し、しんでるっ……!? ~悪役令嬢、死す!
王子と男爵令嬢は鉄板。
第二王子と、婚約者でもない男爵令嬢が、手と手を取り合って見つめあう。
そこには、二人だけの世界が作り上げられていた。
「ロサ、この学園祭のダンスパーティーで、君以外と踊るつもりはない。
だからどうか、この俺の手を取ってくれないか?」
「ナシー様……はいっ。わたし、嬉しいです!
ずっと一緒に踊りたいと思ってました。
わたしで良ければ、喜んで!」
まるで歌劇の一幕のようなやり取りのあと、第二王子は息を飲む周囲を見渡し、決意を込めた声で言い放った。
「この俺、ナッシンバット=シンボリック=アル=ナシィオンは、ロサブラッシュ=ペティルス嬢を生涯愛すると誓う!」
周囲から驚愕の悲鳴が上がってもなお、王子は意に介さず、さらに声を上げる。
お相手の、手を取り合った令嬢は、すべらかな頬と金に薄紅の混じった髪にオレンジの夕陽を受けながら、喜びに瞳を潤ませた。
「ゆえに、グロリオサ=コルチカム嬢とは、婚約を……」
本来なら、このまま婚約破棄の言葉が続いていたのだろう。
本来なら、止めるべき立場である側近さえも、王子の言葉を遮ることをしなかったのだから。
だが。
「だ、誰か、誰か!
グロリオサ様が、グロリオサ様が礼拝堂で! 血を、血を流して、倒れてっ。
誰か、誰か助けてぇ!」
ドレスの裾をたくし上げ、一人の令嬢が転がるように駆け込んできたことで。
婚約破棄の場面から、殺人事件の場面へと幕が切って落とされた。
◇ ◇ ◇
二日間開催された学園祭が終わった。
三日目の今日は、ほぼ一日かけて片づけをし、夕方直前に打ち上げダンスパーティーが開かれる。
すでに婚約者や恋人がいる者は、当然、ペアを組んで踊るのが慣例であり。
独り身の生徒は、空がオレンジに染まる頃、心を交わしたばかりの恋人と、夕陽に頬を染めてダンスを踊ることが、学園祭での最上の成果となる。
そのために、彼らは準備期間から学園祭当日までの間、獲物を狩る狩人の如く、目標の嗜好、習慣を調べ上げ、行動範囲を絞り、待ち伏せ、射と、もとい、心を射止める。
そうして出来上がった恋人たちが、晴れて二人で腕を組み、朗らかな笑顔でダンス会場に颯爽と現れるのだ。
「おー、そっち、片づけ終わったか?」
「終わった、終わった。燃やすものは広場に集めたし、後は踊るだけ!」
片づけもほぼ終わり、手持無沙汰となった男子生徒たちが駄弁り始める。
恋人も近くにいない今は、外側を取り繕う必要もなく、気軽なものだ。
「終わってみると早いなー……じゃねぇわ。
去年みたいに、まずいもの燃やしてないよな?
ちゃんと片づけたか?」
「だ、大丈夫、今年は大丈夫、ちゃんと確認した!」
疑いの眼差しを向ける男子生徒に、もう一人は必死に首を振る。
去年は、端的に言って、酷かったのだ。
「短弓と、長弓と、クロスボウとの、性能差検証」
ぼそっと呟く男子生徒の、呟く声は暗い。
「だから大丈夫だって!
今年は、短剣と、刺突剣と、細身長剣の性能差検証に変えただろ!?」
「テーマを言ってるんじゃねぇよ!
