Cyber Arms
長編で書こうと思いながらもなかなかそこまで行き着かず、時間だけがまろやかに過ぎてゆきました。
時は未来。文明の進歩は、人間の可能性を高めるとともに、その犯罪までも多様化させまた凶悪化させることになった。
高度に進化したサイバネティック・テクノロジーは、もともと人間の欠損した身体機能を補助したり、様々な作業をサポートするためのものだった。しかし猛烈な加速度で進歩した同技術は平和的な利用だけにとどまらず、別の方面においては人間の身体の部位を機械と交換することで、その能力を極限まで高めることが目的とされていった。
それは便利で有効なはずだった技術の暴走と言えなくもなかった。生身の人間には不可能な筋力を実現し、銃弾にも耐えうる頑強な骨格を獲得することができるようになった。また、人が有する感覚器官は優れた知覚補助機械と直接リンクし、機械と同化した頭脳は従来の神経伝達などとは比べものにならない速度で情報を処理できるようになった。
人間を高みに導くはずの技術は、非合法な肉体改造によって徐々に凶悪な犯罪の温床となっていった。各国の警察機関は増加するサイバネティック犯罪に対抗するため、様々な手段を編み出さねばならなくなったのである……。
──満月を頭上に、果てしないチェイスが続いていた。
高層ビルの合間を縫って、得体の知れない巨大な影が、跳躍し、疾風のごとく駆け抜けていく。跳躍の着地点にあった車は無残に踏み潰され、用を成さないスクラップと化してゆく。その途方もない重量と怪力の前にあっては行く手を阻める物などは無く、彼の目の前の障害となる物は例外なく破壊されるだけだ。
そしてまた、彼の容姿を見れば、誰であろうと驚愕するに違いない。成人の数倍はあろうかという体躯に、黒ずんだ金属を組み込んだ肉体。夜の暗さの中で両目が気味悪く発光し、形相は悪鬼羅刹も怖気づく。
彼は悲鳴をあげて逃げ惑う人々や、渋滞に巻き込まれた車から飛び出す人々になど目もくれず、月下の大都市で怒涛の疾駆を続けていた。
続いて、その巨体を追跡する、もうひとつの影が現れた。これもまた尋常ならざる速度で道路を疾走し駆け抜けるのだが、彼は前者とは対照的で、外見的にはとてもスリムな普通の青年であった。だが、やはり彼の脚力はどう考えても人間のものではない。
「あの野郎、でかい図体のくせに、なかなかすばしっこいな」
追跡する青年がそう漏らした。どんなに走ろうとも、両者の距離は一向に縮まる気配を見せない。二つの影は長い長いチェイスを継続していたが、両者とも息を切らして足を止めることはなかった。
それから青年は、周囲に話す相手もいないのに、こう口走った。
「ナギサ、解析はまだかよ?」
これは決して独り言ではない。彼の発した声は無線によって、通信相手である一人の人物の耳に入っているのだ。間も無く若い女性の声で返答が返ってきた。
「パーツの熱量と、性能の概算予想数値で解析したけど、該当データ特定不能。取得情報が曖昧すぎるわ。でも脚部ユニットのパターンはオルフェウス社のH・Cレッグに酷似している模様。ブーストによる緊急接近でのラグは0.08秒と推測。引き離される心配は無いわね」
「サンキュ! 俺の目を通した動画は引き続き転送するんで、解析続けてくれ」
「わかったわ」
追跡を続ける青年の元に、再びナギサからの連絡が入る。
「イツ、ACCTの部隊がその先で防衛線を敷いているみたい」
「ようやくおいでなすったか」
「距離、そこから直線で363.5メートル。対C2機動兵器を3体確認。まるで戦争みたいね」
「足止めくらいはして欲しいところだな」
やがて、対サイバネティック犯罪者部隊(ACCT)がイツの肉眼でも確認できた。彼の前を行く巨躯の男を射程圏内に捉えたらしく、有人機動兵器の腕から重機関銃が発射された。それと同時に、全部隊による一斉射撃が始まる。だが、けたたましい音とは裏腹に、その弾丸が魔獣をかすめる気配はまったくない。
「がぁぁぁ!」
メタルモンスターは咆哮しながら、ACCT部隊の目前に迫った。接近を許した機動兵器のうち一体は一撃の下に頭部をつぶされて稼動不能となり、別の一体は簡単に腕をもがれた。
