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悲哀の絵画  作者: 菅原やくも


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第三話 画霊と絵画と

 今度は、都内の国立図書館へ向かった。ベクシンスキに関する書籍、雑誌、新聞記事を片っ端から探してみることにしたのだ。

 それにしても、いろいろと調べていて驚いたのは、美術品と共に所有者が行方不明になる、といった事例は、少なくないということだった。たいていの理由は、金銭がらみだった。つまり、借金の担保として美術品を取り上げられて売り飛ばされるよりは、一緒に夜逃げした方が得ということらしかった。

 とすると、東欧美術館も資金繰りに問題があったのならば、その可能性も高いだろうと思われた。ただ、そうしたことを示唆する資料が見つかるのかといえば、そうでもなかった。


 ついでに、都内にいる友人の立川(たちかわ)伊澄(いずみ)に連絡を取った。彼女は翻訳や通訳の仕事をしていおり、国内外で顔が広く、英語はもちろん、フランス語やドイツ語、さらには北京語や韓国語も堪能だった。


 さらに欲を言えば、現在、ポーランドのベクシンスキ公式ギャラリーを所有管理しているというピョートル・ドモホフスキなる人物と、なにか直接コンタクトを取ることができないものかとも考えていた。こればかしは、現地まで足を運ぶのはさすがに厳しいものがあった。だからこそ、彼女のツテを頼って、少しでも連絡が取れないものかと考えた。


「それって、私への真面目な仕事の依頼?」私の話を聞いた彼女は言った。「それとも個人的な相談? でも、仕事の依頼なら断るわよ」

「じゃあ、個人的な相談にしておこうかな」

「冗談よ。おもしろそうだから引き受けるわ。でも私だって、そんなに暇じゃないから」

「大丈夫さ。まあ、極端な急ぎでもないし」

「相変わらず、勝手な人ね。まあいいわ、いろいろと当たってみるから」

「ありがとう、頼むよ」

「でも、期待しないで。収穫ゼロの可能性もあるわ」

「承知の上さ」


 もちろん私の方でも、出来る範囲で調査を続けたが、さほど進展はなかった。そして、一か月ほどが経った。そんなある朝、事務所に上がる前に一階の郵便受けの中身を確かめたときだった。

 雑多なチラシ、DMや請求書の封筒に混ざって、妙な封筒があるのに気が付いた。薄い黄色っぽい封筒で、宛先の記載も消印も無いことから、直接郵便受けに入れられたようだった。

 表には


〈オ探シノ絵画ニ関シテ〉


とだけ、稚拙で、青い字で書かれていた。

 裏を見たが、差出人の記載もなかった。いたずらかとも思ったが、今の仕事は絵画に関することだ。単なる偶然とも思えなかった。あるいは依頼人の仕業だろうか? だが、それにしては不自然だった。

 とにかく事務所まで上がって、デスクに腰を落ち着けてから封筒の中身をあらためた。


 中には、ずいぶんと古ぼけたような紙が、折りたたまれた状態で一枚入っていた。広げてみると4Aほどの大きさで、簡単な地図らしき手書きのイラストと、これまた稚拙な字で住所と思わしきものが書かれていた。それに地図上には、星印が一つ描かれていた。

 しかも郵便番号からして、場所は県内だった。ウェブのマップで調べてみると、どうやら大きな倉庫かなにかのようだった。とりあえず今日の予定は返上して、現地へ向かうことにした。


 その最寄りのバス停は小さい工業団地の入り口だった。目的の場所はそこから徒歩で通り抜けた先、人通りのほとんどない場所だった。

 おそらく貸倉庫には違いないが、一般向けのレンタル倉庫とかトランクルームとは違う、本格的な業者向けのものだった。とはいえ、人が出入りしているような雰囲気はなかった。警備会社のステッカーもなく、窓は汚れていてあちらこちらにヒビが入っていたり、割れているところもあった。正面のシャッターは全体にうっすら錆が浮かんでいた。


 周囲を歩いてみると、建物の裏手にドアがあった。どうせ鍵がかかっているだろうと思ったが、ノブは簡単に回った。丁番が錆びついているのか開けにくかったが、とにかくドアは開いた。探偵といえども、法を犯すのは大問題だった。だが今回は、リスクをとることにした。不法侵入は生涯で二度目だ。

 入ったところは、休憩室のような部屋だった。テーブルと椅子が乱雑に置かれていて、すべてが埃をかぶっていた。私は向かい側の扉へ進んだ。

 倉庫の中はがらんどうだった。窓からは光が差し込み、先ほどの部屋と同じく埃ぽかった。

「なんだ。なにも無いじゃないか」

 あの手紙はただのいたずらだったか……。私は訳もなく、倉庫の中ほどまで進んで全体を見渡した。すると、最初に入ってきた部屋の上あたりは中二階があるつくりになってるのが分かった。階段はなく、その代わりに梯子が壁についていた。そして、その場所に青と半透明のビニールシートで、不格好な大きなテントのようなものが作ってあった。

 これは、何かありそうだ。私は、はやる気持ちを抑えながら、近づいて梯子を上った。


 意外と広いスペースに、継ぎ接ぎのビニールシートが一つの部屋を作るかのような恰好をしていた。

 隙間を見つけて中へ入ると、半透明のビニールにくるまれたなにかが何個も並んでいた。それらが一瞬、巨大冷凍庫の中に吊るされて並ぶ、加工前の食肉を連想させてギョッとした。だが、実際のものは違った。白っぽいビニールシートが全体に巻かれているが、よく見るとそれは、イーゼルに乗せられた絵画であることは明らかだった。

