第百三十五話 消え行く記憶 蘇る思い出(二)
「え?」
「私は誰なのでしょうか?」
「何を言っているの? あなたは小民攪 香梁よ」
「本当にですか?」
私は晴菜さんの目を直視した。
すると晴菜さんが決意を表したかのような顔で私の顔を両手で包んだ。
「晴菜さん?」
「良かった。やっと気付いてくれて」
「え?」
「ごめんなさい。今すぐにあなたをここから連れ出してあげるから」
「どういうことですか?」
「あなたも気付いてるとは思うけど、あなたには一年前からの記憶が無い」
「はい。そして実験の度になにかが抜けていくような感覚に見舞われます」
「そう。そういう副作用の出る薬物を使っているからね。あなたは日本語が喋れる。なのに、あなたは中国人として登録されている。でもね、それは嘘なのよ」
「嘘? 私は中国人ではないということですか?」
「ええ、そうなるわね」
「では、私は、一体……」
「あなたは生粋の日本人よ」
「え?」
私は晴菜さんの語る一言一言に喰らいつくように聞いた。
「あなたの本名は、いえ、まだ言えないわね。とにかくあなたが本当に特殊な人間であることには変わりはないの。そしてそういった特殊な人間は今日本にしかいないの」
「つまり、私は……」
「そう。あなたは日本から拉致されて記録上中国人に成り立てられた日本人なのよ」
「!?」
「そして私は日本にあるその特殊な人間を保護している組織の人間。ま、つまりはスパイってことよ」
「晴菜さんがスパイ?」
「ええ、他にも少数だけど存在するわ。あなたが日本語で話したことのある研究員の全員がそうよ。そして私達の任務はあなたの奪還、及びここの資料集めなの」
「でも、大丈夫なのですか? ここにはカメラも」
「ええ、大丈夫。今頃私の仲間たちが監視ルームを取り押さえている頃だからね。さ、香梁準備して、今から脱出するわよ!」
「は、はい」
私は信じられないような話を晴菜さんから聞いたのですが、この施設が普通じゃないことと晴菜さんが話してくれたことに辻褄が合いすぎるために私は晴菜さんを信頼して早速準備に入った。
準備といっても、私の私物はたった一つのシリンダーだった。リレーのバトンより一回り小さな筒状の物。
私が目を覚ましたときにはここの施設の人に服からなにまで没収されてしまったのに、このシリンダーだけは渡されていた。
私はこのシリンダーがなんなのか検討がつかないものの、何故かあまり好感をもてない。それは潜在的に私の脳が拒否しているからだと思う。でもその大事な記憶が蘇らない。
「あら、それ何?」
晴菜さんは私に尋ねてきた。
「わかりません。ですが、もし晴菜さんの言っていることが正しいのであれば私がこちらに拉致される時、持っていたものかもしれません」
「そう、なら大事な手がかりってことね。いい? 私の傍から離れないのよ」
「はい!」
私は晴菜さんの傍に近寄り、晴菜さんは懐から銃を取り出した。
その時私は、確実にこの人達は本気なんだ。そう理解した。だから私自身も意を決した。
「行くわよっ!」
「はいっ!」
晴菜さんの一声と共に私の部屋の可動式ドアが開いて、晴菜さん身を乗り出していきなり銃を連射した。
すると、傍にいた数々の中国人研究員がばたばたと鈍い音とともに地面に倒れていった。
初めて死体を、人の死ぬ場面に直面したはずなのに私は悲鳴もなにも上げず、ただその光景を普通に眺めていた。
「香梁、こっち!」
晴菜さんはもう走り出していて、私は軽快な足取りで後を追った。
晴菜さんが進んでいる方向は研究室とは反対方向の指令部がある場所だった。
さすがに研究室から離れると人も多く、すぐさま武装を施した中国兵士が私、というよりも晴菜さんに銃口を定めていた。
「ちっ!」
晴菜さんは八連式の銃の銃弾が切れていることがわかり、なんの躊躇いもなく腰のポケットから手榴弾を取り出して口でピンを外し前方に投げた。
銃を構えていた兵士達は驚きの表情を浮かべたまま爆風に飲み込まれた。
そしてその爆風と共に飛んできた手動銃を私は手に取り、晴菜さんは兵士の遺体からマシンガン二丁を拾ってまた私達は駆けた。