第百九話 最初のチルドレン(五)
義流と妹の凜は食卓で硬直したまま動けずにいた。
隣に座っていた凜は義流の袖を弱弱しく握り、小声で
「お、お兄ちゃん……。さっきの……」
「あ、ああ。待ってろ、今、俺が見てくる」
「う、うん」
義流は席からそっと立ち上がり、玄関に繋がる廊下を壁際から窺った。
食卓と台所の間には扉があり、それがそのまま玄関へと繋がっているからだ。
義流は背中に走る悪寒を汗として感じながら玄関に立つ二人の黒いスーツを着た男組みを視界に捉えた。
そして二人の足元には母親が倒れていた。
玄関の床には赤い血の染みが広がり、二人組みの男達は両者とも拳銃を握っていた。
男達は二人とも耳に付いた小型版トランシーバーでなにやら合図を交わし、そのまま土足で家の玄関に上がりこんだ。
『くそっ……!』
義流は急いで食卓に戻り、凜を席から立つよう促しながら義流と凜は玄関に繋がる廊下とは違った通路で二階に上がる階段を上った。
義流と凜は男達に気付かれずひとまず義流の部屋に入った。
二人は小声で、
「ど、どうなったの、お兄ちゃん? お、お母さんは?」
「母さんは……死んだ。いや、殺された」
「えっ!?」
「しっ、大きな声を出すな。今、家に二人の黒ずくめの男達がいる。多分もうすぐ二階に上がってくるだろう。俺が奴らの気を引いてる内に凜は窓から逃げろ」
「え? い、いやだよ。お兄ちゃんと一緒にいるっ!」
「いいか、凜。よく聞くんだ。相手は銃を持ってる。さっき聞いただろ? あいつらはなんの躊躇も見せずに母さんを撃った。だから凜、お前だけは生き残ってくれ。そこに俺のスポーツバッグがある。その中に俺用だが必要最低限の必需品が入ってる。いいな?」
「う、う……、うん……」
凜は半分泣きそうになりながらも義流の言うことを聞き、義流の机の横に置いてあったスポーツバッグを肩に担ぎ窓に手を掛け、窓を開いた。
「じゃあね、お兄ちゃん」
凜は泣きながら笑顔を義流に見せ、義流もああ、と言おうとした。だがそれは連射された銃声のせいで掻き消された。
窓の向こうからガトリングガンと思われる銃弾が窓を通り凜の体を貫通していった。
無数の弾丸が凜の華奢な体を貫通し、凜は義流に笑顔を向けながら部屋の床に倒れていった。
凜の背中には複数の撃ち抜かれた痕から染み出る血が溢れ、床は紅くその色を変えつつあった。
「り、凜!」
義流は凜に駆け寄ろうとしたが窓から発射される威嚇射撃で近寄れずにいた。
「く、くそっ! なんだってんだ!?」
二階からの銃声を聞きつけた二人組の男は駆け足で上階に上がり義流の部屋のドアを蹴り飛ばした。
義流の目の前には黒いスーツの二人組み、窓からは銃を向けている恐らくは前方の二人の仲間。
義流はそのまま部屋の後ろへと、銃から狙われない死角へと後退した。
義流は目の前の二人を睨みながら叫んだ。
「誰だ、お前ら!!」
「ほぅ、威勢のいいガキだな」
「ああ、そのようだ。だが殺すなよ。こいつは生け捕りとの命令だ」
どうやら若い男の方は言葉が荒く、なんとなく落ち着いているほうが年上のようだ。
「ちっ、気乗りじゃねぇがしゃあねぇな」
「おい、そこのお前」
「お前じゃねぇ! 俺には萱場義流って名がある! それによくも母さんと凜を!!」
「んあぁ? この死体のことか〜?」
人相の悪い背の高い男は凜の頭をぐりぐりと床に踏みつけた。
「や、やめろぉー!!」
義流はその男目掛けて飛び出たがその横にいた体格のいい中年の男に胸倉を掴まれ壁に投げ飛ばされた。
「ぐあっ!」
背中から部屋の壁に投げつけられた義流は唾を吐き出しながら床にひれ伏した。
「ふん、他愛のない」
「へっ、やっぱガキはまだガキだな」
「よし、つれてゆくか」
「ああ、そうだな」
背の高い、若い男は義流目掛けて一歩踏み出した。
義流はそれを床についた自分の顔を上げて近付いてくる男の足を見た。
『くそ、このままじゃ……。絶対、絶対、ここで終わってたまるか……!!』
「うおおおおぉぉぉぉぉ!!」
義流はバランスを崩しながらも未だ麻痺する足を無理やり立ち上がらせ、雄叫びを上げた。
「へっ」
背の高い男は嗤いながら義流に拳を振り上げた。
しかし義流が目前の男を睨んだ時、異変が生じた。
部屋中に不可視の旋風が吹き荒れ、義流の部屋の家具、すなわち机や椅子、ベッドなどがドッペラー現象の如く宙を彷徨い、スーツ姿の男達に襲いかかったのだ。
「ぐわああぁぁぁ!!」
「うおおおおおっっっっ!!」
十秒後、部屋は奇抜的に荒らされ、頭や体を強打された二人組みの男は即死していた。
「う、うぅ、うぅぅぅ……!!」
義流は涙を浮かべながら唸った。
「く、く、くそぉぉぉぉぉぉ!!」
義流は指針の折れた目覚まし時計を拾い、それを窓から放り投げた。
窓の外からは微かに乾いた銃声が夜空に響き、一つの銃弾が夜空を薙ぎ義流の頬を掠めた。しかし銃声はそれ一発きりですぐさまプラスチックの砕ける音と共に止んだ。
散らかった部屋の中央で義流は蹲った。
義流は冬の夜風の冷たさのせいか、それとも冷酷なき風景のせいか、肩が振るえて治まることを知らなかった。
その日、義流の頬にはクライオンの触手が掠め、かさぶたができはじめた傷跡にさっきの銃弾がかすり、より大きなかすり傷と血を義流は流していた。