今は過ぎ去った過去の事
(本編前のお話)
この国で優秀な魔導師を輩出する家系と聞けば、必ずクラウスナーの名前があった。
十数世代にも渡り魔術研究の前線に立つ魔導師を産み出してきたかの家系は、今代の跡取りもそれは優秀な魔導師になり魔術界を支えていた、のだが……。
その跡取り予定の長子コルネリウスは、放浪癖があった。
一定の場所に落ち着けず、好奇心が赴くままに各国を旅し知識と経験を得ていく事を良しとする、実に落ち着きのない青年。
次男のロルフは、長男とは逆に職を持ち研究に没頭して……いるのは良いのだが、これまた逆に女性への興味など皆無の朴念仁に育っていた。
魔術の研究に明け暮れるのは一族の宿命ともいえるので咎めるつもりもないが、女の影なんて見当たらないのはどうなんだ、と。
コルネリウスはいざとなれば何とか自分で探し出してくるだろう、とひとまず跡取り息子の事は置いておき、二人の両親は一生独り身で居そうなロルフの心配を最優先にする事になった。
ただ、心配しようがロルフは我関せずで興味を示さないしどうしたものか、と母親のアマーリエがやはり悩んでいた、そんなある日の事。
「……あら?」
魔導師の家系であり、研究材料は仕入れるしかないアマーリエとその夫ホルストは、その日も懇意にしている商家の元を訪ねていた。
そこで、アマーリエは少女と出会った。正しくは、窓越しに見た、のだが。
商家のこの家はクラウスナー邸程ではないが存外広く、別館もあるらしく庭もそちらまで伸びていたので、対応は夫に任せ、許可を取ってから脚を運び……そして、別館の一室、その窓際にひっそりと佇む少女を見付けたのだ。
明るめの茶髪に、透き通った翠の瞳。これはヘンデル家によく見られる外見で、実際紹介された子息達も大抵がこのような外見をしていた。
しかし、家族全員を紹介された筈なのに、彼女は見た覚えがない。
「ねえあなた、そこで何をしているの?」
気になって思わず声をかけてしまったが、何をしているという質問はアマーリエに返ってくるだろう。庭をうろちょろしているのはこちらで、急に現れたのはアマーリエの方だから。
しかし、その少女はその声にこれでもかと翠玉の瞳を見開いて、体を強張らせる。瞳には、怯えの色。
不躾なのは理解していたものの、それでも少女の反応は些か過敏すぎやしないだろうか。
「……お客様、ですか……?」
「そうなるわね。庭の散策をしていたら貴方を見掛けて声をかけてしまったの。驚かせてごめんなさいね」
「そう、ですか……私の事はお気になさらないで下さい。迷ってお父様の元に戻れないなら、あっちに行けば出入り口がありますので……」
気まずそうに瞳を伏せて、来た道を指で指し示す少女。あまり、人と関わり合いたくないのか、目は合わせずに体を縮めている。
それは、人嫌いというよりは、何かに怯えているようで。
お父様、と少女は言ったから、この少女はヘンデル家の一員なのだろう。だが、紹介された覚えはない。あれで家族全員だと聞いていたのに、この少女は除け者にされている。
恐らく、故意に。
「迷った訳ではないから、大丈夫よ。それより、あなたは?」
「……私?」
「此処で何をしているのかな、と。ヘンデル家のご息女でしょう?」
「え……は、はい、一応、そうです、けど……」
「おかしいわね、ご子息ご息女は全員紹介されたと思ったのだけど……」
「……も、申し訳ありません」
「あなたが謝る必要はないと思うのだけど」
泣きそうな顔をさせてしまったのは失敗だ。カマをかけるつもりはあったが責めたつもりはないのに、どうもこの少女は自身が責められたと思ったらしい。
「……エルネスタ、と申します。でも、覚えないで下さい。両親は、私が人の目に触れるのを良しとしないので」
「何故?」
「……私が醜い化け物だから、でしょうか」
そう自嘲気味に笑った少女エルネスタの痛々しさに、アマーリエも眉をひそめる。
醜い、そう自称するエルネスタは、美少女という訳ではないが決して整っていないという訳ではない。派手さはないがおっとりとしたたれ目がちな瞳も、綺麗に配置された鼻梁も、可愛らしい部類に入る。少なくとも、醜いとはとても言えない。
それでも、エルネスタは醜いと嘲る。何が、そこまで彼女を追い詰めるのか。
「……それをあなたの両親は肯定しているのかしら」
返事は、返ってこない。しかし、それが何よりも肯定の意を示している。
胸にもやっとした感情が渦巻くものの、それを本人にぶつけるのも筋違いであろう。
理由は知らないし、家庭事情を詮索するのは良くないのかもしれない。出会ったばかりの少女に肩入れをするのか、と言われるかもしれない。
けれど、エルネスタをこのままにしておくと、何だかとても良くない気がする。
アマーリエの勘は、結構に的中するのだ。だから、アマーリエはその直感に従う事にした。
「そう。……今は聞かない事にしておくわ。じゃあ、またね、エルネスタさん」
さようなら、ではなく、またね、と微笑んだアマーリエは、今ヘンデル家の当主と話しているであろう夫の元に向かう。
さて、夫と相談して、彼女の事を調べてみようではないか。仄かに感じた魔力の気配も気になるし、彼女が何故冷遇されているのかも、気になる。それに、何となくだが、彼女はロルフに合う気がしていた。
――お見合いってのも一つの手よね。
小さくそんな事を考えながら、アマーリエは足早に夫の元に向かった。