鉄棒
坂北です,こんにちは。初投稿です。
鉄棒のお話です。逆上がりはできません。
西間佳奈江は水たまりに映り込む,鉄棒を見た。
何年かぶりに生まれ育った故郷に帰ってきた。ありとあらゆるものががらりと変わって,昔の面影は見つけることさえも叶わなかった。
――あの時の風景は今,どこにいってしまったのだろう。
そんな時にふと,目に留まったのが,小さな鉄棒だったのだ。
彼女の家の近くにある小さな公園の真ん中にぽつんと置かれた小さな鉄棒。遠い昔の記憶にかすかな光がともった気がした。
まだ,小学校に入りたてのころ,幼い佳奈江はここに通って,逆上がりの練習をしていた。そんな記憶がある。逆上がりは幼い彼女には難しすぎたし,ここの鉄棒は高すぎた。手を必死に伸ばして,足で爪先立ちをして,ようやく,届くかどうかというころ合いだったのだ。練習し始めて,どれくらい経った頃だろうか。彼女は突然として,逆上がりができるようになった。突然……ではなかったかもしれない。それまでに,必死に練習を積み重ねていたのだから,それはもともと決まっていた時期なのかもしれない。けれど,まだ子供の佳奈江にとっては,それは突然の出来事だったように思えた。そうして彼女は,この公園に通わないようになった。
佳奈江は鉄棒をそっと触った。ひんやりとした金属の冷たさ,握った時の感触,かすかに匂う鉄のにおい,何一つ変わっていない。ただ,あの時は高く見えた鉄棒が,今ではかなり低く見える。鉄棒が縮むはずもないし,何よりもあれから何年もたっている。佳奈江も成長した。今,この高さの鉄棒と逆上がりなどできるはずもないだろう。そもそも,自分が逆上がりをまだできるかどうかさえ,わからないのだ。
ズボンのポケットに押し込んである携帯電話が振動する。自分の設定した着メロが流れ出す。
「もしもし?」
『佳奈江,今どこら辺にいるの?』
母が電話越しから心配そうに尋ねてくる。
「家の近くにある小さな公園よ。ほら,小さな鉄棒のある」
佳奈江は懐かしみながら説明する。
「私が,逆上がりの練習をしに行ってたところ。それより,お母さんはどうしたの?」
『そろそろ,お夕飯ができるわよって伝えようと思ったのよ。遠い所にいたら心配だから電話したけど,大丈夫そうね』
「わかった,そろそろ帰るね。今日の夕飯はなに?」
佳奈江はそっと,鉄棒から静かに離れ始める。
ここから家までなら数分で着くだろう。すぐに帰って,母の手伝いをしよう。そんなことを考えていた。
『佳奈江の好きな肉じゃがとピーマンの肉詰め,たくさん作っておいたからね』
「やっぱり,一人暮らしするよりも,お母さんと居た方がよかったかも。ご飯作るのが面倒で,面倒で……」
彼女は苦笑交じりに話す。実際,三食のほとんどをコンビニ弁当で済ませている現状だ。
『そんなこと,言ってたら,いいお嫁さんになれないわよ』
母も苦笑交じりに返してくる。
「やだ,お母さん。まだ私,お嫁になる気はないからね」
佳奈江はそういうと,「じゃあね」と言って,電話を切った。
再度,鉄棒の方を振り返る。小さな鉄棒が夕日に照らし出されて,寂しそうに立っている。
変わってしまった何かを悲しむように。
楽しんで読んでもらえたらうれしいです。
楽しめるようなテーマではないと思いますが。