今年は、短剣、紛失くしてないよな、なぁ?」
肩を掴んでガタガタと揺すっている方は、去年の学園祭後の騒ぎを思い出して口にする。
「結局、クロスボウ、どこ探しても出てこなくって。
もしや飾りと間違えて燃やしたか、てなって」
「う、うん……出てこなかったよね、たぶん、燃やしたんじゃないかな。
去年はほら、燃やせ燃やせって最後、盛り上がったし……」
うん、うん、と頷く方も、視線は遠い。
「武術訓練の教官から。
心得がなってない、て。
あれから! どれだけ! しごかれたか!!!」
「ひどいよねー、わざと失くしたわけじゃないのに。
走り込みは倒れるまで。
剣で素振り、弓で素引き。
時間中、休憩なしでずっと……悪夢だったよね」
当時を思い出すだけで、自然と虚ろな表情になる。
疲れすぎると吐くなんて、知りたくなかった。
「まぁ、大丈夫だって。今年はちゃんと片づけたよ!」
男子生徒は、後はほんとに踊るだけ~と能天気に笑う。
陽の傾きから、まもなく始まるであろう打ち上げダンスパーティー。
男子生徒たちは、夕陽の差す中でダンスを踊れば勝ち確だ、と楽しげに思いを馳せていた。
「ロサブラッシュ様、今日もまた殿下と、片づけに参加していらっしゃったそうよ」
「あらまぁ、では毒ユリ様が、ますます目を吊り上げますわね。……そろそろ、キツネユリ様とお呼びした方がよろしいかしら」
「グロリオサ=コルチカム侯爵令嬢、よ。本当にあなた、外見詐欺にもほどがあるわね。
昨日想いを交わされた恋人様は、あなたのその物言い、知ってるの」
姦しく、囀り、花を咲かす。
女子生徒の間での今年一番の注目は、ナッシンバット第二王子と、ロサブラッシュ男爵令嬢と、グロリオサ侯爵令嬢の恋愛話だ。
本来なら、婚約している二人の間に入り込んだ男爵令嬢が非難されるべきなのだが。
「ロサブラッシュ様がびっくりするほど、謙虚なんですもの。
重い物も、身体強化の魔法で、率先してお持ちになってくださいますのよ。
手が汚れますって言って、他の令嬢の手は水魔法で洗って、自分の手は絵具や泥や煤で真っ黒なのに放ったままで。
魔法の特待生で、成績が優秀なのにそれをひけらかすこともありませんし。
殿下が惚れ込むのも、仕方ありませんこと?」
浮かぶ笑みは淑やかで。
いかにも微笑ましいとばかりに話す内容は。
「それに比べて、グロリオサ様が、ね……」
「片づけの本日、お姿をまったく見かけませんわね。
わたくし、癒し手の方々はみな、慈悲深くも気高い、気質の良ろしいお方とばかり思っておりましたが。
そうではないお方もいらっしゃいますのね。
キツネユリ様を知って、わたくし、見聞を広げることができましたわ」
ただただその相手を愚弄するだけの内容だった。
「ほんとにあなたのその性格、恋人様は知っているの、三日後が不安になるわ」
「あらひどいわ。
キツネ目の愛らしい、年頃になってもまだ聖女ごっこをなさる幼気な可愛らしいお方、と、ちゃんと褒めてましてよ」
「余計に悪く。否定しないけれど。
……でも本当に、どうしてあんな方が癒し手様なのかしらねぇ」
◇ ◇ ◇
夕方近くなり、恋人たちが腕を組んで颯爽と足を踏み入れると、ダンス会場は異様な緊張に包まれていた。
第二王子が、本来エスコートすべき侯爵令嬢ではなく。
最近親しくしているという噂の、男爵令嬢を伴って、会場へ来ていたからだ。
ナッシンバット=シンボリック=アル=ナシィオン。
第二王子ではあるが、王の愛妾の子であり、王位継承権はほぼ無いと言ってもいいほど低い。いや、低かった。
だが、陽の光を受けて輝く金髪は王家の中でも目を引き、澄み渡る空を映す瞳は王譲りで、父である王からの愛情は深い。
とは言っても、王からの愛情頼りの、後ろ盾のない名ばかりの王子である。成人した時点で王族から外れることも決まっていた。
はずなのだが。
ただのナッシンバット=シンボリックとなる息子を哀れに思った王は、コルチカム侯爵家からの婚約の打診に諾を返したのだ。
そうして婚約者となったのが、グロリオサ=コルチカム侯爵令嬢だ。
