薔薇の庭園
「はぁ、本当に社交界って疲れる…」
ユリアナ・スティファート。それが彼女の名前だった。スティファート家は名門伯爵家で、父も母も顔が広く、よく色々な茶会やパーティーに招待されるのだ。
ユリアナも一緒に参加するのだが、社交の場が苦手だった。人混みも疲れるし、それにどうもあの黒いオーラを纏った人たちの会話に慣れない。まぁ、全員が全員、纏っている訳でもないが。
そこで、挨拶が一通り済むと庭の隅に退避するようにしていた。
「それにしてもさすがロドン伯爵婦人ね。とても綺麗な庭だわ」
ロドン伯爵婦人は美的センスが素晴らしいと貴族の中では専ら評判だ。
ロドン家の家紋の象徴でもある薔薇の花が植えられているこの庭園は、日の光を浴びて輝いていた。庭にある噴水もとても涼しげで、白地に金の模様が上品な雰囲気をかもし出していた。
…そう言えば、この庭には赤い薔薇しかないのね。あれ?他の方の庭も、赤い薔薇だけだった気がするわ。
「…どうして白い薔薇は無いのかしら。綺麗なのに」
と、言ってしまってから「はっ」と気がつく。今の発言はロドン伯爵婦人の庭にケチをつけたことになる。こんなことをしたら「スティファート家のご息女が美的センスのあるロドン伯爵婦人の庭を侮辱した」と、家紋に傷がついてしまう。
まぁ、どうせ誰も聞いてないわよね。
念のため、後ろを振り返る。
パチッと青年と目があった。
白銀の髪はさらさらで、整った顔立ちはとても美しかった。伯爵家の使用人だろうか。薔薇の刺繍の入ったエプロンをつけていた。
そして、「信じられない」とでも言いたげな表情でこちらを見ている。
どうしよう。これってつまり、聞かれてたんだよね。よりにもよって伯爵婦人の使用人に…
場の空気を変えるため、軽く咳払いをする。
こほん…
「その…。今のは忘れてく…」
「…あのっ!し、白い薔薇、好きなんですか?」
え…?面白いことを聞くのね。
「…すみません、やっぱり何でもないです」
少しだけしゅん、と落ち込んだ表情をしたように見えた。
「大好きですわ。白い薔薇」
青年はこの言葉を聞くなり、さらに驚いた表情をする。あれ?私、もしかして答えを間違えたかな。
もしかしたら、いいえ、嫌いです。と答えるべきだったのかもしれない。
「えっと…ほら。花言葉も素敵ですし!」
「花…言葉、ですか?」
「ええ。深い尊敬とか純潔とか」
「……深い尊敬と、純潔……」
青年の顔がぱあっと明るくなる。
まるで今までいた暗闇の中から、一縷の光を見いだしたかのようなその表情に正直に答えて良かった、と心の底からそう思ったのだった。
「ユリアナ、こんな所に居たの?」
金髪の少年がこちらに向かって歩いてくる。
「あら?クロノ」
「お迎えの馬車が着いたけど…お取り込み中だったかな?」
「いいえ、大丈夫よ」
ユリアナは青年の方に向き直る。そして「失礼しますわね」とスカートの裾を持ち上げてお辞儀をしてからその場を後にした。
(ユリアナ嬢って言うんだ…)
青年は令嬢が遠くへ行って見えなくなるまでじっと見つめていた。
「おい、アルブス。てめぇ何ボーッと突っ立ってやがる」
ビクッと体が反応してしまう。
「ヴァイスさまっ。申し訳ございません!」
そこにがたいの良い男性が立っていた。ヴァイスは使用人の長を任されている人物だ。
「ったく。伯爵の血を引いてるからって調子に乗んなよ。白い薔薇の癖に」
「…申し訳ございません。ど、どうかお許しを。以後、気を付けますので」
「いや、何か罰をくれてやろう」
顎に手を当てて考え始める。
「…そういや、女王は白い薔薇が嫌いで、使用人に赤色に塗り替えさせたっつー話があったな」
「……っ!?」
「お前も赤に塗り替えてやるよ!血の色にな!後で裏に来いよ」
がはははは…
ヴァイスと呼ばれた男性は笑いながらその場を去っていった。
ゾッと背筋に寒気が走った。
アルブスは重い足をゆっくりと動かしながら自室へと戻る。ヴァイスや他の使用人に殴られた場所がズキズキと痛む。真っ白な服は血で汚れてしまった。
ふと目線を前に戻すと目の前に、よく見知った顔の女性が居た。
「母上…」
彼女は、滅多にアルブスの部屋に足を運ぶことはない。彼女が部屋に来る時は決まって、ろくなことが起こらなかった。
「まったく、いつまで待たせるつもりなの!?」
「…すみません」
「はぁ。こんなに服も汚して。汚ならしい。早くこの家を出ていく準備をなさい!」
「母上っ、それはどう言うことですか!?」
「その呼び方を、やめなさいと何度も言っているでしょう!?白い薔薇なんてウチには必要ないの」
「………っ!」
「精々、奉公先のスティファート家に迷惑をかけないよう努力することね」
冷たく言い放った後、すぐに彼女は戻っていった。
アルブスは自室に入ると直ぐに鍵をかけた。
俺、とうとう捨てられたんだ。
愛されることはないと頭では分かっていても、心のどこかで信じていた。
頑張れば兄さんみたいになれる日が、いつか来るって。必死に耐えてきた。もう限界に近かった。
…俺が、何をしたって言うんだよ。
拳を握り締めながらその場に崩れるように座る。
目から一筋の涙が流れ、床にポタポタと落ちる。
双子の兄さんはあんなに愛されているのに。
この家で俺は居ないものとして扱われている。
みんな、
白い薔薇、白い薔薇、白い薔薇、白い薔薇って…
ただ、髪の色が白いだけじゃないか!
どうして白い薔薇はダメなの?
どうして嫌いなのさ!?どうして俺だけ……
ーー大好きですわ。白い薔薇。
ユリアナ様…。あの時別に俺の事を言っていたわけではない事は分かっているけれど、「白い薔薇」を初めて肯定的に捉えてくれた。
なんだか、俺の存在を認めてくれたみたいで凄く嬉しかった。あの言葉にどれだけ救われただろうか。
「ユリアナ様…。もう一度、会いたかったな」
家から出ていく準備をして、伯爵の部屋へと重い足を向けた。