ヤスダの街
ヤスダはヤマウチ領の東部にある、比較的大きな町である。製造加工業が盛んで、多くの日用品がここで作られている。また、日用品は領外に輸出されて、その売り上げはヤマウチ領では手に入らない希少資源の輸入にあてられていた。
ヤスダのような生産拠点は領内に何ヶ所かあるが、とくにヤスダは東に隣接するアサオ領とは領界に関する争いが絶えず、いつなにが起きてもおかしくない緊張感に満ちていた。
リツカはヤスダの街を歩きながら、人々のにぎわいの中にひそむ緊張感を敏感に察知していた。タコの備品購入にかこつけてオリオと二人きりで外出したのだが、どうにも気持ちが落ち着かない。
「なんだか、この町はこわいな」
「そうですか? どのへんが?」
オリオがけげんな表情を見せる。
「どこがどう、とは言いにくいんだけど……」
リツカはため息をついた。リツカはなぜか他人の気持ちやその場の雰囲気のようなものを敏感に察知してしまうのだが、この感覚を他人に説明することは難しい。説明をあきらめたリツカは、話を変えることにした。
「ねえ、オリオ。あなたが操翼士世界一決定戦で優勝したときのことをおぼえている?」
「もちろんおぼえていますよ。お嬢さまにせがまれて、一度だけという約束で出た大会ですから」
「あのときのオリオの姿を見て、わたしは操翼士になりたいと思ったのよ。オリオは、どうして操翼士になろうと思ったの?」
オリオはすこし考えこむ表情になった。
「とくに理由はなかったと思います。最初は、適性があると言われて、タコに乗せられただけでしたから。でも続けられたのは、空ではひとりになれるから、でしょうか」
その感覚は、よくわかる。誰かと一緒にいることは、ときに疲れる。誰かの意志を尊重すると、別の誰かの意志を切り捨てなければならない。それはとても苦しいことだった。
リツカはとなりを歩くオリオの横顔を見つめた。リツカが地上で父をはじめとした多くの人々との軋轢に悩んでいるように、オリオも地上にあるなにかに苦しんでいたのだろう。きっと心のどこか深い場所で、助けを求めている本当のオリオがいるに違いない……。
不意に路地から飛びだしてきた少年が、リツカにぶつかってきた。リツカはよろめいてオリオの腕にしがみついてしまった。
「ねーちゃん、ごめんね!」
少年はなにもなかったように走り去ろうとしたが、瞬間、オリオが鋭く動いて、少年の腕をつかんでひねりあげる。痛みに顔を歪める少年を見て、リツカはあわてた。
「ちょっとオリオ、やめて。ぶつかったことは謝ったんだし、そんな――」
「小僧。盗んだものを今すぐに出せ」
オリオがこわい顔をして少年をにらみつけると、少年は観念した様子で目をぐるりとまわした。
「まいったなぁ、人の良さそうなねーちゃんだから、いけると思ったんだけど」
少年は言いながら、赤い財布を出した。リツカはあわてて自分のバッグを見た。財布がなくなっている。
「彼女はそうだが、おれはそこまで人が良くない。相手が悪かったな」
オリオは少年の手から財布をとりかえすとリツカに差し出す。リツカは財布を受け取って、少年の顔をのぞきこんだ。
「あなた、お名前は?」
「タロー」
少年は即答したが、その迷いのなさがかえって不自然だった。
「それで、本当のお名前は?」
面食らった顔をした少年に、リツカは笑いかける。
「まあ、言いたくないならいいわ。どうして盗もうとしたの?」
「盗まないと食っていけないからさ。決まってんだろ」
「おかしいわね。住人は年齢に関係なくみんなヤマウチ・エンタープライズの社員になっていて、生活は保障されていると思うのだけど」
首をひねるリツカに、オリオが言った。
「越境者ですよ」




