9
暇を持て余した俺は黒緑の黒板を凝然と見つめていた。
チョークの粉が至る所に残っていて完全にとはいかないが、それでも綺麗な黒板を見ながらふとこう思った。
学問ってのは人間の総体とまではいかないものの、それに近しい、本質的な何かだ。
そのエッセンスは個人を通して連綿と受け継がれている。
そしてそれは不可逆的な進歩を刻む。
さらにそれはその個人によって様々な様態を見せるだろう。
ある人には激しい嵐として、またある人には荘厳な無為自然として。
では、その学問の行き着く先とは何であろうか。
学問が人間のエッセンスとした時、こうとも換言できよう。
人間の行き着く先は何であろうか。
それに対して俺は、平々凡々な半生を送り、雑多に塗れた俺には、俺だからこその答えが見つかった。
世界とは目的論ではない。
世界とは目的に向かってないのだ。
言うなれば平家物語に見られる諸行無常こそ好ましい。
かと言って夏目漱石が晩年に説いた則天去私は少し悲しい。
ただそこにあり、只管にそこにあるだけなのだ。
あるということは不可逆的であり、あったということではない。
あるということは認識できない。
我々はあったという歴史的事実からあるということを推測しているに過ぎない。
それはつまり、今の「ある」ということが未来の「あるであろう」ということと同義であるということだ。
すなわち、世界の今というのは過去からの推測に過ぎず、それゆえその一方向性が今の閉塞性を担保する。
まとめるならこうだ。
「今」は目的に向かうほどの余裕はない。
「ーーということを思ったんだが」
「うん!いいと思う!」
「良くないわよ」
「なぜ」
「ええ、あなたの論はよくわかるわ。その偏屈さも相まってね。でも、だからと言って『俺は今に忙しいから委員会には入らない』だなんて暴論も暴論、牽強付会も牽強付会よ」
昼休みの時間、俺たち、俺と佐々木さんとキーナーは屋上でご飯を食べていた。
さっきの話は先程担任の方から委員会を決めるようにと指示があったことに尾を引く。
そういうキーナーさんは決まったんですかね。
「もちろんよ!」
「へぇ、すごい!私なんかまだ何にも決まってなくて・・・・・・」
で、何にしたんだ。
「風紀委員会よ!」
「・・・・・・」
・・・・・・
「な、何よ」
いや、よく似合ってるなと。
「え、ええ、すごいお似合い、だと思います」
「・・・・・・なんか微妙な反応ね」
そりゃあそうでしょうキーナーさん。あんたは俺たちと初めてあった時に言った言葉をお忘れですか。ありゃあ暴君って感じでしたけど。
「そ、そんなこと他の人には言わないわよ!」
じゃあ是非とも今から過去に戻っていただいて俺たちにも言わないで欲しいんですが。
「そ、そんなの仕方ないじゃない!言っちゃったもんは言っちゃったんだから!」
・・・・・・こいつ、さては相当に馬鹿だな?