第百一話 刈谷の過去(四)
刈谷の過去編 最終話です
一橋由梨のこと、お忘れなく……w
脱力気味な体は次第に活気付いてきた。
体の奥底から暖かな光が漲ってきたかと思うと、次の瞬間拡散し、また力が蘇ってくる。それの繰り返し。だけど徐々に安定してきた。
俺は両の足で立ち上がり、由梨も立ち上がった。
「なんだったんだろう、あの人たち……」
「わからない……。でも、早く逃げないとっ」
「う、うんっ」
俺は由梨と共に火が勢いを増していない方に向かって走り、下山すること十分で多少開けたところに出た。
木々に囲まれた平地に出ると俺は先程までとは違う雰囲気に包まれていた。俺はその時妙な違和感を覚えた。それも、俺の隣にいる由梨から―――。
「どうしたの、由梨ちゃん?」
「なんか……、変なの。頭がおかしいの……」
由梨は俺から手を放し、両手で自分の頭を抱え込むようにし、唸った。
「あ、あああっ、あぁぁぁ!!」
「由梨ちゃんっ!!」
俺の叫びも虚しいまま、由梨の体から猛烈な旋風が吹き起こった。その一風に飛ばされた俺は周りの木の一つに背中から衝突した。
「くあっ!」
地面に落ちた俺の体は軋み、呼吸ができなかった。肺が圧迫され、全身に負った衝撃はまだ子供の俺には大きすぎたからだ。
前方にはもがき苦しむ由梨の姿。華奢な体から吹き荒れる風はかまいたちのように由梨の周りを踊り狂い全ての植物を切り払っていった。
「や、やめてっ、由梨ちゃん!」
俺は途切れ途切れに声を発しながら由梨を制止しようとしたが、吹き荒れる風のせいで掻き消されてしまった。
「ああああぁぁぁっっ!!」
由梨の勢いは途絶えることを知らず、荒れ狂っていた。
そう、まるで俺がさっき見かけた橙色の髪を持つ少女のように……。
俺はもがき苦しむ由梨目掛けて歩みだした。さっきの衝撃で足首の一つをやられた為、歩行は遅かったが、しかし、着実と由梨に近寄っていった。
近付くたびに由梨の強力なかまいたちが襲い掛かるが俺の体も無意識のうちに力を発動して、地面の土を俺の周りに浮かび上がらせ防御に徹した。
そして指が触れそうなまで近寄ったとき、俺の力は無意識に解除され、由梨に抱きついた。
「大丈夫だよ、由梨ちゃん。ぼ、僕が守ってあげるから。僕が助けてあげるから……。ね、約束したでしょ?」
未だ叫び続ける由梨を俺は小さな腕で、小さな手で抱きしめた。
由梨は痙攣と共に次第に治まっていき、力も解除され辺りには静寂が訪れた。
俺と由梨の周りには破壊の傷跡のみが痛々しく残された。
しかし、すぐさま火が俺達のいる平地に追いついてきた。
俺は意識が途切れ途切れの由梨を背中に担いで山を下りた。俺の体はまたも無意識のうちに力を発動させ、俺の筋肉を構成する主なたんぱく質を増加させ通常の倍以上の筋力を構成させていた。
そのおかげで足の速度を緩めることなく由梨を連れて山の麓まで帰ることができた。そしてそこには俺達の護衛用に仕えていた男達が、
「由梨お嬢様っ!?」
「秀明坊ちゃんっ!!」
そこで俺の意識も途切れた。
気付いたときには三日ほどが経過していて、俺は病室のベッドに横たわっていた。
俺は薄目を開いて自分の左側を見ると由梨の姿も見られた。由梨の目は虚ろで、天井を生気のない目で見つめていた。
「由梨ちゃん……?」
俺の呼びかけに由梨は振り向いて俺の目を見つめていた。いや、見つめていたのかすらわからなかった。それほど由梨の目がなにを見ているのかわからなかった。それは俺の姿なのか、俺の中身なのか、それとも別の何かなのか。
「秀くん……?」
「うん。そうだよ」
「どこ……?」
「えっ?」
「私、なにも見えないよ。暗いよ。怖いよ。恐いよ……」
「ゆ、由梨ちゃん……」
俺はその時なんと由梨に言って良いのかわからなかった。
幼い俺にとって由梨はかけがえのない存在だった。その由梨がなにも見えないという。俺の姿を見ることができないという。
俺は由梨を心配がけることよりも由梨に自分の姿をもう見てもらえなくなったことのほうに恐れを感じていた。
そして病室の扉が開き、中に大勢の大人が、押し寄せる波のように押し寄せ、俺の視界は影で覆いつくされた―――。
俺はベッドの中で閉じていた目をゆっくりと開けていった。視線の先には白い天井。
俺と由梨はあれ以来、会うことはなかった。噂ではアメリカにいるとかいないとか……。
それというのもあの時の事故をきっかけに一橋財閥と刈谷コーポレーションは決別。一時協同経営に乗り出していた両者は現在でもライバル会社として有名だ。
ベッドの上でそんなことを思い出していると瞼がまたも重くなり、俺は翌朝の登校時間ぎりぎりまで熟睡していた……。