言う。
「いいのかい」
等価は言い、それを大事にポシェットにしまった。
「おしょーさん、今度は遊園地に行こうじゃないか」
等価は和尚の手をやわやわと握って言う。そのひんやりとした手を握り返しながら、
「うん、行こう」
和尚はうなずいた。
了
ありがとうございました。