太陽と消しゴム
「……熱い」
思わず、声が漏れた。こんなことを言っても意味が無いことくらい僕は重々承知だし、第一気温を表すなら「熱い」じゃなくて「暑い」だろうとも思ったけど、今現在の僕は「熱い」と言わずにはいられなかった。
「そりゃなんと言っても夏真っ盛り! 梅雨も明けたところだからね。暑いのは当然だよ。それとも何かい? 猫目石はそういう当たり前のことを言うためだけに生まれてきた存在なのかい?」
僕の隣で、一緒に歩いていた平助が喋る。普段から他人の一言に対して十倍くらいの量の言葉を返す奴だと認識していたが、暑い日にこいつと話すと疲労感は格段に違うな。どうしてこいつはこうもハイテンションで、夏の暑さにも負けずという宮沢賢治の有名な詩を体で体現しているのか疑問に思った。思っただけで、口にはしない。
「まだ、明日から夏休みだと言うのが救いだな。お陰で頑張れる」
「そうはいっても、結局補習ばっかりなんだけどね」
人があえて思い出さないようにしていることに触れるな。憂鬱な気分が倍増する。これもまた、口にはしない。喋るだけで口の中の水分を根こそぎもっていかれるのだ。
僕は今、大きな川を右手に見ながら真っ直ぐ学校を目指して歩いていた。堤防の上を歩いているのである。遮るものは何も無く、太陽が容赦なく僕たちを溶かそうと試みている。風が吹けば生ぬるいを通り越して熱風だったし、アスファルトの照り返しが下からも僕たちを焼きつけている。
前を歩く行列。あるいは先を急ぐ自転車の群れもまた、一様に暑そうだ。表情を見なくても、動きで分かる。『あー暑い。明日から夏休みなんだから今日から休みでいいじゃねえか』。そんな声が聞こえてきそうだ。
「補習だけじゃない。文化祭の準備とやらで、学校に出なくてもいいはずだった日にちまでびっしり予定を入れられた。こちとら受験生だぞ? ドンチャン騒ぎは去年までにしておけよ」
「そんなこと言うなって猫目石。最後の文化祭なんだから、楽しまなくちゃね」
人間誰しもがお祭好きだと思うなよ。勝手にしろと思う。とはいえお祭ムードに水を差すのも嫌なので、結局準備には真面目に参加するわけだ。周囲に合わせて行動する日本人の性だ。
歩いている途中、一台の車が僕たちの横を通っていった。白い年代物の軽自動車。あれは、誰の車だっけ? 一瞬しか運転席を見ることができなかったので、運転手が誰か判断がつかなかった。ちらっと見た感じ、男の先生のひとりであることは間違いないはずだが。
「平助、あれは……?」
「伊野先生、で間違いないね。世界史の」
「ふうん」
僕は選択授業が日本史だから、一瞬では分からなくても当然か。一年生の時、現代社会を教えてもらった程度しか、関係はない。
一方、伊野先生と面識すらないはずの平助が一瞬見ただけで人物をズバリと特定できたのは、それはそれで変だ。
「どうして分かった?」
「運転席は一瞬しか見えなかったから、車以外に判断する材料は無いね。車種、ナンバー。全てが伊野先生の車と一致したよ」
全教師の所有する車の車種とナンバー覚えてるのか? 呆れて物が言えないな。この学校に教師が何人いると思ってるんだ。百人を超えるぞ。
「その記憶力を勉強に生かしたらどうだ? お前なら、世界史の出来事と年代を覚えるくらい簡単なはずだ」
「馬鹿言うなよ猫目石。小学生だってポケモンを五百匹覚えられても九九を覚えられない子がいるだろ? 興味のあることは幾らでも覚えられるし、興味のないことはひとつだって覚えられない。それが人間だろ?」
「それが真実だとして小学生がそれを言うのは問題ないが、高校生が言うのは問題だろ。もう少し大人になれよ」
