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在るべきか、在らざるべきかが問題だ。
とある人はこんな言葉を残した。その真意とはどのようなものであっただろうか。そんな当の昔のこと、俺はそれを快刀乱麻に解決するような、そう、タイムマシンなんてものも持っていないし、ましてやヒューマニズム、人文主義ってわけでもないから愚直にとらえることしかできない。つまり、その言葉は現在では「生きるべきか、死ぬべきかが問題だ」と訳されているのだが、実在、人間としての有限性とデカルトの言う他者である無限という概念の相克に喘いでいるのだろう。ああ、なんと人間ってのははかない。諸行無常、則天去私、あるいは人事を尽くして天命を待つ。そのどれもが人間の悲痛さを嘆いているではないか。……では、例えば人間以外にも意識があったら?いや、それだと昨今の生物学の成果により語弊が生まれるかもしれない。或いは率直にこう言おう。もし雪だるまが人間のように生きていたら?彼らは何を思うだろうか。こういっちゃ悪いがアーティファクトの分際であり、人間よりもっと限られた彼らは何を思うだろうか。俺には皆目見当がつかない。
雪が降った。ということはたぶん、全国の子供たちが喜々として雪遊びをするのだろう。だがしかし、俺たちはあくまで高校生であり、モラトリアムであり、しかし子供ではない。だから俺には縁遠いことさ、あるいは通学の不便を嘆くのみだと思っていた。だが、俺たちにはあの人がいたではないか。そう、キスなどという言葉に赤面し、怪談にキャッキャウフフとし、どこまでも子供っぽいあの人が。その対決、ああ、俺はものすごく面倒だったが佐々川さんの爛々と輝く眼にあてられ参加せざるを得なかったのだが、雪合戦は佐々川さんの宣戦布告から始まった。
帰宅途中、佐々川さんが何かを投げるモーションが俺の端に移った。すると、俺の頬には軽い衝撃と背筋も凍るような冷たさが走った。驚いて佐々川さんの方を見る。するとそこには、俺の一挙手一投足を逃さまいとなまじりを決している佐々川さんの姿が見えた。その目は夕日に爛々と輝いている。そして突然の出来事に頭が働かない俺に向かってこう一言。
「雪合戦ですよ、マイケル君!」
ユキガッセン?……ああ、雪合戦ね。……つまり?
俺はさらなる理解を深めようとキーナーの方を向く。すると、懶惰な顔をしたキーナーがいた。
「つまり、雪合戦をしようということでしょ」
なるほど。俺的には佐々川学をある程度極めているつもりだったが、まだまだ初歩の段階だったらしい。つまりあれだろう。俺が佐々川さんを覗くとき、佐々川さんもまた俺を覗いているのだろう。俺たちは近くの公園に行って、佐々川さんが満足するまで雪を投げ続けた。え?まだ満足していないって?お戯れを。
難しい言葉が出てきたと思います。懶惰です。こちらは怠惰と同じ意味です。なぜ使ったかというと、すごくかっこいい文字だからです。




