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ふと気づくと、俺はいつもの駅にいた。なんてことない、さびれた駅だ。夕暮れの空を見ると、そうか、俺は帰宅している途中だったということに気づいた。出入り口の近くに二人の幼女がいる。一人はピンク色のモフモフなジャンバーを着ていて、もう一人は黒だ。ピンク色の方は缶のコーラを飲んでいる。やれやれ、そんなお年ごろから刺激物が好きとなると、将来は大層立派なギャルになるんでしょうね。そんな思いを一瞥分に込めつつ、そばを通り過ぎる。階段の下には彼女、ああ、なぜだろう、名前が思い出せない、しかし、俺の見知った彼女がいる。いや、見知っているはずなんだ。だが、その少女がいると思わしき場所だけ黒く塗られていて見通せない。しかし、俺はいつものようにそこに近づいた。彼女は琴の音のように透き通った声でこう言った。
「お帰り、――君」
ああ、ただいま。
彼女の笑顔が、見えないはずの笑顔が俺の心を安心させる。そうか、まだ彼女はいる。この世に存在している。俺は当たり前のことで安堵したのだった。
俺は今、夜の公園にいるらしい。暗闇に包まれた辺りに、ぼうっと彼女の姿が見える。
お前が好きなんだ。付き合ってくれ。
俺はそんなきざなセリフを吐くと、頭を下げた。鼓動は早くなり、呼吸は苦しくなる。彼女はなおも沈黙している。そして徐にこう言った。
「ごめんなさい」
……ああ、そうだよな。確かにあの時もこういうことだった。だが、あの時とはいったいどのときだろうか。まあいい。ああ、いいんだ。俺は彼女にとってそこまでの存在じゃなかったんだ。
「――君は私の特別じゃないから」
なぜかその声は涙交じりに聞こえる。あの時は気づかなかったがその声は一種の嗚咽に聞こえる。しかし、ああ、そうだ、俺はここから自分が普通だと気付いた。彼女がこの世に存在している。だから何だ。俺は彼女の特別でもなければ誰の特別でもない。それが事実なんだ。ああ、佐々川さん、あんたの言っていたことは――佐々川?佐々川とは誰だ。俺の周りにそんな名前のやつはいなかっただろう。いや、でも俺は知っている。確かに佐々川さんを知っている。どこか天然で、純真無垢で、間抜けで、それでも優しいしかわいいから許せてしまう彼女を知っている。その記憶は一体何だ。偽の記憶だったのだろうか。
『変質者に追われているんです!助けてください!』
俺はその声に応じて黒のロングコートの男を捕らえたではないか。
『マイケル・・・・・・マイケル・ジャクソンさんですね!』
おつむの足りない彼女の言動に俺は驚いたではないか。
『ナイッサー!マイケル君!』
みんなが目を点にしている中、彼女だけは俺を肯定してくれたではないか。
『「・・・・・・例えばマイケル君が自分は特別だと理解したとして、そしたら私と釣り合うかな」
ああ、まあもっとも、俺に特別なことなどないと思うが。
「ううん、少なくとも、私にとってはマイケル君は特別だよ」』
『……私はさっきも言ったようにマイケル君が好きです。それは異性として。だから、だから!傷ついてほしくない!一人でどこかへ行かないでほしい!ずっと私の隣で笑っていてほしい!なのに!どうして!どうして!――』
ああ、そうだ。俺はここで思い出した。俺は、マイケル・フィッシャーは、ありきたりな転生をして、ありきたりな暮らしをして、ありきたりな転生物語を送っていたではないか。その中でいろいろな人に出会い、佐々川さん、あんたが俺を特別だと言っていたではないか。特別じゃない?そんなこと気にしない。現に佐々川さんが俺を特別だと言ってくれたのだから。それを信じないってのは俺にはできない。そうさ、佐々川さんは口を滑らしちまったことを後悔するがいい。俺ってのはそれほどに重い男なんだからな。俺は目の前の彼女にこう言った。
特別じゃない?ああいいさ。俺はそんなこと全然気にしちゃいない。だがな、俺の特別な誰かさんが俺のことを特別だと言ってくれたんでな。俺は威風堂々と行くぜ。
目の前の彼女は微笑んだ気がした。
なぜもう一方の方に好意は寄せなかったのか。もしかしたら別の原因ではないのか。そういうことです。




