弟に彼女が出来ました
このお話はフィクションです。
「おかえり」
「ん」
「ご飯は?」
「食ってきた」
最近弟に、彼女が出来た。
弟が上京するのに合わせて二人暮らしを始めて、二年経った時のことだった。
「明日は?」
「食って帰る」
「ん」
他の家族はどうか知らないが、成人を超えた年頃の姉弟が同居しているにしては仲が良かったと思う。これといって大きすぎる喧嘩をしたこともない。お互いに不可侵の領域と、共有しなければならない領域を理解していたんだろう。
大学の初年度なんかは講義やらサークルやらで忙しさのピークなのに、お金のなさを理由にバイトのない日はうちに帰ってきて食事を共にしていたとか。私が夜間のバイトで不在の時は食事を作り置いてくれるだとか。月に一回くらいは一緒に外食をしたりだとか、遊びに行ったりだとか。男にしては、という言葉はあまり使いたくはないけれど、しかし事実として弟は、男にしては気も配れるしそれなりに働いてくれる良いやつだった。
まあそんな弟に二年も彼女が出来ない方が不思議だったと、今にしてみれば思う。自慢と言うのは癪だが、それぐらいの弟ではあったのだ。よく笑うしよく食うし、私の作った料理にも文句どころか不味いなんて言ったことはない。食事に関しては金銭面で何度も喧嘩をしたけれど、今はそんなこともめっきりしなくなった。
理由は簡単だ。弟に彼女が出来てからは食卓を共にしなくなることが増えて、自分の分の食費は自分で工面する形になったからである。いつも彼女と、というわけではないだろうけど、もっぱら弟は外で食べてきて食卓には私が一人で座っている事が多いのだ。
「風呂沸いてるよ」
「おー」
何故かは知らない。何故かは知らないけれど、弟に彼女が出来て、それを私に報告してきたあの日から、面白いくらい会話の量が減った。アニメやら本やら、趣味も気持ち悪いくらい共通してて、例え食事の時間がずれたとしてもそういう、オタクっぽい討論やら口論やら会話は腐るほどしていたはずなのに。それは多分、私が去年の夏頃こっぴどく彼氏に振られたという事件も少なからず影響しているのだと思う。
弟の彼女を、私は知らない。
当然だ。結婚するとでもならない限り、親族に挨拶をする必要はない。そして外出やら帰宅やらの形跡からしても、私がいない間に彼女を家に連れ込むようなことはしていないらしいようだから鉢合わせることもないし、そもそも弟が作ろうとしない限り私とその彼女に接点なんてものは存在しないのだ。うん、つまりは、そういうこと。
「おーい」
「なにー」
「ボディソープなくなった」
「明日買うから洗顔でも使っといて」
「わかった」
基本的に、私たち姉弟はお互いが目の前で関わっている私生活以外に関して、ノータッチを貫いていた。話してくるなら聞く。気になって尋ねるにしても最低限。進路にしても、講義にしても、サークルないようにしても、バイト先にしても、私は弟に関する詳しいことを知っているわけではない。他人に対するパーソナルスペースがあるように、家族に対してもそれがある。ごく自然なことだし、それが暗黙の了解みたいな認識がいつの間にかお互いに存在していた。
そんな状態でも仲良くやれていたのだから、私と弟はそれなりに器用な姉弟だったのかもしれない。
冷凍していたご飯を電子レンジにぶち込む。しばらくしてから、チン、なんて可愛らしさとは程遠い、ピーッというやけに耳に障るうるさい音がしてからターンテーブルが動きを止めた。そこに温めておいた二人分のカレーのうち、半分をよそってスプーンを取り出す。残りは明日のブランチに、カレードリアにでもして食べよう。
合掌、いただきます。
湯気の立った、食欲をそそる香りを放つほかほかのカレーを掬って、吹いて冷ましてから口に入れる。咀嚼、咀嚼、飲み込む。
「…まっず」
ひとりでに呟けば、視線の先にあった空っぽの椅子がやけに目についた。




