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もう一度野球が出来る

◆レイテ島・白球物語・もう一つの開戦◆


この物語は1945年10月

太平洋戦争で終戦を迎えたレイテ島で

ある若い日本軍兵士捕虜数名とアメリカ海軍との間に

行なわれた、白熱した野球ベースボールの試合と

アメリカ海軍兵士と日本軍兵士に交わされた

奇妙な友情物語りです


第二次世界大戦終戦末期

アジア太平洋戦争でフィリピンの戦場に投入された

日本軍兵士は約63万人にのぼるとも言われており

その中でもレイテ島での攻防は

もっとも戦火が激しく数多くの

若い日本軍兵士の命を奪って行った戦場でもあった


しかし、その激しい戦いに中でも

なにも出来ず戦わないでアメリカ軍の捕虜となった

若い日本軍兵士もとても多くいて

食糧はもちろん武器や弾薬の補給が途絶え

日本軍は戦いたくても戦えなかったのです

アメリカ軍の捕虜になる事に恥じた日本兵は

軍刀で自殺する人間もいましたが、ほとんどの兵士が

戦わないで餓死して死んで行きました


そんな状況下の中でアメリカ軍に捕らえられた

身体が衰弱し弱り切った日本軍兵士の捕虜の数は

約6000~8000人とまで言われております

終戦までの間、その日本軍兵士捕虜は強制労働と

悲惨な仕打ちをアメリカ軍に受け続けており

捕虜収容所と施設周辺は

まさに地獄絵図でもありました


つまり日本軍兵士の捕虜の数が多すぎたのです

多すぎる捕虜を簡単に減らすには

虐殺しかありません

食糧の備蓄はアメリカ軍も一緒です

無抵抗な日本軍兵士の捕虜を広い飛行場に集め

その捕虜を使って大きな穴を掘らせます

そして100~200人以上の捕虜を

その掘った穴に突き落とし

航空燃料のガソリンを掛けて

火炎放射器が放ち

日本軍兵士捕虜を一人残らず焼死させます

そして残りの捕虜数人がその焼死体がある

穴を埋めさせます


この話しはあるアメリカ兵士の日記に記載されて

いたようで

もしこの話しが本当に事実なら

人間の本質はまさに悪だと思います

悲惨な戦争は人の感情(心)を

簡単に悪(悪魔)へと変えてしまいます

人を殺す事に何故か慣れてしまうのです

同じ人間を殺す事に躊躇がなくなり

仲には敵である兵士(人間)を殺す事が

むしろ快感に変わってしまう人間(兵士)も居ます

もちろん愛する家族を失い・友人(仲間)を殺され

様々な怨み辛みがある人間もいるかと思います


そして捕虜収容所でも多くの日本軍兵士捕虜が

極度な疲労と衰弱より最後は

餓死で数多く死んで行きました

しかし・・太平洋戦争が終戦を迎えると

日本軍兵士捕虜に対するアメリカ軍の

対応と態度が180度変わり

その変わりようは政治的な目的と同盟国に対する

信頼といろいろなパフォーマンスがあったとようです

ある意味アメリカらしい対応でした


第1章 もう一度、野球が出来る!


◆簡単な登場人物のプロローグと

回想シーンになります


僕の名前は沢村秀夫

21歳です(1944年の時点で)

