バカだが最高
シオンがふり返ると、停止していたはずのアウムが上体を起こそうとしていた。チェーンソードが動きはじめる。高速回転する無数の鋸刃は、ひどく禍々しいものだった。
誰かが発砲したが、アウムの装甲に当たって跳弾して、シオンの耳元をかすめた。
「バカ、撃つな! シオンに当たる!」
ケニチが駆け寄ってきて、アウムのアームにしがみつき、チェーンソードをシオンから引き離した。
「シオン、はやく逃げろ!」
シオンは運転席で気を失ったままの男を見た。
自分が逃げたら、アウムのチェーンソードがこの男を切り裂いてしまうだろう。
この勇敢な男を置いていくことはできない。
シオンはぐったりとした男の腕をつかみ、引いた。
「あきらめて離れろ、シオン! これ以上おさえておけない!」
「その命令は拒否する」
シオンは男の腋に手を入れて、力をこめる。しかし男が大柄なせいもあって、なかなか動かない。
背後にチェーンソードのうなりが迫っていた。
耳元で、誰かの荒い息が聞こえた。
女の息だった。
カレン?
ジュンは目を開けた。カレンではない、長い髪の女兵士がジュンの体をかかえて引っぱろうとしている。
その女兵士のすぐ背後には、アウムのチェーンソードが見えた。チェーンソードを持つアームには、ケニチともう一人の兵士がとりついて引っ張っている。
ジュンは状況を理解したが、まだぼんやりとしていて、あまり切迫感はなかった。
「おれのことはいい。あんたは逃げろ」
ジュンは言った。
女兵士は腹を立てた様子で、目をつりあげた。
「拒否する」
まったく、ヤマウチの連中は、どうなってるんだ? 誰もが自分の命を危険にさらしてまで他人を救うことに必死になっている。とても正気とは思えない。しかしジュン自身も、彼らを助けるために危険を承知で戻ってきたではないか。ということは、自分も正気ではないということか。
ジュンは微笑み、自分のことよりも目の前にいるこの勇敢な女を死なせたくない一心で、車外に出ようとした。しかし、つぶれた車体に脚が引っかかっていて、抜けない。
「だめだ。脚がはさまっているようだ。行ってくれ」
「あなたはわたしの命の恩人。拒否する」
ここまで徹底していると、かえってすがすがしい。
「あんたはバカだが最高だよ」
女兵士は無言で、微笑んだ。
彼女の背後にチェーンソードが近づいていた。回転する鋸刃が起こす風が感じられそうな距離だった。
もう、だめだ。
ジュンがそう思った瞬間、重々しい衝撃音が連続して響き、チェーンソードが停止した。アウムの頭部に穴があいている。
やや遅れて、急降下してきた黒いタコが機首を起こして飛んでいった。可変翼を広げて水平飛行にうつったときには、タコは地表にぶつかりそうなほど接近していた。
ケニチが歓声を上げて、その機影に手をふる。
ジュンはすぐに理解した。タコを操縦する操翼士の中でも、神がかった操縦をすることで知られる男が、ヤマウチ領には一人いるという噂があるではないか。上空から垂直にアウムを射抜き、まわりの人間には傷ひとつつけない。そんな神業をできる男が。いまだかつて一度も被弾したことがないと噂される、伝説の男が。
その操翼士は、黒く塗ったタコをあやつることから、『黒騎士』と呼ばれていた。




