命運
カズマは衝撃を受けて、目を開けた。
医者が、カズマの胸に注射を突き立てている。
ひどいことをする。
医者に文句を言おうとして、思い出した。これはカズマが望んだことなのだ。カズマはもうすぐ死ぬ。残された時間はそれほど多くない。死んでしまう前に、伝えておかなければならないことがある。
「ソーマ」
息子に声をかける。神妙な顔で、ソーマが枕元に立った。
「はい」
「このヤスダでの裁定は見事だった。わたしのようになる必要はない。自分の信じる『正しさ』に正直に生きろ」
「はい……」
「今回の襲撃の裏には、アサオ家がいる。わたしが死んだら、必ず攻勢を強めてくるはずだ。用心するんだぞ。ヤマウチ家の命運はお前にかかっているんだからな」
「わかったよ、父さん」
「リツカ?」
娘の名を呼ぶ。ますます亡き妻に似てきた娘は、カズマの手を握ってくれた。
「はい、お父さま」
「操翼士は危険な仕事だが、それでもなりたければ好きにしろ。ただし、どうせやるなら師匠を超える最高の操翼士になれ」
「そんなこと、いいの。わたし、お父さまに死んでほしくない」
リツカの声がふるえ、その目からは涙があふれだした。
カズマの胸に、娘へのいとおしさが満ちる。
「人は死ぬ。今回は、たまたまわたしの順番だったというだけだ。お前とソーマのおかげで、とても幸せな人生だった。ありがとう……」
不意に疲労感をおぼえて、カズマは目を閉じた。
このまま眠るように逝くことができれば……いや、他にも誰かに伝えたいことがあったはずだ。
カズマは苦労して目を開ける。周囲に集まっている人の顔を見て、思い出した。
「ケニチ」
苦労人の護衛隊長は、表情を変えずに近づいてきた。
「なんですか、社長」
「お前のチームは最高だ。わたしが撃たれたのは、わたしのミスのせいだ。トモもソータもできうる限りのすべてをつくしてくれた。感謝している。二人を責めないでやってくれ」
「お褒めにあずかり、光栄です」
「わたしがいなくなっても、同じようにカズマを助けてやってくれ……」
「ご命令、たしかにうけたまわりました」
ケニチが敬礼をした。それにあわせて、ケニチの部下四人も一斉に敬礼をする。
実に訓練が行き届いている。彼らなら、ソーマやリツカを守ってくれるだろう。
カズマはふたたび目を閉じた。
もう、いいだろう。さすがに疲れた。息をするのもしんどくなってきている。医者に頼んで注射してもらった薬の効果も、これまでのようだ。
と、脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。いつも無表情で、どこか自暴自棄なところのある男だ。いつかは彼の笑顔を見られるかと思っていたが、結局見られなかった。
「……オリオ……」
「はい、ここに」
カズマは目を開けたが、視界がぼやけてオリオの姿をはっきりと見ることはできなかった。それはそれで、仕方がない。
「お前の献身に、心から感謝している。お前がうちに来てくれてからは、ずっと助けられてばかりだった……」
「とんでもない。助けていただいたのはわたしのほうです。カズマさまは悪鬼と化していたわたしを人間に戻してくださったのです。本当にありがとうございます」
まったく、律儀な男だ。
カズマは思わず微笑んだ。
「変えられない過去を後悔するな……前を向け。自分を罰しながら生きるには、人生は長すぎるぞ、オリオ……いいか……自分を許すんだ……」
カズマはゆっくりと目を閉じた。疲れた。息をするのもつらい。
だが、まだ終わりにはできなかった。
「オリオ……返事は……どうし……た……」
「できるかどうか自信はありませんが、努力します」
いかにもオリオらしい答えだった。
元気だったら、声をあげて笑っているところだろう。
カズマは上機嫌だった。
リツカが握ってくれている手があたたかく、心地よい。
こんな終わりも、悪くない。
カズマはゆっくりと息を吐き、二度と吸うことはなかった。
次回、新章突入!
当主を喪ったヤマウチ家に、さらなる魔手が迫る。怒涛の第3章を、ぜひお楽しみに。