大正13年4月7日生まれ・A型

広島県で生まれました


◆登場人物の紹介です◆

沢村秀夫 本作品の主人公となります

身長186cm 体重72kg

この時代ではとても目立つ背の高さでもある


僕は小さい頃から野球が大好きでしたので

高校に進学する時も

地元でも野球がとても強くて有名な

広島県立広島商業高等学校に進学して

そこの野球部に入部しました


僕のポジションはピッチャーで

右投げ左打ちです、上背があります186cmです

得意な球種は直球ストレートです

自慢ではないですが球の速さには自信があります

僕が投げると相手のバッターは

バットにかすりもしないで三振の山でしたので

とても面白く本当に野球が大好きでした


しかし僕が17歳(1941年)の時に

戦争の影響によって軍隊動員を図るために

全国規模のスポーツ大会の

中止が発表され、僕の大好きな野球も出来ない

状況となりましたが


翌年(1942年)に、「戦意高揚」を目的として

戦時下において文部書と

その外郭団体大日本学徒体育振興会は

大日本学徒体育振興大会を

催行することとなり、その内の中学野球として

甲子園球場で開催されることが決まりました


僕は中国地方・広島県代表として甲子園に出場しました

しかし・・この大会はルールも大幅に改善され

しかも非公式な大会でしたので

後にこの大会は幻の甲子園と語り継がれてしまいます

僕もこの大会を最後に高校野球に別れを告げ

一度も母校のグランドで

野球をする事はありませんでした

戦争を心の底から憎みました

とても悔しかったです


僕の父(三勇・48歳)は広島県呉市にある

呉海軍工廠の造船ドックで

建造技師として働いていましたが

今年(昭和20年)の5月に呉海軍工廠は

B-29の空襲を受けてしまい父はその際に両足を

負傷してしまい広島市内の呉海軍病院に入院したと

当時の部隊の上官から聞かされました

広島港にある軍事施設は米軍の空襲により

ほとんどが破壊されてしまい

これにより本土との通信機関も

麻痺している状態でした


父はあの戦艦大和の建造にも携わっていたと

後に母から聞かされました


母(佳子・45歳)は父が入院している呉海軍病院で

現在は看護婦長をしています、躾や勉強には

とても厳しいで母ですが、とても温かく

僕と妹にはとても優しい母です


妹(良子・16歳)は

広島県立広島第一高等女学校の4年生です

僕とは違い頭がとても良く賢いです

その上とても明るい性格なので友達がたくさんいます

しかし去年(昭和19年)学徒動員令により

生徒達は学業を放棄してしまい

軍需生産のため労働力要員として動員され働かされている状態です

もちろん妹もその勤労奉仕作業員(兵器支廠)の一人として

毎日、朝早くから夜遅くまで働いています


昭和19年末期に入ると

アメリカ軍からの日本本土への攻撃が頻繁に

激しくなり

昭和19年4月に満20歳となった僕は

昭和19年10月に京都にある

第16師団(軍隊符号は16D)という軍用施設に

徴兵召集命令(赤紙)され

そこで京都伏見藤ヶ森・中部三十七連隊・土佐隊に入隊しました


同年11月に陸軍兵の増兵として

油槽船・安芸川丸に乗船しました

皮肉な事にこの船も僕の父さんが作った輸送船でした

安芸川丸の輸送目的はもちろん南方戦線・レイテ島への

陸軍兵士の護送と武器・弾薬・食糧・燃料などの輸送が目的です

そして九州の門司から11月30日に出航し

門司から台湾方面へと豊後水道経由していました


この時期にして15隻という大船団を編成での出航です

護衛艦は4隻ありましが全て今年の4月完成したばかりの

新米艦でした・・・


~沢村栄治との出逢い~ 本題スタート


出航初日、船内の食堂で野球ボールを握り締めている

ある男性(上等兵)と僕は目が合いました・・


*秀夫の心の中

(あ!硬球ボールだ・・・この人野球が好きなのかな・・?)


すると・・その男性(上等兵)が僕に話し掛けて来ます


「君・・・デカいな・・それに体格もいいな」


【ハイ!自分は身長は186cmあります高校時代は野球をしていました!】


「ほぉ~俺も野球しているねん・・ポジションはピッチャーや

それで・・君の名前は」


【ハイ!中部三十七連隊・土佐隊所属の沢村秀夫二等兵であります】


「ハァ~これまた偶然やな・・名前まで一緒やないけん

俺も名前は沢村や・・沢村栄治や、ほな~よろしく頼むわ~沢村秀夫君」


秀夫の心の中

*(・・何処かで聞いた事がある名前だな・・まさか・・

大日本東京野球倶楽部(東京ジャイアンツ)の・・あの沢村栄治かな・・?

あの沢村栄治がこんな輸送船で僕と一緒に乗船している訳がないよな・・)


しかし、たまたまそこに居た沖田艦長がその沢村さんに言い寄ります


「君・・あの沢村栄治君かね・・巨人軍のエース沢村君やないけ?」


「ハイ!自分は巨人軍の沢村栄治であります!」


◆人物紹介◆

沢村栄治 27歳(1944年の時点で)

身長174cm 体重71kg

1917(大正6)年三重県生まれ

右投左打・投手・背番号14

京都商業を中退して全日本選抜入り

1936年に日本のプロ野球開始とともに

巨人入りした選手である・実在した人物です


するとそこに居た人達が一斉にざわつきはじめました

(おいおい・・沢村だよ!!あの沢村だよ

4年前に名古屋軍戦でノーヒットノーランを達成した

沢村だよ!!150kmの豪速球やで!!

しかもドロップとか言う魔球もあるとか)

すでに沢村の回りには人だかりで埋め尽くされていた


秀夫の心の中

*(おいおい・・本当かよ・・僕が尊敬する沢村さんだよ

この人が本物の沢村さんだ!しかしその魔球とか

ドロップってなんだよ?その球はいったい?)

俺に教えてくれないかな・・


秀夫の頭の中は魔球の事でいっぱいだった


すると一人の水兵が沢村栄治に問い掛けます


「沢村さん・自分は一度でいいから・・沢村さんが投げる姿を

どうしてもこの目で見たいので是非!そのボールを投げてくれませんか?

無理を承知でお願いします」


すると回りに居た兵隊達も一切に言いはじめました


「自分も見たいです!私も見たいです!・・

俺も・・自分も是非!見たいです・・お願いします!沢村さん!」


そこで沖田艦長が沢村に言いました


「どうだろう・・・ここは一つ景気づけに皆の前で

投げてみてはくれないかな?私からもお願いするよ!沢村君!

