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ガラガラという車輪の回る音がする。音を探るとそこには開け放たれた病室の扉があった。傲然と腕を組むのがキーナー、その顔には満面の笑み、いや、自身に満ち溢れた表情が見える。隣には佐々川さんがいて、こちらは柔和な笑みを浮かべている。
「感謝しなさい!あの蜘蛛は私が駆逐してやったわ!」
キーナーが胸を張る。
やれやれ、それが開口一番に言うセリフですかね。普通は俺の心配をするもんでしょう。
「こう見えても先ほどまですごく心配していたんですよ。怒ったり落ち込んだり、大変でした」
「ちょ、ちょっと、そんなこと言わなくったっていいじゃない」
佐々川さんの指摘にキーナーが狼狽える。
まあ大体そんなことだろうと思ってましたよ。キーナーちゃんはツンデレですからね。大好きな俺だからこそそうやって強く当たっちゃうんでしょう。
「そ、そんなわけないじゃない!ね、ねぇ!玲奈!」
「いえでも――」
「と、とにかく!私があんたを好き?!ふ、ふん!そんなこと万が一にも、いや、億が一にもないわ!」
話、雑談、チャットの最中でふと佐々川さんは真顔になると、キーナーを病室から追い出した。二人きりになった病室、佐々川さんの長い黒髪が夕焼けを反射し橙に光ると、朧げな視線を俺に向けこう尋ねた。
「どうですか?マイケル君は自分の非凡さがわかりましたか?」
非凡?いいや、平凡さ。
「……そうですか」
彼女は窓に目を向ける。遠い目をした彼女の瞳には夕日が鮮明に映し出された。
「私はマイケル君が好きです。飄々としているのにどこか男らしいところが。客観的なのに時々人間臭いところが。自分には凄く卑屈なくせして他人には優しいところが。私にとってのマイケル君は特別です」
それは友達という意味だろう。
「いいえ違います。と、言ってみたって多分卑屈なマイケル君のことだから信じないんでしょうね。今はそれでいいです」
……ああ、お前は俺が友達として好き、それを勘違いしているだけさ。……ところでなんでこんな話を?
「マイケル君はキーナーさんを守ってくれました。それには感謝しています。キーナーさんは私の数少ない、親友だからです」
ああそういうことか。それだったら礼には――
「しかし、だけれど、私は悲しくなりました。心配しました。嗚咽しました。なんでマイケル君は自分に優しくなってあげられないのですか?なんでマイケル君はいつも一人で行ってしまうのですか?」
……俺の替えなんて――
「いくらでもきく。そう思っているんでしょう」
……ああ、そうだ。
「……私はさっきも言ったようにマイケル君が好きです。それは異性として。だから、だから!傷ついてほしくない!一人でどこかへ行かないでほしい!ずっと私の隣で笑っていてほしい!なのに!どうして!どうして!――」
落ち着け佐々川。……ここは病室だぞ。
俯いていた頭を上げた彼女の眼には一筋の涙が流れた。それを発端に涙があふれだすと、彼女はまた顔を下げ、目を手で覆った。俺はこの時どうすればいいのか、何をやればいいのかわからなかった。わからなかったがこうなった彼女を放っておくのは俺の道理に悖る。俺は彼女を心配する気持ちを、言葉ではなく行動で示した。座位で横にずれると彼女をやさしく抱擁したのだ。服から漂う天日干しの晴れやかさ、彼女の体の小ささ、髪の艶やかさが感覚を通して感じられ、罪悪感と疑問とがないまぜになった。俺はしばらく、佐々川さんが泣き止むまでその態勢を続けた。
佐々川さんは落ち着いたようで、ありがとう、と一言小さくつぶやいた。俺は抱擁をやめる。
「ごめんなさいマイケル君。変な姿を見せちゃって。忘れてくれればいいよ」
そういって佐々川さんは病室の扉に手をかけた。
待て。
俺は声をかける。佐々川さんは手を止めた。
俺の話がまだ終わっちゃいない。佐々川さんの話だけ聞いて終わりってのはあれだろ。それに俺も思ったことがあるんだ。
佐々川さんに座るよう促す。俺はこう話し始めた。
まず第一に言えるのは、俺はまだ自分のことを特別だとは思っちゃいない。そりゃあそうだろう。俺みたいな人間、どこにでもいるからだ。
「やっぱり――」
いいや、まだだ。まだ続きがある。確かに俺は自分のことを特別だとは思っちゃいない。だが、それは普遍的な話だ。もしかしたら、佐々川さんが言うように俺は佐々川さんにとっての特別なのかもしれない。或いはキーナーにとっての特別なのかもしれない。普遍的じゃないから関係ないって?いいや、違う。誰かの特別であるだけでいいじゃないか。なぜそこに普遍性を求める。確かに普遍的であれば胸を張れるかもしれない。威張れるかもしれない。しかし、人生ってのはそれだけで良し悪しが決まるわけじゃないだろう。ほかの要素だって十全にある。だったら、俺は佐々川さんの言葉を信じてみようじゃないか。佐々川さんが俺を特別だと言ってくれた、その言葉を信じて生きてみようじゃないか。これは平凡な考え方かもしれない。だが、それでもいいじゃないか。誰かが、佐々川さんが特別と言ってくれたんだ。俺はそれを信じる。いいだろう?佐々川さん。それが「特別」なんて言葉を安易に使っちまった佐々川さんの責任だ。
佐々川さんの顔には笑みが浮かび始める。破顔一笑とでもいうのだろうか。抑えきれなくなったらしい佐々川さんは噴出した。
「……はい!」
やれやれ、俺の話はそんなに面白おかしかったですかね。こう見えても結構真面目に話したつもりなんですが。まあいいさ。佐々川さん、あんたにはやっぱりその笑顔が似合うぜ。そんなきざなセリフは心にしまった。
大学が忙しいです。




