犯人は現場に戻るんだぞ! ~現場に着いたとは言ってない
ミステリは登場人物が多くなるのです。
第二王子派、てなんだ。
兄上の何が不満だ。
そもそも、継承権なんて兄上の次は姉上だろ。
さらに言えば、その次は弟か叔父上になる。
俺に回ってくることなんか、まずありえない。
だから早々に、王族の名なんか捨てるつもりだった。
なのに。
癒し手という楔で、コルチカム家が俺を王家に打ち込みやがった。
王家に仇なす逆賊どもめ。
お前たちの血と家、名前と顔を、決して忘れはせぬぞ。
◇ ◇ ◇
聖リリィ礼拝堂の大門前に集まったのは。
ガードン衛兵隊長。
ナッシンバット第二王子。
アンダロ侯爵令息。
ロサブラッシュ男爵令嬢。
アボット管理人。
最後に、侍女のリリアム=ロンギフロラムである。
「ロサ、アボット管理人殿の警戒の陣、解けるか?」
王子の問いに、ロサ嬢が力なく首を横に振る。
金に薄紅の混じった髪が、花びらのようにひらひらと揺れる。湖の青の瞳に、水滴がうっすらと浮かんだ。
「これでも特待生で、学年主席なのに……」
「まぁ、そういうな。
しかしこれで、犯人が陣をこっそり解いて、気づかれずに入り込むのはそうそう考えられない、とわかったな。
って、ロサ!?」
しょんぼりと肩を落とす恋人を王子は慰めたが。
「こっそり解くのは無理だけど!
破るのはできるんだから!」
瞬間、アボット管理人だけでなく、その場にいた全員に、何重にも響き渡る鐘の音が聞こえた。
「ほら、勝った!」
輝く笑顔で王子を仰ぎ見るロサ嬢に、王子も眩しい笑顔を返した。
「よくやった!
やはり、犯人が陣をこっそり解くのは無理だな!」
ガードンは、アンダロを見た。
アンダロは無表情のまま、視線だけが遠かった。
「さぁ、衛兵隊長殿、ブラウン庭師に会いに行こうじゃないか」
「そうですな。
あ、ロサ嬢はお帰りになられて結構ですので。副隊長、送ってさし上げろ」
ロサ嬢と陣を張りなおすアボット管理人とはその場で別れ、一行は敷地内へと足を踏み入れた。
「そういえば、殺されたご令嬢は約束があるといって、ここに来たんでしたな。
手紙で呼び出されたので?」
「申し訳ありません、私は存じません。
学園祭の間に、どなたかから言付けがあったのではないでしょうか」
ガードンの問いに、黒髪の侍女が淀みなく答える。
主が殺されたというのに、悲しみの気配はない。
年頃はまだ十代半ばだろうに、顔からは感情が削ぎ落とされ、陰鬱という化粧が施されている。
顔立ちがよく見れば整っているからこそ、痩せこけているのが目立つ。
「侍女とは、学園にいる間も仕えているものでは?」
「はい。ですが学園祭の間、私はお嬢様のお側におりませんでした」
話している間に、ようやく庭師の小屋が見えてきた。
小屋の近くに衛兵が二人立っており、その側で野良着を着た小柄な老人が地面から雑草を引き抜いていた。
春から初夏であれば百合が見事に咲き誇っていただろう庭も、現在は一輪も百合の花は見えない。
代わりに、秋咲きのコスモスが、敷地内に騒がしくない程度に品よく咲いていた。
「聖女リリィ様のお庭を預からせてもらってます、ブラウンです。こんな小汚ぇ格好で申しわけねぇです」
鎌を置き、慌てて這いつくばって額を地にこすりつけるブラウンに、王子は手を取って立ち上がらせた。
「そんなに畏まることはないぞ。
俺の母は、庭師の娘でな。俺は、庭師の孫なんだ。
そうなると、ほら、俺はお仲間の孫にならないか?」
よろしくな爺さん、と朗らかに笑う王子に、ブラウンはただただ絶句した。
絶句し、そして、年のせいでしゃがれてしまった声で、小さく笑った。
「これはまたずいぶんと……お貴族様とは違いますなぁ」
「グロリオサと? あいつのことを知っているのか?」
「はい、あの方は礼拝堂によく来てましたけぇ。
わしらは、その度に隠れなければなりませんでした」
ブラウンは土まみれの手を取った王子に、苦く笑う。
「土塗れの、汚れた姿を見せるなと。
虫ごときが高貴なる者の目の前に現れるなと。
あの方が癒し手として祈って奇跡を起こす時は、毎回、この聖リリィ礼拝堂でしたけぇ。
その度に、わしらは花を整え、庭を整備して、当日は小屋で息を潜めていたもんです」
「そうだったのか……」
王子は一度、ぐるりと庭を見回した。
百合はなくとも、秋咲きの花がそこかしこに咲き、庭は美しく整えられている。
礼拝堂の近くには日除けの灌木が植えられており、剪定もきちんとなされているのが見て取れる。
「気持ちの良い庭だな。
爺さんの……そなたの働きは素晴らしい。聖女リリィも喜んでおられよう。
そなたの聖女への献身こそ尊く、称賛に値する」
王子はそう言って、地に落ちていた雑草を拾い集め、雑草がまとめて入れられていた、いくつかのずた袋に、ひょいっと加え入れた。
「これで俺も、雑草一束分は聖女への献身ができたかな」
土まみれになった手を見せる王子に、ブラウンは今度こそ目を見開いて、そして、笑った。