グラブやミットは私が持っているから貸してあげるよ・

バットもボールも倉庫に実はあるのだ・・私も野球が好きでね・・

戦争が始まる前はよくこの船で仲間とキャッチボールしたよ」


◆油槽船・安芸川丸は元々は民間船でもあるので

乗組員の9割以上が元は民間勤務の出身でもある・・

艦長も気さくで軍艦なような厳しい規則もなく

この船は何処か和やかな雰囲気が漂っていた


そして秀夫も沢村に言い寄る


「沢村さん是非!お願いします・・

沢村さんの投球ホームを生で見るのは初めてだし

それに・・噂の150kmの直球ストレートを一度でいいから

自分は見たいです!宜しくお願いします」

秀夫は深く頭を下げて沢村栄治にお願いした


すると沢村栄治が寂しそうに秀夫に言った


「すまない秀夫君、俺の右肩は・・もう~ダメなんや・・・・

去年の出征で肩を壊してしもうたんや・・・

手榴弾の投げ過ぎが原因だと医者が言っておった・・」


そう戦場で沢村栄治が投げる手榴弾は

遠投で約70mを軽く超えていたと噂がある


まさに桁外れの強肩の持ち主でもあった・・

軽い硬球ボールと比べても(約180g)

当時の手榴弾はとても重く(600g)普通の成人男性が投げても

せいぜい30mぐらいしか投げられなかった


そんな重い手榴弾を沢村栄治は、2度の出征で

500個以上投げたそうです


秀夫は申し訳なさそうに沢村に言った


【え!・・そうだったのですが・・沢村さん・・

無理なお願いをしてすみません・・・】


すると回りに居た兵士達も沢村に謝りはじめた


【すみません・・沢村さん・・知らなかったもので・・】


沢村は秀夫の顔を見て笑いながら話す


「いや・・構へん・・気にしないでくれや秀夫君・・

これも何かの運なのかも知れないからな・・

でも・・なんだかこの場の雰囲気が暗くなってしもうたな・・」


すると沢村栄治が秀夫にとんでもない提案を言った


「あ!そうだ!秀夫君は確か高校時代は

ピッチャーやっておったんだよな

どうかな・・ここは俺の代わりに皆の前で投げてはくれないかのう」


秀夫は言った


【え!!む・む・無理ですよ・・僕はもう~野球を辞めてから

3年近く硬球を投げていないです・・それに

沢村さんのボールの速さに比べたら僕のボールなんて止まって

見えてしまうので・・とてもじゃないですが・・

プロの沢村さんの前では恥ずかしく投げられません・・】


すると回りに居た兵士の一人が秀吉に言い寄る


「兄ちゃん・・結構~背が高いから・・

意外に速い球を投げる事ができそうだな・・

それに体格もいいしな・・ここわ沢村さんの顔を立て

一つ投げてみたらどうだ・・」


すると一人の若い水兵が出て来て秀夫に言う


「俺がキャッチャーやるよ・・お前・確か広島商の沢村だよな?」


【あぁ・・そうだけど・・・君は?】


「俺は京都の平安中の木下だ・・

お前とは3年前に甲子園で戦っているよ

俺はその試合では5番でキャッチャーをやってた

お前・・俺のこと覚えているか・・?」


少し考え込む秀夫だが・・


【あ~!木下じゃないか・・思い出したよ!

俺から3打席連続三振した木下だな・・】

と秀夫は木下を見ながら少し微笑む


しかし木下は恥ずかしそうに・・


「沢村・・調子にのるなよ・・確かにお前の球は速いが・・それだけだ

お前はそのストレートだけしかないからな!」


◆人物紹介◆

木下和也 21歳 

身長173cm 体重60kg

京都平安中で5番・キャッチャーで主将をしていた

幻の甲子園出場選手でもある

秀夫とはこの先バッテリー組む人物でもある~


すると回りに居た兵士や水兵達が二人に言い寄る


「へぇ~兄ちゃん達は甲子園に行ったのか・・?

そいつは凄いじゃないか!!早く投げてみろよ!兄ちゃん

そうだよ!いいね!兄ちゃん達!ここは盛り上げてくれよ!!」


再び食堂の場所が兵士達の声で盛り上がる

秀夫は思った・・こんな輸送船の中で

また硬式ボールを投げる事が出来るとは

思ってもいなかった・・


秀夫は複雑な気持ちだったか・・内心はとても嬉しかった

(投げたい!あの硬式の硬いボールを投げたい・・・

あの・・心地よい感触の硬式球を強く握って!投げたい!)


すると秀夫は沢村栄治の顔を見て話し始める


【あの・・沢村さん・・俺の投げる球を見てくれますが!!!

沢村さんが持っているそのボール(硬式球)を

僕に貸して下さい!宜しくお願い致します!!!】


すると沢村栄治が秀夫に問い掛ける

「あ!ええよ・・投げてみな・・俺も秀夫君が投げる球を

見てみたいよ・・・ほな~この上の甲板に上がって・・

そこで投げて見るか!!」


するとそこに居た兵士や水兵達が一斉に船の甲板へと上りはじめた

「おおぉお~兄ちゃん!期待外れな球を投げたら承知しないで」


いつの間にか輸送船の甲板は大勢の人だかりが出来てしまった


次に続く









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