教会の少女
レシントール教会というのが、この町の中心にある教会だ。
この教会は、1561年に創設されたレシントール騎士団の本拠地として知られている。
今でも騎士団は存続しており、その団長こそが、私だ。
総団員数161名、団長たる団員はこのうちの1人。
古代から続いている、名誉ある騎士団ではあるが、最近は、入団希望者も少なくなりつつある。
そのため、さまざまな業務を兼務している。
この教会に付属してる孤児院も、その一つだ。
騎士団より約100年ほど前に作られたという話ではあるが、そもそも騎士団も、1561年に作られたことも怪しい。
分かっているのは、今なお、そのレシントール孤児院は、我らが騎士団と共立している。
その孤児院に、10年ほど前に預けられた少女がいた。
名を、アンナと名付けられた。
聖母マリアの母親である聖アンナより名が採られている。
きっと夫はヨアキムという名前がふさわしいだろうが、彼女の幸せが一番である。
名前は二の次だ。
アンナは、孤児院の正門の前に、樫の木を彫りだして作ったかごの中に、眠っているところを発見された。
今では、立派に育っている。
騎士団長として私は、孤児院を見に行くこともあるが、時々、寂しそうにキリスト様をみていることがある。
どうしてそんな寂しそうな顔をしているんだいと聞いても、私にも教えてくれない。
だから、私は、そのことを聞かないようにしていた。
この教会はスコラスティカに捧げられており、彼女は、子供の守護聖人である。
このことからも、孤児院はうってつけであろう。
我々は悪魔からこの孤児院を守るということも目的としているため、何があってもこの孤児院や教会を守るという誓いを立てている。
それは、アンナも当然に守るということだ。
だから、いずれは、その寂しさを取り除いてやらなければならない時が来るだろう。
それが今すぐだとは、私は想像もつかなかった。
ある朝、私は日課となっている朝の礼拝を終え、朝食を取り、孤児院へと向かった。
ちょうど子供たちが起きてくるところで、私の姿をみると、彼らは喜んでこちらへ手を振っていた。
私も振り返していると、一人だけ、寂しそうな顔をしている。
アンナだ。
「どうして君は、そんなに寂しそうな顔をしているんだい」
私は、立て膝をついて、アンナに聞いてみた。
アンナは、いつものように何も答えないかと思ったが、私にメダイを見せた。
銀でできたメダイだ。
鋳造で聖クリストファーがかたどられている。
「聖クリストファー、旅の守護聖人だね。君のカゴの中に一緒に入っていたものでしょう。どうしてこれを」
「裏返してみて」
アンナに言われて、裏面を見る。
通常であれば、裏には聖クリストファーにかかわる言葉が刻まれているはずだが、日付と時間が刻まれている。
「2012年6月1日12時に、P.T.」
私は読み上げた。
P.T.という名前に、私は心当たりはない。
だが、日付は今日の正午だ。
「これを見て、寂しそうな顔をしていたのかい」
アンナはうなづいてくれた。
「ふむ、そうか。分かった。何とかしよう」
「できるの?」
「ああ、できる限りはしてみよう」
私はアンナにそういうと、やっと笑顔を見せてくれた。
すぐに孤児院の院長に聞いてみる。
「P.T.、ですか」
「ええ、聞きおぼえがありませんか」
「ピーター・テラー。30年前、この孤児院から巣立っていった天使の一人です」
院長が言っている天使とは、子供たちのことだ。
「そうですか。その人が、ここに帰ってきたって言うことでしょうか」
「その可能性は低いでしょうね。でも、アンナの父親ということもあり得ますね」
院長はそう言って、どこかへ電話をかけていた。
「……ええ、そうです。ピーター・テラーに関する病院の出生証明を調べられますか…分かりました、では」
受話器をおいて、院長は私に言う。
「何かありましたら、お力を借ります」
「分かりました、我が騎士の名誉に賭け、助力に尽くしましょう」
私は深々と敬礼すると、孤児院から出た。
騎士団長執務室で、通常業務をしていると、副団長が入ってきた。
「失礼します」
「入れ。何の用だ」
「P.T.なる者を調べておりました。調査結果を、ご報告に参りました」
「よし、話してみろ」
