第九十八話 刈谷の過去(一)
刈谷の過去編スタートです。
俺は自分の家というべきか、家兼ビルへと向かった。
俺の親父は刈谷コーポレーションの創立者で、世界的にも注目を置かれている企業だ。多分、そのはずだ。良くニュースに載ってるからな、多分間違っちゃいねぇだろ。
親父は昔、世界一丈夫で軽いプラスチックを開発して以来爆発的に市場に出回り、わずか一年もしないうちに数折の大企業にまで発展した。経緯は知らないけどな。つっても親父がまだ四十代前半というのが気にかかる。若すぎだろ、俺生んだの。
その親父の本社がここ(目の前)にあるわけなんだが、本社はアメリカのツインタワー思しくビルが二棟並んで建ち、中央付近で一つの空中廊下で繋がれている。
詳しく言うなら、右側が本社で左側が住宅用だ。住宅用といっても俺と俺の弟妹しか使っていないけどな。
一応左側のビルも本社ではある。住居用スペースはこのビルの二十階よりも上の階になってる。
ビルは両方とも三十階建て。なかなか見晴らしのいいビルで、俺は結構気にいってる。風景だけだけどな。
左側のビルに俺が入ると、目の前の案内者デスクに座る二人の若い女性社員が立ち上がり、
「おかえりなさいませ」
と深深しく頭を下げる。
「ああ……」
俺は素っ気ない声で二人の横を通り過ぎ、エレベーターへと向かった。
自分の部屋のある二十八階を示すボタンを押し、エレベーターは静かな駆動音のみで、僅かな振動を残し上昇する。
科学も発展したな。そう思う日が時々ある……。
俺は自分の階で降り、目の前にあるドアを開けて中に入った。
実質、このフロアに俺以外に人はいない。なぜならこの階すべてが俺の部屋だからだ。
玄関で靴を脱ぎ、大きく背伸びをしながら窓に向かった。
俺の部屋、といってもこのフロアの玄関前の壁のほとんどはガラス張りで、床が沈みいく夕日の紅で染まっていた。
俺は近くにあったソファに身を深く沈ませ、深い溜息とともに窓の外の夕陽を眺める。
俺は多分ソファに、夕陽が沈むまでいたと思う。
くそ、今日は疲れた……。でも、ま、退屈じゃなかったな……。というか、そんな暇すらなかったじゃねぇか。
そう感慨浅げなことを考えてたら小腹が空いてきた。
俺は右の壁にかかる時計に目をやると六時であった。
「やっぱ冬は日が短いな……。それに肉まんだけじゃ腹の足しにはならねぇか」
そういいながら俺はキッチンへと体を進め、壁に設置された電話を取り耳元に当てる。
すると電話の向こう側から、
「はい、今日はなにをお召し上がりますか、ぼっちゃん?」
「だからぼっちゃんって呼ぶのはやめてくれって言ってんだろ?」
「いえ、ぼっちゃんは昔からぼっちゃんですので」
頑なに俺をぼっちゃん呼ばわりするのはここに住み込みで働く恰幅のある料理長で、俺が生まれる以前から親父ともう死んだ母さんに仕えていた。
「それでぼっちゃん、今日はどうしますか?」
「ああ、そうだな……。お茶漬けくれるか?」
「お茶漬けでよろしいのですか?」
「ああ。今日はそんな気分だ」
「分かりました。そこでお召し上がりますか? それともダイニングで?」
「ここで食べる」
「分かりました。少々お待ちを……」
俺は電話を壁に掛け直し、キッチンのカウンターに座り、食事が来るのを待つ。
俺は眠気が刺してきたのか、ついついうとうとして椅子の上で寝入ってしまった。
俺は薄らと目を開けた。時間はもう八時を回っていた。窓の外は益々暗くなってきている。
「やべっ」
そう思ったが、目の前には眠る前に頼んでおいたお茶漬けが用意されていた。
カウンターテーブルにはご飯の入ったおひつに五種類ほどの漬物、電気ポットに急須が用意されている。
「まじで寝ちまったのか……。はぁ、今日はもう寝れそうにねぇな」
溜息をつきながらも俺は箸を手に取り、まだ完全に冷め切ってないご飯を盛ってお湯を急須に入れてからご飯の上にかけた。
数種類の俺好みの漬物を食べながらお茶漬けを喉に流し込んでいく。
味はいつもとかわらずうまかった。ただそれしか言葉が浮かばない……。
俺は食事を食べ終え、自分の寝室に向かった。
食べた後は俺が寝ている間にあの料理長が中に入ってきて勝手に提げていく。
俺は自分のベッドに身を投げ出し、仰向けに天井を眺めた。真っ白な天井にはなにもなく、俺の心の中を見透かしているみたいだ。
「はぁ、シャワーでも浴びるか……」
体がだるい……。やっぱ、今日のあの木宮さんの突拍子のない茶番に付き合ったからか……。いや、絶対火拳の威力が強すぎたんだな。
シャワーから降り注ぐ湯を浴びていると、排水溝に流れていくお湯と共になにか俺の中から何かが流れ落ちていくような気がした。
なんだ、この感じは?
これじゃ、まるで……あの時と……。
俺は無気力になりながらも髪を乾かさずベッドに倒れこみ、天井を見上げる。
すると俺の脳裏に由梨の面影が浮かび上がってきた。俺は閉ざされた記憶を無理矢理閉じ込めようとしたができなかった。まるで由梨が無理やり俺に思い出させようとするかのように。
そう、あれは八年前、俺と由梨が小学二年生だった夏……。