プロローグ
連載作品始めました。
初めての作品になります。どうか生暖かい目でよろしくお願いします。
登場人物
藤田 一之 男。35歳。内閣総理大臣。
桜坂 ことり 女。31歳。副総理兼内閣官房長官で、藤田の元秘書。
大久保俊彰 男。35歳。次期内閣総理大臣。
1月10日水曜日
週末からの雪は落ち着き、結露した溜池山王駅は、国会議事堂前駅と競いながら、通勤する人々を絶えず吐き出している。正月で立ち込めていた「ハレ」は「ケ」にその座を譲り切り、「今日」だけが量産される日々が再び動き始めていた。変わってるところといえば、多くの記者や写真、テレビのカメラだけでなく、一般人までもが通りを挟み、こちらの出を待ち構えているところだろうか。
官邸の国旗はゆったりとたなびき、新たな宿主を迎え入れようとしている。私は今日で立ち去る古い宿主としてまっさらとなったデスクに座り、窓の外から雲の数を数えていた。
私、藤田一之は今日、内閣総理大臣の職を退く。
このように何も考えなかった日はいつぶりだろうか。特に「勇退宣言」を発した1年前からはだいぶ楽になった気がする。引継ぎも半分いい加減だったことは内緒だ。
「総理、時間です」
最初は秘書だったこの桜坂ことりも、途中で議員となり今や副総理兼官房長官という立派な肩書を背負うようになっていた。私が去った後も彼女がいれば何とかなるだろう。私は席を立つ。
「行こうか」
正門前では与党の幹部、官邸のスタッフが何重もの輪をつくり、私を拍手で出迎えてくれた。先の衆議院選挙に出馬もしなかった私は、35歳にして今日から完全に職なしとなる。ここに来ることは金輪際とは言わないがしばらくないだろう。
10年共にしたこの場所を去るのは名残惜しい思いもある。だが、私がこれ以上居座り続けることはこの国のためにはならない。だからこそ1年前から勇退宣言を出し、後継者を見つけ出した。
自分で言うのもなんだが、ここまで退任を歓迎される総理も珍しい。大体は汚職がバレたり政争に負けたりすることが原因というバッドエンドだ。これを超える大団円を作れるものなら作ってみろと言いたくなる。まあそれはいいとして。
スタッフに促され、輪の中心で最後のスピーチを行う。
「この国を変え、国民の生命、安全を守り抜くことができたのは、ひとえに皆さんのおかげです。ここから先、何が起こるか分からない。しかし諸君には茨の道を抜けてきた知性と強さがある。日本の未来を諸君に託します。10年間本当にありがとうございました」
内と外から喝采が挙がる。泣いている人もいた。ちょっと引いた。とはいえしかし、そこまで自分を思ってくれたのはありがたいごとである。ことりがバラの花束を渡しにやって来る。彼女は少し目を潤ませ、私に聞こえるだけの大きさで囁いた。
「私は良い秘書でしたか……?」
「最高の秘書で、盟友だったよ。次の政権もよろしく頼む」
「……はい、お疲れさまでした」
微笑みながらも恥じらいがあるのか、語尾で視線をそらし、一礼することり。年を経ても、昔からのあどけなさは抜けないようだ。今度は次期総理の大久保が私に歩み寄る。
「先生、どうかお元気で」
「ああ、頼んだぞ」
堅い握手を好機ととらえ、向かいからフラッシュが一斉にたかれた。輪は花道となり、通りの送迎車へと続いていく。朝日にスポットのごとく照らされ、拍手を浴びながらゆっくりと歩を進める。ついに私の政治家人生は幕を下ろしたのだ。
動き出す車の中で新たな日常への思いが巡る。これから何をしようか。これまで何をしてきたか。一体何ができるのか。不安や希望、好奇心、ノスタルジー……。様々な思いが一つの坩堝に煮込まれていった。
そして数時間後、私はロスに陥った。