第四章
その後も変わらず、玻璃はつかみどころの無いぬるぬるうなぎのような存在だった。
黒い服を選ぶのはやはりもともとの趣味でもあったようで、アラストルはため息を吐く。
「女なんだからもうちょっとほら…白とかピンクとか着たらどうだ?」
「偏見、変態、セクハラ、三十路」
「だーかーら!! 三十路言うなぁ!!」
服を買いに行けばすぐにこのような言い争いになってしまう。
「……ほんっと、女って買い物好きだよな…」
すっかり玻璃に荷物もちにされてしまったアラストルが呟く。
「おい、いい加減にしろ!!」
「しっ」
怒鳴った瞬間、玻璃は彼の口元に指を当てる。
「どうした?」
「誰か来る…」
そう言われ、彼が耳を澄ませると確かに誰か相当な実力の持ち主が、それで居て、一般人に紛れ込もうと努力した歩き方の足音がする。
「………どうしよう…マスターだ……」
「はぁ?」
アラストルは驚き、再び足音の主を探る。
「随分楽しそうですね。玻璃」
足音の主はすぐ後ろから声を掛けてきた。
「僕はその男を殺すように言った筈ですよ?」
淡々と男が言う。
「貴女なら出来たはずだ。なぜ殺さなかったのです?」
微笑みを浮かべているのにも関わらず、動けないほどの威圧感がある。
玻璃はただ震えている。
「ご、ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
頭を抱え込んで壊れたレコードのようにただ謝り続ける。
「こいつ…ヤベェな……」
赤毛のやや背の低めの痩せた男。
外見だけならむしろ弱々しく見える彼こそが世界最強の暗殺者だった。
「暗殺者が顔だして良いのか?」
「ええ、あなた達以外は僕が暗殺者だとは知らない」
そう言って彼は震えている玻璃の頬に触れる。
「玻璃、時間をあげます。一週間、一週間以内にこの男を殺しなさい」
歌うように優しくそう言い、彼は人混みへと消えていった。
「消えた…」
まさかと彼が見渡しても先ほどの男の姿は無い。
「玻璃、大丈夫か?」
「………マスター…すごく怒ってた……」
怯えきった玻璃。
突き刺すような殺気があった。
アラストルは冷や汗を流した。
そして本能が告げる。
あの男を敵に回してはいけないと。
「大丈夫だ。もういない」
彼は必死に笑顔を作り玻璃を安心させようとする。
玻璃は力なく頷いた。
「やっぱりアラストルってシルバに似てる」
帰り道、玻璃がぽつりと呟いた。
「はぁ?」
「私がマスターに怒られるといっつもシルバが笑って励ましてくれた」
懐かしむようにそう言う彼女を見て、シルバの脳内に一人の少女が浮かぶ。
「そりゃ…お前が……あんまりガキみてぇだからつい、な。きっとシルバって奴もそうだったんじゃねぇのかぁ?」
アラストルはあえて言わなかった。彼女がリリアンと重なったとは。
「ガキじゃないもん…」
「俺から見れば十分ガキだ」
「うるさい三十路」
「三十路って言うな!!」
怒鳴りつけるものの、彼はほっとしていた。
「とっとと帰るぞ」
「うん」
さっきまでの不機嫌も「帰るぞ」という言葉で吹き飛んだのか、玻璃はアラストルの手を握る。
「おい」
「いい?」
「…しかたねぇな」
アラストルはそっと手を握り返す。
握り返した手は、想像していたよりも小さく、柔らかかった。