はなればなれ
「しばしの別れだな、オリオ」
ソーマが穏やかな表情で手を差し出してきた。
「帰郷の無事と、査察で良い結果が出ることを祈っています」
オリオはそう応じると、そのソーマの手を握った。ソーマの手は思いのほか力強かった。
前日にチノへ到着したばかりではあったが、ソーマたちは査察官をともなって、あわただしくチノを発つことになったのである。アサオ家がアウム工場を稼働させて近隣を攻撃しているというソーマの訴えは、それだけ重大なものとして受け止められていた。
一方で、タカヤマの東で見つかった巨大アウム工場に対しては、攻撃作戦であるハンマーストライクが発動された。このため、開催が予定されていた操翼士世界一決定戦は延期されて、大会のために集まっていた操翼士全員に参加要請がおこなわれている。オリオも、ヤマウチ家への転籍を決めたアサオ家の操翼士トム・スギタも、ともにハンマーストライクへ参加することになっていた。
「なにをそんなに心配そうな顔してる、オリオ。俺たちがついているんだ。問題ない」
そう笑いかけてきたのは、ケニチ・サトーだった。ヤマウチ家の護衛隊長であるケニチとその配下のシオン、クロードも、ソーマに同行してヤマウチ領へ戻る。
「信頼してるよ、ケニチ」
オリオはケニチとも握手をかわした。
そこに、リツカが近づいてくる。リツカは、オリオの負傷した右肩にそっと触れた。
「あまり無理をしないでね、オリオ」
「はい、お嬢さま。操翼士の義務としてハンマーストライクに参加はしますが、この傷ですので、前線で戦うことはないはずです」
リツカはオリオの前でしばらくためらっていたが、不意にオリオの胸に飛びこんできた。オリオの背中に回されたリツカの両手に、力がこめられる。オリオは戸惑いながらも、リツカの背中を抱いた。
衣服をとおして伝わってくるリツカの体温を、オリオは全身で受け止める。そのぬくもりの心地よさに、オリオの心はふるえた。
「オリオ。また、一緒に、飛ぼうね」
リツカがオリオの腕の中で、つぶやく。
「はい。その日を楽しみにしています」
オリオは答えた。
言葉のないまま、互いを抱きしめて相手の息遣いを感じるだけの時間が過ぎた。
「リツカ、行くぞ」
ソーマから声がかけられて、ようやくリツカはオリオから離れる。
「それじゃ、またね」
「はい。お嬢さまも気をつけて」
短い言葉を交わして、オリオはソーマたちと一緒に輸送機に乗り込むリツカを見送った。
「いいのか、オリオ?」
となりでその一部始終を見ていたトムが、にやにやと笑いながら言う。
「いい、とは?」
「このまま行かせて、さ。あの様子じゃあ、お嬢さんはあんたに惚れてるぞ。多少無茶を言っても、つかまえて身近に置いとくべきだろう」
オリオはトムをにらんだ。
「くだらないことを言うな。お嬢さまは……なんというか、おれにとっては妹のようなものだ。それに、恩人でもある。だから——」
トムはオリオをさえぎって、肩をすくめながら言った。
「まったく、お嬢さんも救われないよな。こんな唐変木が相手じゃ」
「どういう意味だ」
「言葉どおりの意味さ。気にするな」
「気になる。ちゃんと説明しろ」
「自分でお嬢さん本人に聞けよ。ほら、輸送機が離陸するぞ」
トムに言われて、オリオは視線を輸送機に向けた。ヤマウチ家の人々と査察官を乗せた国有の輸送機は、滑走路を加速していく。
オリオは自分がひどく感傷的になっていることに気づいた。あの輸送機には、ここしばらくオリオの存在意義のすべてだった人たちが乗っているのだ。はなればなれになってしまうという事実が、オリオの心をひどく締めつけていた。
輸送機は離陸して、高度を上げていく。そして、続いて離陸した護衛のタコとともに、北の空へと消えていった。
不意にオリオは悟った。
次にいつリツカに会えるか、わからないのだ。ハンマーストライクの状況しだいでは、オリオも肩の傷をおして激しい戦闘に参加しなければならないだろう。となれば、空で命を落とす危険も十分にあった。逆に、リツカたちが乗った輸送機がアサオ家が放ったアウムに墜とされてしまう危険性もないわけではない。
今日が最後かもしれないと思えば、もっとほかに言うべき言葉があったはずである。
オリオは後悔とともに、リツカと二度と会えないかもしれないという不安に心を乱していた。そのオリオの背中を、トムがそっと押す。
「行こう、オリオ。ハンマーストライクのブリーフィングがはじまるぞ」
いまだかつて類を見ない規模のハンマーストライク。
五百名を超える人員が参加する作戦の内容が明らかになる。
次回『大切なもの』をお楽しみに。