そうこうしている間に、目前に銀色のドームが見えてきた。我が高校でどうしてあるのか一番分からない代物、天文台だ。現在では動かせる教師がいないらしく、誰も動いた姿を見たものはいない。専ら幽霊部員の根城だ。
銀色のドームは太陽を反射させ、煌いている。アスファルトの輻射熱を第二の太陽とするなら、さしずめあれは第三の太陽と言ったところか。考えただけ、憂鬱になってきた。ゴール地点がクーラーの効いた教室であることを心の支えにして、先を急いだ。
体育館でのうだるような式を終え、教室に帰る。担任の鷲羽先生が特に連絡はありませんと言って、解散。夏休みに突入するというのに、何ともメリハリが無く、いつも通りの終わり方だった。すぐに補習が始まるから、メリハリなんて最初からあったものじゃないんだろう。
そんなわけで僕は、教室で一人寂しく昼食を食べていた。これから図書館へ寄り道しようという算段でもあるし、クーラーの効いた教室から出たくないというのもある。
ちなみに平助はいない。クラスがまず違うのだ。
僕が一人で弁当を突っついていると、教室前方のドアが開く音がした。目を向けてみると、女子がひとり、入ってくるのが見えた。夜島か。
夜島。僕はその女子生徒のことを、『夜島帳』という名前以外知らない。ああ、後は精々、グルメサイエンス部の副部長をしているということを、誰かから(あるいは他でもない夜島自身から)聞いているくらいだ。クラスも違うし、出身中学が一緒だったわけでもない。ただ、共通の知り合いがひとりいる程度。僕は夜島の存在を、今年の六月になって知った。
つまりそれくらいの、言うなれば友達でもなんでもない間柄だ。存在をお互いに認識している、登校途中によく見かける生徒と大して変わらない距離感の人間だ。
そう。それだけの人間の、はずなのだが……。
「ねえ猫目石くん。少しいいかな」
夜島は、挨拶も何もなくそう言った。弁当を食べている途中の相手に対する気遣いも、自分のクラスではない教室に入る後ろめたさも持ち合わせていない。単刀直入に、自分の用件だけを前面に押し出した。
夜島の台詞を言葉だけ取れば至極控えめな言い回しなのだけど、語調だけを取るとヤクザのそれと大差ない気がする。「テメェ面貸せやコラ!」と言われているようなものだ。
高圧的態度なんて表現が生ぬるく感じる。夜島自身が、服を着た高圧的態度なんじゃないだろうか。
「……なんでしょうか、夜島様」
断ることは無理だったし、ましてや食いかけの弁当を放り投げて逃げるわけにもいかず、僕は無理矢理夜島の要求に屈するしかなかった。さっきも言ったこいつとの『共通の知り合い』は夜島のことを「享楽的ではあるけど普通の女子」と言っていたけど、絶対違うだろ。どんだけ人を見る目がないんだよあいつは。
「伊野先生って、知ってる?」
「伊野? ああ、世界史の伊野先生か。知ってるよ」
ちょうど今朝話題になったところでもあるので、当然覚えていた。
「で、その伊野先生がどうかしたのか?」
「じゃあ、中藤先生は知ってる?」
僕の台詞は受理されなかった。
「中藤先生……って古典の? 知ってるも何も、僕のクラスは中藤先生が古典の受け持ちだぞ」
中藤先生。古典の女の先生だ。僕は先生に好き嫌いも得意不得意もつけない主義なのだけど、それでも僕はあの先生に『苦手』という評価をつけていた。嫌いでも不得意でもなく『苦手』である。何故か中藤先生については、この表現が似合う気がした。
「そのふたりの先生がどうかしたのか? 何かあったのか?」
いやしかし、そのふたりの先生を並べて話題に出すこと自体は、あながち不自然なことでもない。どうやら仲がいい(中藤先生談)あのふたりは、よく伊野先生の車でコンビニに行くらしい(中藤先生談)。だからどうしたという話だし、情報源である中藤先生は冗談めかして言っているので、こちとらあまり本気にしていないのだ。