生身の隊員たちはどうすることもできす、悲鳴をあげながら逃げ回る始末である。隊長を思わしき人物だけが、ひるまずに怒号を飛ばしている。
──だが、この一瞬、僅かな足止めが功を奏した。
「いくぜ、デカブツ!」
後ろから飛び込んできたイツが、ついに巨漢に追いついたのである。
「ウォォ!」
しかしながら、巨体の反応は予想以上に俊敏であった。狙いすましたイツの飛び蹴りは、少しの差で空を切った。身を翻した巨体は、もうこれまでのように逃げようとはしない。もぎ取った機動兵器の腕を振り回し、イツに叩きつけようとする。だが、これはイツの強靭な拳で粉々に砕かれた。
続いて、身軽なフットワークで懐に飛び込んだイツの拳が、巨体の顔面にヒットする。喰らった男は多少ひるみはするが、強度も自慢らしく、それほどのダメージを受けてはいないようだった。
この間、ACCT部隊は、攻撃がイツに当たるのを避けるため、攻撃を中断している。しかし、仮に攻撃をしたところでどちらにも命中したりはしないだろう。
イツは自分の方が小柄であることを活かして、積極的に巨体の懐にとびこんでいく。巨体の男は俊敏でパワーもあるが、イツと比べれば小回りの点で大きく劣っている。この戦いは、イツの絶対的有利と思えた。
しかし次の瞬間、大男の腹部が大きく開き、そこから黒鉄色の銃口が顔を覗かせたのである。
「内蔵火器!」
気付いたイツはすぐさま両腕で防御体勢をとると、可能な限り飛びのいた。だが着地よりも先に巨漢の男が放った炸裂弾を近距離でくらい、その爆発に巻き込まれてしまった。外見的には服が傷んだ程度にしか見えないが、ダメージを受けたのは確実である。
さらには、隙ができたのが仇となり、それから巨体に連続攻撃のチャンスを与えることになってしまった。
「うおっ」
防御体勢のままではあったが、敵の強烈なブローを喰らい、さらに連続してストレートを浴びてしまった。
相手のアームには特殊な機構が搭載されているらしく、まるで拳が杭を打ち出すかのように、瞬間的に、爆発的な衝撃を生み出した。
攻撃を喰らったイツは大きく吹っ飛んだ。そして、ビルの一階にあった店のウインドーを突き破って店内にかっとんだ。その後、彼がそこから出てくる空気は全く感じられなかった。
その直後、この化け物をどうにかしようと、残ったACCTの機動兵器の機関銃や、隊員の様々な武器が巨漢の男に命中したが、彼は全く動じなかった。頑強な装甲の前には、全く効果がないのである。それは、まるで銃弾を跳ね返す戦車のようであった。
「嘘だろ、おい!」
サイボーグとは何度か戦ったことのある隊員でさえ、そう言うのである。それだけ、相手のボディは桁違いだった。男は銃撃が終わるのを待ってから、ゆっくりとACCT部隊の方へ歩き出した。彼らを手にかけた後、このまま逃げおおせるつもりであろうか──。
「──イツ、イツ」
自分の名を呼ぶ声がして、イツは目を開いた。
「よぉ、ナギサ」
「よぉ、じゃないわよ。まだ生きているんでしょう? そんなところで悠長に寝ている場合じゃないわよ」
「いや、わかってるけどよ、正直なところ、俺の拳でも、あのデカブツをブチ壊せるか疑問だぜ。自分で言うのもナンだが、こんなに自信がないのは珍しいくらいだ」
「そうねえ、確かに、どう見ても民間で出回っているパーツの強度ではないわね」
「だろ? ……つーわけで、俺、もう少し寝るわ。あとは頼んだ」
イツは再び目を閉じて、寝返りまで打った。
「まあ、そう拗ねないで。今、解析できた情報を転送するからさ、遅れたのは謝るから」
「ヘッ……」
それを聞いたイツは、飛び起きてあぐらをかいた。
「待ってました、さすがは天才少女」
店内から高速で飛び出してたイツは背部ブースターを展開し、性能の上限、リミッターを解除して、一気に巨漢との間合いを詰めた。巨漢はイツの接近に気が付き、その蹴りを腕で防御しようとする。
「勝つときは、圧勝でッ!」
