第百五十五話 流れる血、流される証―blood flows, evidence rattles
「ちょっと臭いがキツイな……」
俺は、神龍虎獣の焼け焦げた死体を見下ろしながら、そう漏らした。
というより、さすがに生き物の死体ってのは、何回見ても慣れるもんじゃない。
俺はそう思いつつも、やはり今回の勝利を決めた綾夏の肩に手を乗せた。
「よく、頑張ったな」
「えへへ、私、頑張ったよ」
さっきまで肩で息をしていた綾夏は、しかし、満面の笑顔でそう答えた。
「だから今度なにか奢ってよ、流騎くん」
更に余裕をこいて猫なで声で喋りかけてくる。ちゃんと両手をお椀型にして。
「調子に乗るな」
俺は軽く拳で綾夏の頭を叩いてやった。
「いたっ。えへへ……」
しかし、綾夏も強くなったよな。こんなに大業な技も使いこなせるようになってきたんだし。
俺も頑張らなきゃな。今回も、俺が綾夏を守らなければならなかったのに西園寺に任せてしまったしな。
西園寺が、また、にやけた顔で綾夏とじゃれ合っているのを見届けると、俺は紅葉の方に歩み寄った。
「な、なんでしょう?」
紅葉は俺より20センチは背が低い。その為、俺と話すとき、向こうは上目遣いになる。
くっ……俺の理性が危うくなる。なんだってこんなに小動物系なんだ? やばい、早目に話をつけなければ俺のほうがおかしくなりそうだ。
「紅葉」
「は、はい!」
紅葉のやつ、怯えてるのか? 俺がなにかした記憶はあんまないんだが、まあいっか。
「さっきの技、どこで覚えたんだ?」
「え? あ、はい! 流水香さんから教わりました」
「流水香って、あのオリジナルのか?」
「はい」
流水香のやつ、相当紅葉のことが気に入ったんだな。あの女は自分好みの人間しかチルドレンにしないからな……。確かそういう風に記憶している。
「そうか。それなら一週間でそんな術を身につけられるって訳か」
「そうなんですか?」
「ああ、それによくやってくれた。ありがとな」
「い、いえ! 私はそんな、特別なことなんてなにも」
「いや、神龍虎獣の箇所を覆っていた雲や、あいつの尻尾を突き刺して行動を制限させたのも紅葉の成した功績だ」
「そ、そんな……」
「謙遜しなくていいぞ。俺たちは同じ仲間なんだからな。皆が皆を必要としなければならない。だからもっと気楽にしていいぞ」
「わかりました……」
「そうか。後でちゃんとスーツも用意しとくから放課後残っとけよ」
「はいっ!」
俺は少し頬を紅潮させている紅葉から離れ、またも神龍虎獣の前に立ちはだかった。
「刈谷」
「あん?」
「今から片付けるから、お前も頼む」
「あぁ。静香もサンキュー」
「いえ」
俺は両手を少し胸元まで掲げた。
「時の門を守りし守護神玄武よ、我が降り立ち、時空を巻き戻せ」
「地盤の堅りしよ、土脈の修復司りし地鬼よ、直せ」
俺に続いて刈谷も力を作動して、静香が展開したブラインドの中は神龍虎獣が出現した以前の状態に戻された。
「ふぅ……」
と、俺たちが処理を済ませると。静香は小さな溜息をついたあと、力を解除した。
「俺たちも早いとこ戻るぞ」
俺は徐徐に解かれていくブラインドを見ながら、皆を連れて校舎内に戻った。
静香のつくりだすブラインドは文字通り、つくりだした結界内と外の世界を隔壁する。その隔壁は、結界外からの視界と内側から外側への気配と音のみである。そのため、ブラインドの内側にいた神龍虎獣を内側に足止めする必要があり、手っ取り早かったのが綾夏のあの技だった。
「にしても、さすがに六人もいると仕事が楽だよな」
俺は両腕を頭の後ろへと回し、頭を両の掌にあてるようにしながら呟いた。
「そうですね。後は連携の問題ですけど」
冷静な観点からの静香の言葉は今も昔も変わらず、俺もすかさず、
「そうだな」
と返す。
「それにしても皆様すごいです! 私なんかよりずっとずっとお強いです!」
紅葉はまだ興奮が冷めないのか、小さな体をめいっぱい動かしながら称賛の声をあげていた。
そして、それに絡むように西園寺が紅葉にちょっかいを出す。
「そりゃそうでしょ~。私たち紅葉ちゃんよりも経験長いんだからー」
「そ、そうですよね! す、すみません……」
「未来駄目でしょ、青海ちゃんいじめちゃ」
「いじめてないよ~、先輩としてのアドバイス」
西園寺は歩きながら廊下で足を軸に一回転し、回りながら紅葉の右頬を軽く摘んだ。
「あ、い、いたたたたっ」
紅葉の頬は柔らかいのか、幾分ほど西園寺の引っ張られる方へと伸びて、それ以降は紅葉自身が引っ張られた。
「もう、未来!」
綾夏は、いつまでもマイペースな西園寺を叱ってはいたが、柔らかな表情を浮かべていた。
当の紅葉も頬を抓られているのにあまり嫌そうな表情(とはいっても痛そうだが)をせずに、なされるがまま西園寺に遊ばれていた。
「ふぅ、平和だよな。さっきまであんな化けもんと闘ってたことなんてすぐさま忘れちまうぜ」
刈谷は俺の隣で後ろの三人のじゃれ合いを横目で眺めながら、呟いていた。
「ああ、そうだな」
「そうですね」
俺は少し呆れ気味に嘆息したが、静香はどこか大人びて、いやむしろ親のような慈母な視線で三人を見つめていた。
わいわいきゃっきゃっと廊下で騒ぐ三人、綾夏、西園寺と紅葉はスペースへ帰るまで西園寺が紅葉をからかい、それを綾夏がたしなめるといったような感じを繰り返していた。
それを、俺と刈谷に静香はそれとなく呆れながらもこの時間を楽しんだ。
そしてスペースに辿り着く十メートル手前で刈谷がいきなり思い出したように喋りだした。
「なぁ、今って授業中だよな?」
「ぐっ! そうだった……」
「……すっかり忘れていましたね……」
俺は面食らったように、実際驚いたんだがしかめっ面をして、静香もなにか痛いものでも見たように眉間に皺を寄せて指を当てていた。ちなみに、今は現国のテスト中だ。
「で、どうする? 戻るか?」
しかし、刈谷はいたって意気飄々とした雰囲気で立っていた。
「なんでお前そんな冷静なんだよ?」
「俺は、現国得意だからな。別に今日ミスってもたいしたことはない。授業じゃないんだしな」
「秀明、自分はそうだから今になって言い出したのですね?」
静香も俺同様に少し責めるように言い、さすがに静香の言葉は堪えたのか、
「あ、ああ。わりぃ……」
はぁ、さっきの神龍虎獣より今から戻って担任の相手とテストをするほうが骨折れそうだ……。俺は文系じゃないからな……いくらルネサンスだといっても落第は見逃してくれないだろうからな………。
俺は天を、いや天井の蛍光灯を仰いでその光にまたも面食らった。