「伊野先生曰く『不適切な関係』とか自称してるらしいけど、それが実は冗談じゃなくて本当だったとかか?」
「半分正解ね」
「正解なのかよ」
やめてほしかった。既婚者だぞふたりとも。
「本題は何だよ。どうして僕にふたりを知っているか聞いたんだ?」
「ちょっと、考えてほしいことがあるのよ。それが、ふたりの先生絡みだったってだけ」
そういって夜島が取り出したのは、真っ白な便箋だった。横に罫線が引かれただけの、書き損じでも何でもなく、誰がどう見ても未使用としか思えない便箋だった。
「ここに書かれている事を、解読してほしいの」
伊野先生と中藤先生が半分ほど『不適切な関係』なのかどうかの議論は今回に限り置いておこう。あくまで僕がやらなければならないことは、夜島が持っていた白紙の便箋に関係するのだから。
事件の流れはこうだ。
昨日の昼休みのこと。伊野先生は中藤先生と共にコンビニに行った。どうやら中藤先生が冗談めかして喋っていたこのことについては、本当のことだったらしい。ふたりは伊野先生の車――――即ち、今朝見かけた年代物の白い軽自動車でコンビニに向かった。
ふたりはコンビニで買い物を済ませると、行きと同様に車でコンビニから学校へと向かった。学校に無事到着したところで、中藤先生はある物をカバンから取り出したのだそうだ。それこそ夜島が現在所持している、白い便箋だ。
その時、白い便箋は四つ折にされていたらしい。なので渡された伊野先生は、その紙が便箋、つまり手紙や伝言の類であることに気づかなかったのだという。「後で読んで」と言われた伊野先生は、車の助手席にその手紙を置いて車から降りた。ここの行動は、いかにも伊野先生らしいズボラで無頓着な動作と言えよう。
「伊野先生は結局、昨日の内に便箋の中身を見ていないんだな」
「そうよ。いかにも伊野先生らしいことよね」
そのせいで今の僕がこのような憂き目に遭っている事を考慮に入れれば、そこまで他人事として流せる事態じゃない。お願いですから伊野先生、もう少し物事に敏感になっていただけないでしょうか。
伊野先生が便箋を渡された翌日、要するに今日。伊野先生は学校に着くと同時に、助手席に放り出してあった便箋の存在を思い出した。伊野先生が慌てて助手席に置いてあった便箋を開くと、そこには何も書かれていなかったという。
「中藤先生の台詞から、また便箋という紙の種類からしても、この紙には何かしらの文字が書かれていたことが推測できるというわけか。中藤先生のことだから、壮大な冗談ということも充分考えられるんだけどな」
「中藤先生の冗談という可能性は極めて低いわ。どうやら伊野先生はちらりと、一瞬だけ四つ折にされた便箋から黒い文字のようなものを見てるらしいから」
冗談なら楽だったのに。お陰で僕は本当に、どう考えても未使用にしか思えないこの便箋に何が書かれていたかを考えないといけないじゃないか。
「ところで夜島。お前どうして伊野先生の手紙を持ってるんだ?」
「頼まれたのよ。『中藤先生に気づかれないように、便箋に書かれてる内容を解読してくれ』って」
「それはお前が頼まれたのであって、僕が頼まれたことじゃないな。僕が動員される理由はないはずだろ?」
「こういうの、あなた得意でしょ? 解きなさい」
「有無も言わせないのか…………」
仕方ないので、考えるしかなさそうだった。なんで僕がこんな目に…………。
「たぶん伊野先生は、お前とあいつのグルサイ部長コンビを頼りにしてるんじゃないか? あいつはどうしたんだよ」