今度のイツには相手のパーツの脆弱な部分がデータになって送られている。その上、今の彼のパワーは圧倒的であった。直撃した瞬間、巨漢の腕がへし折れ、砕け散った。攻撃する箇所を一点に集中し、そこだけに力を叩き込むコンセントレーション・アタックは、イツの得意とするところである。
そしてもう、巨漢に反撃する時間などありはしない。先ほどまでのイツの速度とは比較にならないスピードなのだ。空中に留まりながら、既に二回目の攻撃を放つ体勢が出来上がっていた。
「負ける時も、盛大にッ!」
イツのインターフェイス上で稼動するターゲッティング・サイトが、敵のパーツの最も脆い部分をロック・オンしている。そして、寸分の狂いも無く、そのポイントに強烈な正拳突きが決まった。
「……それが俺のポリシーさ。戦いは勝負どころを見極めての大博打、ってね」
巨漢の腹部に巨大な風穴が開いていた。イツはゆっくりと、自らの拳を彼の身体から引き抜いた。動かなくなった魔獣は、やがてゆっくりと地面に崩れ落ちた。
「ふう。……こちらイツ。ナギサ、ようやく終わったぜ」
「こちらナギサ、了解。すぐ行くわね」
「お前のおかげだよ、サンキュな」
「どういたしまして」
通信を終えたイツは、地面に倒れている巨体の身体をチェックし始めた。
「頭が無事だからまだ生きてるみたいだな。違法改造も甚だしいぜ。……ん、これは軍用のパーツじゃないのか。一体、どういうこった」
そこへ、一人の男が近寄って来た。ACCTの隊長、エヴァンスである。
「おい、若造。勝手に触るな」
「あー、オッサンか。こいつはおれの獲物だぜ。どうしようと俺の勝手だろうが」
二人はお互いを知っている。同じような場面を、何度も経験しているからである。そして、両者が衝突するのもいつもと変わらない流れだ。
「公務執行妨害だからな。これ以上現場を荒らさず、速やかに立ち去れ」
それを言われたイツは、不服な顔をした。
「おいおい、礼を言われることはあっても、咎められる筋合いはねぇぜ。あんたらじゃ、どうにもならなかっただろう。……ま、ACCTが頼りないのは、いつものことだけどよぉ」
「お前の研究所でどんな研究をしていようが、勝手に色々触られたり、調べられたら困るんでな。必要なデータは後で送ってやるから」
「ケッ、指名手配中の凶悪犯を退治してやったってのに、ひでぇ話だぜ。あーあ、この世の中、正義はどこにあるんだかなあ……」
イツは壁に背をもたれて立ったまま、ナギサの到着を待った。その間にも、現場はだんだんと慌しくなってきた。何やら白衣の人間もちらほら見える。ACCTの研究員か、あるいは政府の科学者か。いずれにしろ、彼らは公務員であり、自分はある研究所のエージェントにすぎない。
それから少しして、一人の小柄な少女がやってきた。彼女がイツのパートナー、ナギサである。内面は驚くほど知性的で大人っぽいが、外見は少女と呼ぶに相応しいものである。
「ナギサ、ACCTのオッサンが何もさせてくんないぜ」
ナギサは進入禁止区域の内側、例の巨漢の死体に群がる連中を横目でちらりと見た。
「まぁ、毎度のことね」
「今回のターゲットはかなりキナ臭いんだけどな」
イツは思った。あの頑丈さと脚部パーツの性能はこれまでの犯罪者とは一線を画していた。軍用の物騒な部品も組み込まれていて、総合的な性能も兵器利用できるレベルのものだった。
実際に活用されている軍事用のサイバネティック技術で改造されたか、それとも……。
「そうね。データはあとでなんとかするとして、とりあえず動画を解析したいし、今日はもう帰りましょう」
「チッ、なんかすっきりしねえ。こう先に調べられたんじゃ、いつものように都合の悪い情報は開示されず、だろ。俺達にどれだけのデータをよこすってんだよ」
「大丈夫だって。彼らもいつか、私達の必要性に気が付く時が来るわよ」
スクラップになった車や乗り捨てた車も結構あるし、散々に破壊されているために、道路はほとんど機能していない。二人を迎える車はずいぶん離れた場所に停めてあった。
「全く、耐久力馬鹿のせいで腕のフレームが痛んじまったな。リペアしなきゃならねえ」
「じゃあ、また博士にどやされるわね」
「それだけはマジ勘弁」
彼らを収容した車は、闇を振り払うかのように走り去るのであった。
-FIN-