私は書類にサインをしている手を止め、副団長を見た。
「P.T.で、孤児院と関わりがありそうな人物では、ピーター・テラーですね。1982年に卒業しており、今ではITの重役をしているそうです」
「子供の出生記録は」
「孤児院院長さんからの情報によりますと、息子または娘の出生記録はないそうです」
「そうか。では闇医者で生んだっていう可能性だってあるわけだな…」
私はすこし考えてから言った。
「とりあえず、防衛を強化しておくか。何かあるといけないから、団員を数名配置しておこう」
「分かりました」
副団長は、私の命令をすぐに伝えるべく、部屋から速やかに出ていった。
私は中断した書類のサインを続けた。
あの日付が書かれた時間になった。
私は副団長と孤児院の院長と共に、孤児院の前で、誰か来るのを待っていた。
「…来ませんね」
「多少は遅れても仕方ないだろう」
副団長の言葉に、私が答える。
「何せ、娘を一度は捨てた人物だ。どんな人物か分からぬ」
私は腰から下げている、前団長から受け継いだ宝剣の柄に、自然と手が伸びていた。
そして、血がにじむほど、力強く握りしめていた。
半時ほど過ぎてから、一台の車が、孤児院へと横付けされた。
「久々に来るなぁ…」
出てきたのは30そこそこの男性だ。
「院長先生、お元気でしたか。当時はお世話になりました」
「ピーター・テラー……帰ってきたのですね」
「ええ、約束をしていましたので」
院長と話をしているピーターを遮るように、私は立ちはだかる。
「その約束というのは、これでしょうか」
メダイをピーターの目の前に、ぐいと突き出す。
顔色一つしない。
「ええ、これは私が彼女の母親にあげたものです」
「…母親?」
「そうですよ、当時、私は結婚していましたが、子供ができなかったのです。その後、彼女とは些細な出来事でケンカになり、彼女が妊娠していることを知らずに、私は別れました。彼女が子供を産んだことを知ったのは、離婚が成立してからの話。それを知った時、彼女が10歳になった時、迎えに行ってほしいと泣きつかれたのです」
「このメダイは、お母さんの物なのですか」
「ええ、彼女は、残念ながら来れませんが」
院長が、ピーターに聞き返すと、そういわれる。
「…もしかして」
私はピーターに聞いた。
何も言わずにうなづく。
「去年、流行病で……」
「そうでしたか」
亡くなられたのならば、本人が来ることは不可能であろう。
禁術を使って復活するなら別問題であろうが、それは神が許さない。
「彼女との約束で、私は今、ここに来たのです。それで、我が子はどこに……」
「アンナ、ここに来なさい」
院長の後ろで震えているアンナを、私の前まで連れてくる。
「この子が…」
私はうなづく。
アンナは相変わらず震えていた。
「君が選ぶんだよ、アンナ」
私は、アンナに聞いた。
「ここから離れるか、この人ついていくか。それとも、ここに留まるのか」
アンナに、今すぐ決めろというのは、酷というものだ。
だが、ここで決めなければならない。
「ここに残りたい」
アンナが言ったのはそれだけだ。
「そうか」
院長は、アンナの言葉を聞いた上でピーターに言った。
「1週間に一度くらい、ここへ来ることは構いません。アンナがどこかへ引き取られるまでの間になるでしょうが」
「ありがとうございます。ぜひとも、そうさせていただきます」
ピーターが、私たちに礼を述べてから、車に乗り込んで、またくるよと言ってから、去っていった。
「ふぅ」
ため息のような声が、副団長から聞こえた。
「とりあえず、何とかなりましたね」
私は、院長に言う。
「ええ、何とかですね」
院長は、ホッとした表情をしていた。
それから一年の間、ピーターは、毎週の水曜日に孤児院へときた。
大金持ちとなっているピーターは、できる限り孤児を育てたいと考えているようで、院長や自身の会計士と相談しながら、何人かを引き取った。
彼らは、今でも幸せに暮らしているようで、たまに孤児院の遊びにくることもある。
アンナは、1年後に、ピーターに引き取られた。
それからしばらくして成長したアンナはピーターの知り合いの息子さんと結婚し、後には、幸せな母親として、夫と3人の子供達と一緒に暮らしている。