今はこの場にいない、グルメサイエンス部(略してグルサイ)の部長を務める『共通の知り合い』を思った。そうだ。伊野先生はあいつと夜島を頼りにしてたんじゃ……。六月に何かの事件があったらしく、それをこのふたりが解決したとか何とか。それ以来、謎があったらグルサイに持っていけと言われているらしい。
「重度の夏バテで休んでるの。案外暑さに弱いのね」
「その欠席理由は何故か納得できる」
あいつは痩せすぎだからな。夏バテで食欲を失えば、すぐに栄養失調にでもなるだろう。
それで僕かよ。
「どうなの? 今のところ、何か仮説はあるの?」
「いや、無いな」
ていうか考えてもいませんでしたよ。
「少なくとも、伊野先生が便箋を貰った時には文字があったんだな。そうなると、赤外線ライトを当てると見えるようになる特殊なインクでは書かれていないのか。文字は比喩でも何でもなく、『消えた』のか」
それが厄介だ。ただ見えない文字なら、特殊なインクとか炙り出しだとか方法はいくらでもある。しかし文字が最初の時点であったとなると…………。
「よ、猫目石。なにしてんだ?」
「……平助か」
しばらく考えていると、平助がやってきた。何をしに来たのかは分からないが、好都合だ。巻き込んでしまおう。
僕は一連の展開を平助に伝えた。平助は想像通りの奴なので、すぐに食いつく。なんとも御しやすい人間だ。
平助は考えながら、言葉を搾り出した。
「つまり、伊野先生が便箋をほったらかしにしている間に、文字が消えたんだね。…………でも、どうして消えたのか考える必要は無いんじゃないかな?」
「どういうこと?」
夜島が尋ねる。
「だからさ、伊野先生は便箋に書かれていた内容が知りたいんだろ? だったら、別に消えた原因を考える必要は無い。内容だけを解き明かせばいいんだから、鉛筆で便箋を擦ったりして文字を浮かび上がらせればいいんだよ」
それは盲点だったな。平助がいて正解だった。
しかし夜島は納得がいかないらしく、首を横に振る。
「その方法なら試そうとした。でも、無理よ。この便箋、下敷きをちゃんと下に敷いて書かれたみたいなの。伊野先生は文字の太さからボールペンで書いたんじゃないかって言ってたけど、文字の跡は残ってないのよ」
「そりゃ参ったね。お手上げだ」
ふむ、ボールペンか。大方、情報は揃っただろうか。
再考しよう。便箋に書かれた文字が消えた、その理由を。
伊野先生が中藤先生から便箋を受け取ったのは、昨日の昼である。伊野先生は受け取る際、一瞬だが便箋に文字が書かれているのを見た。つまり便箋には何も書かれていませんでしたという中藤先生冗談説は消えた。さらに赤外線ライトを当てると見えるようになる特殊なインクを使用して書かれたものではないことも、伊野先生の証言から明らかになった。確定事項ではないが、便箋に文字を書く時に使われた筆記具はボールペンの可能性が高い。
問題は、どうして文字が消えたのか。ここを明らかにしないと、便箋に書かれた内容を復元するのは難しい。
「誰かが消したんじゃないか?」
思いつきで、ひとつ言ってみた。
「使われた筆記具がボールペンだったとして、それでも消す手段はあるだろ? 砂消しゴムとか」
「それはナンセンスだね」
夜島に反論される事を覚悟して言ったつもりが、意外にも反論してきたのは平助だった。
「そんなもの使ったら、跡が便箋に残るよ。便箋は未使用状態よろしく真っ白じゃないか。外部から消そうという何らかのアクションがあったとは思えないよ」
「…………そうか」
やれやれ、余計に条件が増えた。文字を消す時、跡を残してはいけない。じゃああれか? 文字が自然消滅したっていいたいのか?
