君の住処
この手紙を読んでいるという事は、私はこの世に居ないという事でしょう。だから最後に手紙に書き留めておこう。
私は晩年、財政的に破綻し住処を失った――――居場所が無くなった。
住処を持たない者は往々にして信用も持たない。当り前ではあるが日本の自治体行政はそこに住処がある者を前提としてサービスを提供している。そして住処を持たない者をアングラな世界が口をぽっかりと開けて誘う事もあるが、私はその世界への入る事を拒んだ。それが故の今なのだろう。
私は今、路上で寝泊まりをする生活をしている。まあ、それを生活と言って良い物なのかはどうかは分からないが……。
もうどれ位この生活をしているのか分からない。恐らく今は2018年だと思うが、今の私にとってカレンダーという物は必要ない。いつ何があるかなど関係無い。今日のこの日がどんな日であるか等どうでもいい。今日明日の食べ物を心配するだけの生活が続くだけである。
だが今が年末、師走時である事は分かる。街の雰囲気からしても分かる。この時期は日が射している時間においても寒さが堪える。
夜も7時を過ぎれば寝床を探す。ようやく見つけた寝やすそうな場所にダンボールを敷いて、冬用ジャンパーを着たまま顔まですっぽりと毛布に包まる。だがほんの少しの隙間から冷気が入り込み中々寝付けない。縮こまって寝ていても冷気が容赦なく入り込む。毛布1枚では暖かさを維持するのは困難だが複数枚の毛布を私は有していない。歯を噛みしめ両手を握りしめながら睡眠を取る努力をする。ようやく寝付けたとしても直ぐに寒さで目が覚める。そんな毎日は容赦なく体力を奪っていく。
単に気持ちの上で弱っているだけかもしれないが、そんな日々を繰り返すに当たり「もう終わりが近いのかも知れない」と勝手な自己診断をする。
だから最後にこの手紙を残そうと思う。しかし何を書くでも無い。何も書く事は無い。自分の今の気持ちを書くだけであり、これを読む人がいるのかどうかも分からないし誰に宛てた手紙でもない。
別に今の自分を卑下しているつもりも無い。また返り咲きたいとも思わない。何が出来る訳でも無い。何を持っている訳でも無い。自分の年齢を考慮すればこの先の人生などに大した意味は無い。
死にたいと言う願望がある訳では無い。かと言って生きていたいという願望も無い。いまさら贅沢をしたいとも思わないが、せめて温かい食事に温かい風呂が欲しい。そして今はただただ、「暖かい布団でゆっくりと眠りたい」と思うのみである。
そんな内容が書かれた手紙を見つけた。私は財政的に困窮している人達を支援するNPOで活動しているが、この手紙はそのNPOの事務所に保存されていた。聞けば今から20年程前、凍死が原因で亡くなったとあるホームレスの手に握りしめられていた手紙と言う事だった。もう少し長生き出来さえすれば暖かい布団で最期を迎えられた可能性があっただろう事を思うと非常に残念だ。
今から5年前に「任意隔離法」という法が施行された。これは満30歳を迎えた日本国籍を有する者を対象とした法律である。
『自らの意志を持って、一般社会生活から退く』
「退く」とは「この世を去る」という意味で無く、「自ら隔離される」という意味である。いわば究極のニッチなニーズに対する福祉の1つとして施行された。それを揶揄するように「気力原理主義」とも呼ばれた。
隔離場所としては軽微な受刑者が入る刑務所があてがわれ、そこに収容されている一般受刑者との共同生活を送る事になる。そこでは受刑者と同じルールが適用されるが受刑者とは呼ばれずに「自己隔離者」「自隔者」と呼ばれた。一応、受刑者と同じ扱いなので労働もあり、短くはあるが自由時間もある。
その制度を利用するには満30歳からという余裕を持っての条件ではあったが、実際に法律を施行した所、30歳なり立ての若い世代も存外多かった。
勤労意欲が無い。仕事を探すのに疲れた。起業する意思もないが人に使われるのも嫌だ。自殺するつもりも無いが労働意欲は無く、かといってホームレスも嫌だ。やりたい事もなく、ただ生きる為に働く気力は無い。そんな理由であった。