しかも、彼女は癒し手だった。
癒し手とは、貴き神の慈悲の体現者。
魔法ではなく、神の奇跡をこの世に顕現させるのだ。
その希少すぎる存在は、ほぼすべて神殿に所属している。
念じれば、傷を癒し。
望めば、病を祓い。
祈れば、祝福を与えるという。
力の大小はあれど、グロリオサ=コルチカムは癒し手の一人だった。
しかも神殿の誘いを断り、今なお、コルチカム侯爵家に在り、つまりは国に属する癒し手である。
王からの愛情以外、何も持たぬ息子の後ろ盾には十分に過ぎた。
愛妾の子で、しかも第二王子であるにも関わらず、王太子に名が上がるほどに。
王は、ナッシンバット=シンボリック=アル=ナシィオンに、大切な愛妾との子に、ただ幸あれと願っていただけだというのに。
決して、骨肉の争いを起こすつもりではなかったのに。
そして。
貴き王家の血を引く、下賤な王子。
請うて婚約者となったにも関わらず、表向きは遜りながらも、グロリオサの態度の端々からは、蔑みが滲み出ていた。
侯爵令嬢。
第二王子の婚約者。
神に愛されし癒し手。
気位は天井を知らず、傲慢は所かまわず、不遜は天元を突破した。
学園という狭い空間で、誰もが暴君の機嫌を損ねないよう立ち回った。
第二王子でさえ、王の配慮を気にして、ある程度は我慢した。
そうして益々、グロリオサ=コルチカムは増長していったころ。
ロサブラッシュ=ペティルス男爵令嬢が現れ。
彼女の、ただ一人だけが尊い世界に、ヒビが入った。
◇ ◇ ◇
なんなのあの卑しい小娘は
貴き血の一滴も流れてもいない賤民風情が
なぜ殿下が手を差し伸べられるの
なぜ殿下が声をおかけになるの
わたくしの高貴な侯爵家の血でもって
貴き血に混じった卑しき血を
清めて差し上げようというのに
なぜわたくしの前に頭を垂れて
傅かないの
跪かないの
額づかないの
貴き王家の血を汚した妾の子風情が――
◇ ◇ ◇
血だまりの中、礼拝堂の石床に倒れ伏した一人の少女。
夕陽が窓から差し込み、血の赤と一緒に礼拝堂のすべてを朱く染める。
「止まれ、誰もこれ以上、進むんじゃない」
真っ先に駆けつけた王子が、片手で進路を制す。
横合いから覗き見たロサ男爵令嬢が、人一人の死体に、息を飲んで一歩下がった。
ざりっと、靴が砂を擦る音を立てる。
「ロサブラッシュ嬢、あまり女性が見るものではないかと」
一歩下がったロサ男爵令嬢の肩を支え、そっと背中に庇うように追いやったのは、追いかけてきた王子の側近。
アンダロ=キーパー、キーパー侯爵の三男である。
「あなたもですよ、侍女殿。
リリアム=ロンギフロラム殿」
庇の先でひっそりと黒い影のように立っていた、侍女のお仕着せを来た黒髪の女性が、目を大きく見開いた。
「コルチカム嬢の侍女をしていた、あなたがご無事でなによりです」
安心させるように微かに笑みを向け、ロサ男爵令嬢と一緒に、堂内が見えないように背中に隠す。
「なぁ、アンダロ、見えるか。
やっぱり、グロリオサ、だな、あれは」
「そうですね、間違いなく。
見える限り、血だまりに足跡は無さそうです。
西日で見えにくいですが」
アンダロが振り返り、来た小道と、足元を確認する。
「血の付いた足跡もなさそうですね。
……本当に、西日が邪魔ですが」
アンダロはため息をつきながら、緑の目をすがめて周りを見回す。
「ああ、殿下、ガードン隊長とアボット管理人が来られました。
とりあえず、この場は衛兵隊にお譲りになられてはいかがでしょうか」
学園の衛兵隊が、聖リリィ礼拝堂へ姿を現し。
この場は、衛兵隊が検分に当たることになった。
ミステリって、名前を覚えるのがめんどく……難しいですよね。なので、参考になれば。
名前の由来、イメージ紹介
グロリオサ=コルチカム(悪役令嬢)
: キツネユリ=イヌサフラン科
ロサブラッシュ=ペティルス(王子の恋人)
: バラ(ロサ)の赤い花びら
リリアム=ロンギフロラム(侍女)
: テッポウユリ
アンダロ=キーパー(王子の従者)
: アンダーザローズ
(バラの下で秘密は守られる)の略