「消えるペンねえ」
消える、か。………………あ。
ひとつ、考えが浮かんだ。僕は教室の窓側へ向かい、窓を開ける。窓から見下ろすと、教員の車が何台か止まっているのが見える。この学校に教員用の駐車場は何箇所かあるが、ここに伊野先生の車はないらしい。
「平助。伊野先生の車はどこに止めてある?」
「どこって、正門の前だよ」
「そこは日の光が当たるか?」
「ガンガンに当たるね」
「そうか、じゃあそれだ」
おそらく僕の考えは、合っているだろう。
職員室で伊野先生を見つけて、僕は先生を目的の場所まで案内した。目的の場所とは、ズバリ調理実習室だった。
「そこに行けば、分かるのか?」
「ええ」
廊下を歩いている最中、伊野先生が言った。僕はそれに、短く相槌を打つ。
「では調理実習室に行く前に、答え合わせをしましょう」
「それは、文字が消えた謎か?」
「はい。今回の一件は、伊野先生の運が悪かったんでしょうね」
文字が消えた謎。それに気づいてみると、そうとしか言えなかった。こんな稀有な状況に陥るのなんて、通常は考えられない。
「まず文字が書かれた道具ですが、これは伊野先生の推測どおりボールペンで間違いないでしょう。その文字が、一日の間に消えてしまった。それはどうしてか。答えは意外と簡単ですよ」
笑っちゃうくらいに、簡単だった。
「そのボールペン、消しゴムで消せるタイプだったんです。だから消えたんですよ」
「……ちょっと待て猫目石。消しゴムで消した形跡なんて、どこにも無かったぞ」
「そうでしょうね。それに、別にボールペンで書いた字なんて、消せるタイプじゃなくても砂消しゴムとか使えば消せますからね。ただこの場合、やっぱり『消しゴムで消せるボールペン』というのが重要でして」
ここでひとつ、知識問題だ。
「伊野先生は、どうして消しゴムで消せるタイプのボールペンは、消しゴムでインクを消すことができると思いますか?」
「…………いや、それはインクが消しゴムで消えるように改良されてるからだろ?」
「具体的には、どう改良されているかが問題ですよ。実はあの手のボールペンは、インクが実際に消しゴムで消されているわけじゃないんです。単純に、消しゴムで紙を擦った時の摩擦熱でインクの色が変化してるんです。黒色から透明に。つまり――――」
廊下の窓から太陽を見る。南の空に輝く太陽。アスファルトは太陽の熱を反射してゆらゆらと蠢いているように見える。そして天文台が、太陽の光を受けて否応無く輝いていた。外には今、三つの太陽が輝いている。
「太陽が、消しゴムだったんです。太陽の熱を受けて、先生の車の中は蒸し風呂状態になっていた。消しゴムで擦る前から、インクを黒色から透明に変えるに充分な熱があったんです。だから便箋に書かれていた文字は、痕跡も残さず消えてしまった」
実のところ、その手の『消しゴムで消えるボールペン』に使われているインクは、六十度くらいの熱で透明になる作用を持っている。車内に一日中取り残された便箋は、それくらいの熱を受けていたのだ。
「それは分かった。でも俺が知りたいのは、消えてしまった文字の内容だ。一度消えてしまった文字は、もう見えないのか?」
「ちゃんと見えるようになりますよ。そうでなかったら、先生をわざわざ調理実習室へお連れしませんって」
図ったようなタイミングで、調理実習室の前についた。扉を開けて中に入ると、夜島が冷蔵庫の前にいるのが目に映る。
「熱されることでインクが透明になるのなら、その逆の作業をすればインクは色を取り戻します。だいたいマイナス二度から十度の場所、冷凍庫なんかに十分ほど放置すればすぐに復元できるんですよ」
伊野先生は真っ先に冷蔵庫の下段を開ける。そこから、白い便箋を取り出した。遠目から見ると、便箋には文字が書かれている。ちゃんと、復元できたようだ。
「すまなかったなふたりとも、個人的なことに巻き込んで。それじゃ俺は、これで帰るぞ」
伊野先生は言うなり、そそくさと部屋を後にする。そんなに見られたくないか、手紙。
「ごくろうさま。お陰で解決したわ」
夜島がキャラに似合わず、ねぎらいの言葉をかけてくる。何となく、違和感を感じた。
「お前、絶対手紙の中身見ただろ」
「わたしはそんな無粋な真似しないわ。…………ちょっと、手紙を摩り替えただけ」
「……は?」
夜島は立ち上がって、そそくさと調理実習室の出入り口まで向かう。
「もしかしたら伊野先生と中藤先生の関係、半分どころか完全に本気かもね」
夜島の着ている制服の胸ポケットには、白い紙がわざとらしく頭だけ出していた。
「バイバイ。また何かあったら、助けてね」
微笑む夜島は、真昼の太陽のように僕の頭をぐらつかせた。