第九十話 シャグルとシャドル(三)
一時間ほど歩いていると、前方で先行していた一人の一般隊員が右手で俺達に合図を送ってきた。
俺達は隊列を乱さず、体勢を低く構え、胸ポケットから小型双眼鏡を取り出し前方を見る。
俺達の約百メートル先には深緑と黄緑色をした二つの巨大なサイの妖怪、シャグルとシャドルの姿が捉えられる。
双眼鏡のズームを更にアップさせると二頭の口元は朱色に染められており、白く敷き詰められた雪原には一頭の鹿の死体と周りを散乱する血が染まっている。
どうやらシャグルとシャドルは鹿の血の所為で、俺達の匂いにまだ感付いてはいないようだ。なので俺は後ろを向き、控えていた四人の一般隊員に作戦通りに指示を出し、その指示を受けた四人は半分に別れ一方は右へ、一方は左へと進んでいった。
俺はグガンに耳打ちをし、
「オッケー」
とグガンが声を潜めて返したので、周りを見回しながら隊列の再確認を行う。
最終確認が終わると、今回の任務のリーダーであるタキが襟元に付いている小型スピーカーで作戦開始の合図を送る。
タキの合図を受けて先ほど二手に分かれた四人の一般隊員は担いできたライフル銃をシャグルに向け、一斉に銃弾を放つ。
乾いた銃声が雪原を木霊する中、シャグルの体から四つの血の線が噴出し、シャグルは重そうに傾きながら雪の中に倒れる。
シャドルは一瞬にして状況を把握したのか、一般隊員たちが第二度目の銃弾を撃つ前に大きく跳躍した。
シャドルは五、六メートル程宙に浮かび上がり、落下すると共にライフル銃を構える二人の一般隊員に容赦なく圧し掛かった。
生々しい音と悲鳴と共に、その二人は血塊となり即死した。
その光景をすぐ傍で見ていた俺はすぐさま立ち上がり、全員シャドルから距離を置こうとする。だが、後れを取った一人のチルドレンと二人の一般隊員はシャドルの突進に全身の骨を砕かれながら吹き飛ばされる。僅か十秒の間に、五人もの隊員が殺された。
なんて速さだ……。くそっ、こっちは残り八人。チルドレンは五人いるが、一般隊員の数は三人にまで減った。
シャドルはすぐさま俺達のほうを振り向き、鋭い眼光を輝かせながら雄叫びを上げる。その瞬間、何もなかった雪原の下や空の上から野生の動物達がいっせいに現れた。
一瞬、俺達の中に動揺が走ったが、すぐさま元の戦闘体制に戻り、迫り来る動物達を倒していく。
その間、シャドルは責めては来なかった。不思議に思ったが止め処を知らない動物達の襲来の対処に俺は専念するしかなかった。
俺はヒエロ・ランスで熊や鹿、更には空から迫る鷹や烏を薙いでいくがきりがない。
元はといえば冬眠、冬篭りしているはずの動物達である。冬のために体力を温存してきていた野生の動物達の勢いは凄まじく、俺以外の隊員達は徐々に倒されていく。
「グガン!」
俺は叫び、
「おうよっ!」
とグガンが返答してきたので、二人で一度後方に跳躍する。
それに気付いた動物達が一斉に俺達二人の前に躍り出たが、次の瞬間、その動物達は凍りついた。俺とグガンが戦闘中に撒いたグガン特性の、毒の仕込まれたまきびしを踏んだ動物達は一瞬で体の至る所が麻痺し、俺が一気に地面の雪を瞬間的に解凍、冷却し動物達を一気に凍らせたのだ。
そこで動物達は動かなくなり、恐怖したのか、動ける他の動物達は逃げるかのように俺達の視界から消えていく。
周りには無様な姿を晒す生き物達の死体が散乱している。勿論ルネサンスの隊員の死体もあり、俺たちは残り五人となってしまった。
残ったのは俺とグガン、今回の任務のリーダーのタキにタキの下に就いている少年カイルと一般隊員の漆。
しかし次の瞬間、俺達の間に恐怖の旋律が背筋を駆け巡る。なぜならシャドルがシャグルの死体に貪りついていたのだ。シャドルは主にシャグルの脳髄と内臓を貪っている。
書類にはシャグルかシャドルの一方が死に至った場合、もう一方はその死体の肉体、主に脳部分と内臓を食べる。すると生き残った一方の生態能力は飛躍的に向上するという記述が添えられていたのを思い出す。
シャグルの内臓を食べ終わったシャドルは、ゆっくりとそのシャグルの血に染まった黄緑色の顔を俺達に向け、睨みを掛けて来る。
俺は毒づき、ヒエロ・ランスを構えた途端シャドルは一気に突進してきた。その速さは俺の水速転換には及ばないものの、尋常ならぬ速度での突進である。俺やグガン、タキはなんとか振り切れたが、漆とカイルは避けきれず、その場で呆然と立ち尽くしている。
それに気付いたタキは、避けようとしていた足を踏み止め、
「くっ、カイル!」
叫びながら、タキは自分の後方にいたカイルを横に突き飛ばす。
「あっ!!」
と口にしたカイルはそのまま地面と平行しながら飛ばされ、シャドルの突進により吹き飛ばされたタキと漆の最後の姿を捉える。
俺とグガンはシャドルの突進を避け、カイル同様吹き飛ばされたタキと漆の姿を横目で確認する。
二人の死を悔やむ間もなく、シャドルはカイルの方に向き返る。その顔には殺戮を楽しむかのような殺人鬼の笑みが窺え、カイルを睨みつけていた……。