第十章
「マスターの命令は絶対……」
玻璃はアラストルの喉元にナイフを突きつける。
玻璃の手は震えていた。
「早くしろよ。どうした?」
アラストルはまっすぐ玻璃を見つめる。
「……出来ないよ……」
ことんと音を立ててナイフが床に跳ねる。
「シルバとおんなじ顔で…おんなじ声で………」
玻璃はその場に崩れる
「玻璃…?」
「シルバ……出来ないよ…」
ぽろぽろと大粒の涙を流す玻璃にアラストルは戸惑う。
「泣くな…」
玻璃の顔が彼女と重なった気がして、彼は玻璃を抱きしめ、涙を拭う。
「お前が泣くのを見たくない…」
「……どうして? どうして貴方はシルバじゃないの?」
「……どうやら考えることは一緒らしいな」
アラストルは自嘲気味に笑う。
「俺も、何度お前がリリアンなんじゃないかと思ったことか……」
似すぎている。
彼は玻璃を見るたびに思っていた。
「同じ髪に同じ瞳。声だって似てる。服の趣味や癖までそっくりだ。なのにお前はリリアンじゃない…そっくりなんだよ」
胸が痛くなるほどに、玻璃と彼女は重なる。
「最近は笑い方まで重なる…幻覚でも見てるんじゃねぇかと思うくらいに…」
悲痛な表情のアラストルに玻璃は目を見開く。
「あの時の…シルバが間違えた子……」
「ああ」
「シルバは気付かなかったのかな…あの子が私じゃないって。私じゃなくて似た子でも良かったのかな……」
玻璃はぼろぼろと涙をこぼす。
「違う。少し話せば分かったはずだ。あいつだって気付いてたはずだ。どんなに似てたってお前とリリアンは違うって」
ほんの一目見ただけのシルバが本当にそう思っていたかは分からないが、なぜかアラストルは確信を持てた。
「あいつは玻璃だって、玻璃に似た少女だって守りたかったはずだ。実際あいつはリリアンを庇うように倒れていた」
「……アラストルは……私がリリアンなら良かったって思ってる?」
玻璃はおそるおそるといったように訊ねる。
「いや…そりゃ最初はお前がリリアンなんじゃねぇかって期待はした。だけどな、お前を見てると、お前はお前だって思えるようになった」
玻璃という女も嫌いじゃない。彼女には彼女の人格がある。
「お前は…なんつーかさ、もう一人妹が増えたみたいでよ。お前と過ごす時間も悪くねぇって思うようになった」
このまま本当に家族みたいになれたら良いと。
だけどもそれがかなわないことは知っている。
「お前を妹みたいだって思い始めたら、お前に殺されるのも悪くねぇ気がしてきた。玻璃、早く俺を殺して姉貴の場所に帰れ」
それがお前の幸せだろう?
アラストルは微かに笑う。
「……出来ないよ………だって、だって…アラストルは…私のこと殺さないでくれた…ご飯だってくれたし…捕虜にされたときみたいに酷いこともしなかった…アラストル凄く良くしてくれたのに……シルバみたいにすっごく優しいのにシルバと違って乱暴な言葉だし…シルバとおんなじ目で見るし……出来ないよ…アラストルを殺すなんて…」
泣き続ける玻璃をどうしたらいいのか分からなくなったアラストルは、昔リリアンにしたように、そっと玻璃の背中を叩く。
「おいおい、泣き止め。もう殺せなんて言わねぇ…もう、誰も殺さなくて良い…ちゃんとお前のことも守ってやる。だから何も心配しなくていい」
震える玻璃を宥めるように、極力優しく声を掛ける。
こういうとき、シルバならどうしたのだろうか。
ぼんやりとそう考えながら、玻璃の背中をぽんぽんと叩いていると、いつの間にか寝息が聞こえてくる。
「……ガキかよ…」
しょうがねぇなと玻璃がすっかりと気に入った長椅子に運び、適当に上着をかけてやる。
泣きつかれて眠る玻璃を見ているとやっぱりリリアンと重なった。
「世界って思ったより狭いのかもしれねぇなぁ」
世界には似た人間が三人居るらしい。
ひょっとしたらもう一人に会うのは結構すぐなのかもしれない。
そう考えて、アラストルは微かに笑った。
「さて、これで完全にディアーナを敵に回したな。どうするか? まさかルシファーに手を貸せなんて言ったらディアーナをぶっ潰す前にルシファーに殺されそうだしな…」
レライエあたりなら手を貸してくれるかもしれない。
アラストルは考える。
「ルシファーの手を借りるなら先にリリムを説得するのが得策か…」
だが、リリムに少しでも近づけば半殺しにされる。
さて、どうしたものか。
必死に頭を捻って考えていると、いつの間にか睡魔に襲われてきた。