判断ミス
キョーヘーは血を吐いた。
ちくしょう。なんなんだ、これは。
自分が吐いた鮮血を見て、キョーヘーは首をひねった。血を吐くようなケガはしていないはずだった。なにかにつまずいて転んだ拍子に胸を打ったような気がしていたが——。
キョーヘーは自分の胸を見て、愕然とした。胸の左側が血で染まっている。
撃たれたのだ。どうりで息苦しいはずだった。
胸を押さえてみる。流れ出す血の量が多い。体の力が急速に抜けていくのを感じて、キョーヘーはパニックになった。
いやだ。死にたくない。まだレイチェルとはキスしただけだ。二人の関係は、ついさっきはじまったばかりなのに。
「キョーヘー!」
レイチェルの声が聞こえる。
ああ。おれはここだ、レイチェル。
レイチェルの顔が脳裏に浮かんだ。キスしたときのレイチェルの香りも思い出される。硝煙と、汗と、土と、そしてどこか甘い花のようなにおいだった。
あのキス、最高だったな……。
キョーヘーはレイチェルの唇の弾力を思い返しながら、微笑んだ。
そして静かに息を吐き、二度と吸うことはなかった。
「キョーヘー!」
ユイは階下に戻りかけたレイチェルの腕をつかんで引き戻す。
直後に、レイチェルが顔を出した場所にアウムの機銃弾が降り注いだ。
「バカなことしないで。キョーヘーがまだ生きているなら、きっとさっきみたいに隠れているはずよ。もう一度——」
レイチェルが両手で顔を覆い、くずれ落ちた。
「もう無理よ……今、見えたの。胸を撃たれてた……わたしがキスなんてしなければ……はやく逃げていれば……」
ユイはレイチェルの心痛を思って胸が苦しくなった。
好きな男が撃たれたのだ。しかも、自分のせいで。心を引き裂かれるような苦悶に包まれているはずだった。
しかし、悲嘆に暮れている余裕はない。
ユイは心を鬼にして、レイチェルの頬を思いきり張った。
「レイチェル、わたしたちはここを切り抜けなくちゃいけないのよ。自分を責めるのは、ここから脱出した後にしなさい」
涙を浮かべたレイチェルが、ユイを見上げている。その姿はまるで迷子になった幼い子どものように、心細そうに見えた。ユイはレイチェルを抱きしめてあげたいという強い欲求を飲みこみ、わざと乱暴にレイチェルの肩をつかんで揺すった。
「わたしたちは生きるのよ、レイチェル。わたしはここを切り抜けて、もう一度マコトに会いたい。あなたにだって会いたい人がいるでしょう? クリストファー、オリオ、アムリーシュ。みんなにもう一度会うためにも、ここで悲しんでいる時間はないの」
レイチェルの目に、ゆっくりと力が戻ってくる。
涙をぬぐうと、レイチェルは立ち上がって小銃の弾倉を確認した。
「ありがとう、ユイ姉。もう泣くのはおしまいにする。次に泣くのは、みんなに再会したときね」
ユイは気丈にふるまうレイチェルへの愛おしさをこらえきれず、レイチェルを抱きしめた。その耳元で、ユイはささやくように告げる。
「さっきの作戦、もう一回できる? わたしが階段からアウムの注意を引きつけるわ」
「ええ。やろう、ユイ姉」
「気をつけてね」
「ユイ姉も、気をつけて」
レイチェルはユイにむかってちいさくうなずくと、小銃を片手に窓へと近づいていく。
と、次の瞬間。レイチェルが床に倒れこむのと同時に、窓から大量の機銃弾が撃ちこまれてきた。
「レイチェル!」
ユイはレイチェルに駆け寄ろうとしたが、銃撃の激しさに思わず床に伏せた。
しくじった。音を聞きつけて集まってきたアウムは、一機だけではなかったのだ。ビルに入ってきたアウムのほかに、外から別のアウムも近づいてきていたのだろう。当然予想していてしかるべきだった。完全にユイの判断ミスである。
お願い、レイチェル。無事でいて……。
ユイにはそう祈ることしかできなかった。
徐々に狭まっていく、アウムの包囲網。逃げ道が次々とふさがれていく。
わずかな光を求めてあがく人間。その行く先は、生か死か。
次回、『突破口』をお楽しみに。