「ありがとうございます」
ようやく肩の力が抜けたのか、ブラウンがまさしく好々爺の笑顔を浮かべる。
「失礼、ブラウン庭師。
お一人と見受けられるが、先ほどから「わしら」と。
他に、雇われ庭師がいるのでしょうか」
アンダロが空気が解れたのを見計らって口を出した。
額を地にこすりつけて怯える庭師を尋問した所で、まともに答えられないだろうと思い、黙っていたのだ。
「ああ、いえ、庭師はわし一人です。
ですが、ケイトが、孫娘がよく手伝いを」
「そうでしたか。その孫娘さん、昨日と今日はどちらに」
ブラウン庭師の口から、苦い、苦い声が振り絞られた。
「昨年の夏、亡くなりまして。
七歳にして、この老いぼれよりも先に、聖女様の元へ逝ってしまったです」
息を飲んだアンダロに、老いた庭師は頭を下げた。
「ケイトは御伽噺の聖女様が好きでして。
この庭も。
聖女様は百合が一等好きだけれども、他のお花だって好きだし、お花がなかったら淋しくてかわいそうだと」
進んで手伝ってくれる孫娘だったという。
「すまない、申し訳ないことを聞いた」
「いえ、衛兵さま方から、お偉い方たちが何か聞きに来るかもしれないと聞いておりました。
事件のことは驚きましたが、わしに答えられることでしたら、なんでもお聞きくだせぇ」
穏やかに話すブラウンの、最初の異常なまでの怯えは消えていた。
むしろ態度には親しみが滲み出ており、口調も滑らかになっている。
アンダロはそれではと、当日の様子を聞いてみた。
「わしは灌木の剪定と、コスモスの植え替えをしておりましたなぁ。
ずた袋を用意して、土と肥料を運んで。
昨日はその作業にほぼかかりっきりでして。
礼拝堂の中へは入っておらんです。
ああ、一人、ボロっちぃ外套を被ったのが、礼拝堂に入って行ったのは、遠目で見ました。
昼すぎ、だったと思います。
あまりお役に立てず、申しわけないです」
「いえ、十分お話をしていただいた、感謝します。
ただ一つ、ケイト嬢のことですが。
宜しければ、何故と、うかがっても?
せっかく冬の厳しさを越えたというのに」
「……真夏の、暑い最中、外に長くいたのが悪かったのでしょうなぁ。
家に帰りついた後、意識を失い、そのまま……」
頭を下げたままの庭師の、表情は見えない。
だが今のブラウンに、面を上げよとは誰も言わなかった。
庭師小屋を辞し、一行はあらためて礼拝堂へ向かう。
重くなった空気の中、誰ともなしに王子は呟いた。
「知らなかったな、グロリオサが礼拝堂にそれほど来ていたとは。
……庭師のことも、その孫娘のことも、知らなかったな」
「そうですね。僕も、あの方の奇跡の御業を披露する時にしか、ここに来ておりませんでした」
そこかしこに可愛らしく顔を見せるコスモスを、王子は踏まないように注意深く足を運ぶ。
「弟がいるからなぁ、つい。
そういえば、アンダロは三男だったか。一番下か。
侍女殿は? 兄弟とかいるのだろうか」
急に、しかも王子に話しかけられ、影のようにひっそりと付いてきていた侍女が、目を大きく見開く。
「すまん、驚かせたか。
いや、これまであまり話したことがなかったからな」
「いえ……。
弟が一人、コルチカム領におります」
言葉少なに、侍女は問われたことにだけ答えた。
学園に来た最初の頃は、まだもう少ししゃべっていたように王子は思える。
グロリオサの横暴を必死になって諫めていたのを、王子は覚えていた。
人形のように、影のように、ただ付き従うだけになったのはここ一年ほどだろうか。
「そうか、遠いな。
グロリオサの帰郷に合わせて、年に数度しか会えなかったわけか」
「……はい、ここ数年、なかなか会えませんでした。
ですが、もうすぐ会うことができるようになりました」
「そうか、そうだな」
主が亡くなったなら、侍女が学園にいる理由がなくなる。
必然的に領地に帰され、弟と会えるようになるだろう。
アンダロが、会話が途切れたところで口をはさんだ。
「着きましたね、聖リリィ礼拝堂です」
聖リリィ礼拝堂は、中で起こった事件を知らなければ、真白い石壁の、白百合のレリーフの美しい礼拝堂に見えた。
一行の姿を認め、礼拝堂の近くに立っていた衛兵たちが一斉に礼を取る。
ガードン衛兵隊長が、警備中に不審なことがなかったかを確認した後。
一行は礼拝堂内に足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
わたくしが聖女様に祈りを捧げる間
わたくしの侍女であるあなたが
何もしないなんてこと、ないですわね?
わたくしが尊き方へ奉仕する間
あなたも祈りを捧げなさい
分をわきまえているあなたは
どこで祈ればいいかわかるわね
堂内なんて以てのほかよ
外で祈りなさい、いいわね?
日陰の涼しい場所でなんてただの休憩になってしまうわ
庇から出て、陽の当るところにいなさい
それがお勤めとなるでしょう
怠けるなんて許されることではないわ
ねぇ、そうでしょう?
――はい、お嬢様
やっと現場です。