 私は手前にあった一つから慎重に、ビニールを外した。美術鑑定の能力などは持ち合わせていないが、それでもこの絵が探しているベクシンスキのものであろうことは、おおよそ予想がついた。一つ一つ、慎重にビニールを外して回った。しかし、絵は全部で五十八点しかなかかった。

 晩夏とはいえ、倉庫の中は暑かった。唐突に目眩がして、これは熱中症かと思


 気が付くと、霞がかかったような、なんだか薄暗い場所にいた。地面はざらついていて砂っぽい感じだった。どこまでも黄土色をした、荒野のようなところに思えた。

 あたりに目を凝らすと、遠くには大きな建物が立っているような影が見えた。

「ああ、なんだここは?」

 私は倉庫の中にいたはず……ここは、まるで、ベクシンスキの絵画の中みたいだ。ふと、そんな思いがしてハッとした。ここはどこなんだ? まさか……絵の中に? そんな、あり得ない。

「珍しいことですこと。訪問者がいらっしゃるなんて」

 突然、後ろから声がして振り返った。

 そこにはスーツ姿で長身の女性が立っていた。黒の長髪、真っ黒な服、シャツもネクタイも黒だった。ただ、その青い目、白色の手袋と明灰色のハット帽がえらく印象的だった。

「あ、あなたは?」

「私は、ガレイです」

「ガレイ?」

「つまり、絵画の中に住む精霊だとか、妖精といったところです」

 それで、ガレイという言葉の意味が分かった。

画霊(がれい)か……。その、絵に憑りついている、ということですか?」

「それはあまり、適切な表現とも言い難いような気もします。絵画とともに生まれ、ともに過ごす者とでもいう表現がいいでしょうか? 絵画の一つ一つには、大なり小なり画霊がついているのものなのです」

「あるいは、宿っているという言い方では?」

「それは、ぴったりかもしれませんね」そう言って彼女は微笑んだ。

「まさかと思うが、ここは絵画の中などということは……」

「ここは、絵の中でございます」

「そんな! 非現実的な。でなければ、幻覚か」

「どう思われるかは、観覧者のご自由です」

 それからその女性は、ゆっくりと歩き始めた。私はとにかく彼女の横に並んで歩いた。


 相変わらず景色は、モヤモヤとした感じだった。かといって煙たいということもなく、奇妙な感覚だった。

 カサカサという音がして、何かが近づいてきた。頭部が仮面をつけた人間を思わせる、巨大な蜘蛛のような生き物が現れたのだ。私は思わず身構えた。

「大丈夫です」

 画霊と自称する女性は、とても落ち着いたようすだった。「いたずらをすることもありませんから。きっと、久しぶりの来客に、珍しがっているのでしょう」

「ほ、ほんとうですか……」

 その生き物は、私の周囲をぐるりと回ると、またどこかへ行ってしまった。

 それから、空が少し明るくなったと思うと、モヤの切れ目が現れた。空はとても青かった。それから音もなく、まるで筒みたいな機体の、大きな飛行機のような物体が飛んでいった。それから、なにか、まるで巨人のような、見上げるほど大きな、民族衣装を身にまとったような、人のかたちをしたなにかが、ゆっくりと歩いて行くのがみえた。

 私はなにも、言葉にできなかった。ただただ、目の前の圧倒的な景色に、立ち尽くして呆然とするだけだった。

 またしばらくすると、景色はモヤに包まれていった。

「進みましょうか?」女性はそっと言った。

「ええ……はい」


 無言のうちに進んでいると、また別のなにかが見えてきた。

 近づくと、黒い台形の台座に、見上げるほどの高さがある、青灰色のオブジェのようなものが建っているのが分かった。

 まるで複数の裸の男女が複雑に絡み合い、全体的にねじれ、それぞれの身体が不自然に溶け合って融合しているようデザインに思えた。

「ここに立つ彼らは、かつて絵の所有者だった人達です」

「え?」

「彼らはこの世界で、長く暮らし過ぎてしまったのです」

「な、なにを仰っているのです?」

「ですが、望んだのは彼ら自身でした。私に止める術はありません」

「どういうことですか? それは……」

「絵画の中には、時として超自然的な力が宿ったものがあるのです。今まさに、貴方もそれを体験されているでしょう?」

 返す言葉が、とっさには思いつかなかった。

「私は気が付いてしまいした。絵画というものは人に観てもらうべきものですが、それでも……中には例外もあるということを」

 そこまで聞いたところで立ち眩みの感覚に襲われ、目の前が真っ白になった。


 気が付くと私は、最初の目眩に襲われる前の状態で、絵画の前に立ち尽くしていた。

 だが、目の前には大きな違いがあった。さっきまで絵が描かれていたはずが、並んでいるイーゼルに乗せられている、額縁のついたキャンバスにはなにも描かれていなかった。全てが白紙になっていた。

 ただ、目の前にある一つだけには、黒い絵の具で小さく〈Do widzenia〉という文字が書かれていた。

「ドゥ、ウィドゼニア……」

 なんの意味だろうか? あいにく英語は苦手だ。

 ともかく、デジカメを取り出し、数枚の記録写真を撮った。もちろん最後には、外したビニールは元に戻した。いろいろと触ったものをそのままにして出て行くわけにはいかなった。そのまま倉庫を出て、平静を装って道を戻った。

 ずいぶん長い時間を過ごしたような気がしていたが、正味一時間ほどのことのようだった。あるいは、自分が思っている以上に、ストレスを感じているのかも分からない。あの倉庫の絵は初めから白紙で、幻覚でも見ていたのかもしれなかった。

 帰りの電車の中で、この一件を続けるべきか否かを考えていたが、結論を出せないまま、最寄り駅に着いてしまった。

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