生きる意志があるなら生きる支援をする。働きたいという意思があるなら働く為の支援をする。労働意欲も無く生きる意志も無い者には支援しないかわりに任意隔離法という選択肢がある。今ではそういう考えが是とされている。
法律としては最低3年から年単位で任意の年数を自身で決めた上で任意隔離法が利用できる。ただし、利用する個人に資産がある場合には国庫へ納付しなければならず、納付された分は任意隔離法の運用に充てられる。
暮らす場所は刑務所ではあるが、その最大のメリットとしては『衣食住』が確保されるという事にある。更には健康面でも通常の刑務所同様24時間体制で管理され、入院も無料であり「衣食住+医」というメリットが享受出来る。
法律の運用開始後、ホームレスの路上における凍死が減ったという報告があった。しかし「衣食住+医」が保障されているとはいっても不自由な刑務所に行くのは嫌だ、親族からも「そんな真似はするな」と言われる人も多いので全てが上手くいくという訳では無い。あくまでも個人の意思が尊重される。
とはいえ稀ではあるが、親族からの要望により「任意隔離法」を利用するケースもあった。俗に言う「引き籠り」という状態の対象者がDVを働くというケースで、親族がお願いするというケースだ。
対象者本人の意思が原則となっている本法律であるが、こういった場合には簡易裁判所への申し立てにより強制的に任意隔離法が稀に認められる。認められると警察が対象者を拘束し、そのまま刑務所へと送られる。
多くの場合、裁判所へ申し立てられた時点で対象者は引き籠りを止めて家を出る、若しくは職を探し始めるという行動に移るが、それ以外の人物はあくまでも労働を拒否、自室に最後まで籠るという行動を取った。その場合には親族の了解を経て強硬侵入し拘束される。これには否定的な意見も存在するが親族からの要望、且つ裁判所も介入しているという事なので大半の人は是としている。
高齢受刑者の申請も多かった。高齢受刑者の場合には社会復帰しても居場所がないという事で任意隔離法を申請する事も多々あった。また、年末から正月にかけては暖かい布団で寝たい、確実に食事にありつきたいと言う理由で軽犯罪を犯すという高齢の軽犯罪常習者の申請も少なからずあった。これにより刑務所に行きたいが為に軽微な罪を犯すという動機の人物は減少した。
増加する任意隔離法の申請者に呼応して刑務所も増設された。
自由と引き換えの完全公費による「衣食住+医」の提供は国民からも「相殺される」という事で多くは歓迎した。だが一方では「そんな生き方は正しくない。国がそんな事を推奨するような真似をすべきでは無い」と言った意見が絶えないのも事実である。
今私はNPOで働いているが多額の借金を抱えている。別に放蕩の末での借金では無く、あくまでも生活の為の借金だ。
生活を切り詰め、夜間バイトの副業もしながら何とか生活をしているがジリ貧といった状態で来月はどうなるか分からない。どうすればいいのか分らない。こんな生活から逃げたい。今すぐにでも逃げ出したい。
「他人の支援などしている場合か。NPOなんて辞めてもっと安定した仕事を探せ。もっと生き方を考えろ。働いてるのに借金しないと生きてゆけないなら今のお前の生き方は正しくない」
そんな言葉を言われる事も多々あるが、それなりの動機をもってやっている。今更他の職業を探せと言われてもそうそう見つかる物では無い。正直な気持ちで言えば「任意隔離法」を利用したいという欲求もあるが踏ん切りが付かない。そもそも「生き方の正解」があるなら教えて欲しい。
来年私は一般社会にいるだろうか。それとも刑務所にいるのだろうか。若しくは――――この世から去っているのだろうか。
特に何が言いたい訳ではありません。あくまでもフィクションです。
2019年12月27日 3版 句読点多すぎた
2019年08月03日 2版 諸々改稿
2019年04月06日 初版