助かる可能性
オリオは滑走をはじめた輸送機を空から見た。輸送機は、滑走路上の感染者をなぎ倒しながら速度をあげていく。ぎりぎりのところだったが、地上部隊の撤退は無事に成功したようだった。
オリオは照明弾に照らされた地上の様子をあらためて眺める。驚くほどの数の感染者が集まってきていた。壊滅したはずのトーキョーでも人が生き残り、瓦礫の中で子どもを産み育てていたのだ。感染者がこれだけいるということは、それ以上の未感染者がいると考えていいだろう。人間という生き物はとてもしぶとく、強い。
ほら、あんな建物の屋上にまで——。
人の動きが見えた建物の屋上に目を向けたオリオは、自分の目を疑った。そこにいたのは、防護服を着た人物だったのである。部隊の誰かが取り残されているのだ。そして、その人物に、感染者がゆっくりと歩み寄っている。
オリオは即座に操縦桿を倒した。急降下して屋上の二人に接近しながら、ニードルガンの狙いを感染者に定めた。
頼む、間に合ってくれ。
オリオは祈りをこめて引き金を引いた。
「いいね、やってみせろよ。おれはもう、逃げも隠れもしないぜ」
マコトはカズノリと名乗った感染者に言って、両手を開いた。カズノリはナイフを持った手を不規則に上下させながら、目をぎらつかせて近づいてくる。
あまり苦しまないように、一発で致命傷を与えてくれるといいのだが。
マコトは運命を受けいれる覚悟を決めて、静かに目を閉じた。
次の瞬間、鋭い音が聞こえてその場の空気が震えた。驚いてマコトが目を開けると、目の前でナイフを振り上げていたはずのカズノリが倒れている。カズノリの体を刺し貫いて屋上の床にぬいつけていたのは……。
ニードルガン! タコか。
マコトが見上げるのと同時に、急降下してきたタコがすぐ近くを通過していく。操縦者の顔がはっきりと見えた。オリオだ。
よかった、助かった……わけではなさそうだった。
マコトは冷静に状況を分析した。この屋上は狭すぎて、タコは着陸できない。オリオの腕ならば、無理やり着陸させることもできるかもしれない。しかし、滑走距離が確保できないので、着陸したら最後、二度と飛びたつことはできない。ほかにタコが離着陸できるような場所は、近くにはない。あったとしても、満身創痍のマコトが感染者たちを突破してそこまで行くことはできない。
無理なのだ。状況は完全に詰んでいる。マコトが助かる道は残されていなかった。
マコトはオリオのタコに向かって手をふり、帰るように伝えようとした。しかし、オリオ機は翼をひるがえして戻ってくる。通り過ぎながら、オリオは風防ガラスを開けて防護マスクをはずし、怒鳴った。
「マコト! 次で飛び乗れ!」
本気か?
マコトはオリオの無謀さにあきれたが、これが唯一の方法だということに気づいていた。マコトが助かる可能性は、わずかだが残されていたのだ。
いいだろう。ユイにまた会うためなら、なんだってやってやろうじゃないか。
マコトは身軽になるために防護服を脱ぎ捨てて、オリオ機が戻ってくるのを待った。
オリオ機が可変翼を広げて、ゆっくりと近づいてくる。失速してしまうのではないかと心配になるほどの低速である。このスピードなら、飛び乗ることもできそうだ。
オリオ機が屋上すれすれに滑空してきた。しかし、いざ近づいてくると、やはり恐怖感が先に立つ。タコは大きく、速く見えた。あんなものに飛びつくなんて、狂気の沙汰に思えた。
しかし、マコトは必死で自分に言い聞かせた。
帰ってユイに会うんだ。できる。大丈夫だ。
タコの機体が、マコトのすぐ右を通る。眼前に迫ってくる翼に向かって、マコトは飛びついた。タコの翼が、腹に当たる。一瞬息が詰まったが、マコトは必死にしがみついた。
タコがゆるやかに加速して、上昇していく。先ほどまで立っていた屋上が、遠ざかっていくのが見えた。
やった。うまくいった。
マコトがそう思った瞬間、右手がすべった。カズノリのナイフで傷つけられた右腕に耐えがたい痛みがあり、力が入らない。翼の上によじのぼるどころではなく、落ちないようにつかまっているのがやっとだった。
さらに手がすべる。
だめだ。これ以上はつかまっていられない。
「マコト!」
オリオがコクピットから体を乗り出し、マコトに手をさし出している。マコトは、その手をつかんだ。
瞬間、マコトは失敗に気づいた。マコトがのばしたのは、ナイフで傷ついて血まみれの右腕。一方で、オリオが伸ばした手も、タカヤマで負傷した右腕だったのだ。互いに力が入らず、ずるずるとすべっていく。
だめだ、落ちる!
任務を終えて、部隊はチノへと帰還する。
しかしそこで待ち構えていたものは……。
次回、第八章最終話『チノの明かり』をお楽しみに。




