ダンジョンが「特定班」で溢れかえっている
定時ダッシュを決めた私は、足早に会社を後にした。
今日の夕飯のターゲットは決まっている。
『ミノタウロス』だ。
筋骨隆々の牛頭の魔物。そのロース肉は、適度なサシが入っていて、ステーキにすると絶品らしい。
ネットの攻略サイトには「硬くて食えたもんじゃない」と書いてあるが、それは下処理が甘いだけだ。
「昨日は唐揚げだったから、今日はガッツリとステーキ……じゅるり」
想像しただけで涎が出そうになる。
私はスーパーで「半額のカット野菜」と「特売のバター」、そして「わさびチューブ」を買い込み、いつもの路地裏へと向かった。
しかし。
ダンジョンの入り口が見えた瞬間、私は足を止めた。
「……は?」
いつもは野良猫くらいしかいない薄暗い路地裏が、お祭りのような騒ぎになっていたのだ。
「おい、まだ見つからないのか!」
「SNSの情報だと、この『新宿・裏ゲート』が濃厚なんだろ?」
「あの配信者、絶対ここにいるって!」
「女神ー! 俺だー! 結婚してくれー!」
人、人、人。
スマホを片手にした若者や、重装備に身を包んだ本職の冒険者たちが、狭い路地裏を埋め尽くしている。
中にはテレビ局のカメラクルーまでいる。
(うっそでしょ……!?)
私は電柱の陰に隠れた。
心臓がバクバクと鳴る。
完全に甘く見ていた。ネットの「特定班」の執念をナメていた。
動画に映り込んだ背景の、ほんの数ピクセルの特徴から、この場所が特定されたらしい。
「どいてくれ! ギルド『オーディン』が通るぞ!」
野太い声と共に、人垣が割れた。
現れたのは、金色の鎧を身にまとったイケメン騎士。
間違いない。
私に「100万円」を振り込み、「年俸1億」を提示してきた張本人、Sランク冒険者のレオンだ。
「くそっ、いないのか……! あの唐揚げの主は……!」
レオンは血走った目でキョロキョロと辺りを見回している。
昨日のクールなDMの文面とは裏腹に、完全に禁断症状が出た中毒者の顔だ。
(ヒェッ……怖っ!)
私は震え上がった。
やっぱり、捕まったら最後だ。
「唐揚げマシーン」として地下室に監禁される未来しか見えない。
「……帰ろう」
私は踵を返そうとした。
今日は諦めて、家で豆腐に醤油をかけて食べよう。
そう思った時だった。
グゥゥゥゥゥ……キュルルルル……。
盛大な腹の虫が鳴った。
私の胃袋が「嫌だ! 肉をよこせ!」と暴動を起こしている。
一度ステーキの口になってしまった脳は、豆腐では誤魔化せない。
(……いや、待てよ?)
私は冷静に人混みを観察した。
みんな、血眼になって「オーラのある強そうな女」や「魔力を持った美女」を探している。
誰も、私のことなんて見ていない。
会社でもそうだった。
私はいつだって、そこにいるのに「いない」扱いをされてきた。
飲み会の人数合わせですら忘れられ、集合写真では背景と同化し、上司には名前すらまともに覚えられない。
これは、チャンスなんじゃないか?
社畜として培った、この悲しき『空気』スキルを使えば……。
「……よし」
私は覚悟を決めた。
スーツのボタンを留め、猫背になり、視線を下に落とす。
「私はここにはいません」「ただの通行人です」「疲れたOLです」という負のオーラを全身にまとう。
いざ、突撃。
「あ、すいませーん……通りますー……」
蚊の鳴くような声で呟きながら、私は人混みの中へ足を踏み入れた。
目の前に、Sランク冒険者のレオンがいる。
彼と、肩が触れそうになる距離ですれ違う。
(バレるな、バレるな、バレるな……!)
心臓が破裂しそうだ。
しかし、レオンは私を一瞥すらしなかった。
彼の視線は、私の背後にいる「派手な魔法使いの格好をした女性」に向いている。
「むっ、あちらか!?」
レオンは私を空気のように無視して、奥へと走っていった。
(……勝った)
私は内心でガッツポーズをした。
悲しい。悲しいけれど、勝った。
私の存在感のなさは、Sランク冒険者の索敵スキルすら無効化するレベルらしい。
私はそのまま、誰にも止められることなく、「関係者以外立入禁止」のテープの下をくぐり抜けた。
警備員さえも、私が横を通ったことに気づいていなかった。
◇
ダンジョンの入り口付近は騒がしいが、奥へ進めば進むほど静寂が戻ってくる。
一般の冒険者が立ち入らない「危険区域」だ。
ここなら誰にも邪魔されない。
「モォォォォォオオッ!!」
曲がり角から、巨大な影が飛び出してきた。
体長4メートル。筋肉の塊のような魔物、『剛腕ミノタウロス(危険度A)』だ。
丸太のような腕を振り上げ、私に襲いかかってくる。
「今日のメインディッシュ、お待ちしておりました!」
私は鞄を放り出し、愛用の出刃包丁を構えた。
ドォォォン!!
ミノタウロスの拳が地面を砕く。
私はその粉塵の中を舞うように潜り抜け、奴の足の腱をスパッと切り裂いた。
「モガッ!?」
バランスを崩して膝をつく巨体。
その首筋が、無防備に晒される。
私はジャンプ一番、包丁を振り下ろした。
「いただきまーす!」
ザシュッ!!
一撃必殺。
巨体が光の粒子となって消滅していく。
残されたのは、霜降りの巨大なロース肉のブロック。
スーパーで買えば100g数千円はくだらない最高級品だ。これが食べ放題。ダンジョン最高。
私は手慣れた手つきで岩場にコンロを設置し、フライパンを熱した。
たっぷりのバターを溶かす。
そこへ、サイコロ状にカットしたミノタウロスの肉を投入する。
――ジュワァァァァァァッ……!
濃厚なバターの香りと、肉が焼ける香ばしい匂いが洞窟内に充満する。
表面をカリッと焼き上げ、中はレアに。
仕上げに醤油を回しかけ、わさびを添える。
「よし、配信スタート」
私はスマホの録画ボタンを押した。
タイトルは『【第2回】ミノタウロスのサイコロステーキ(わさびバター醤油)』。
「お疲れ様です、OLです。今日はちょっと外が騒がしいので、奥の方でひっそりと焼いていきたいと思います」
肉を口に運ぶ。
噛んだ瞬間、肉の繊維がほどけ、濃厚な脂の甘みが口いっぱいに広がる。
わさびの清涼感が脂っこさを中和し、醤油とバターのコクが後を追う。
「んんっ……! 柔らかぁい……!」
最高だ。
昨日のコカトリスも美味しかったが、やっぱり牛肉(牛魔物)のパンチ力は別格だ。
白米を持ってこなかったことが悔やまれる。
私は夢中で肉を頬張った。
その頃。
ダンジョンの入り口付近では、異変が起きていた。
「おい、通知来たぞ! 配信始まった!」
「えっ、今!? 俺たちここにいるのに?」
「『外が騒がしいので奥に来ました』って言ってるぞ!」
「なんだこの匂いは……! バター醤油の……とてつもなく美味そうな匂いが風に乗って……!」
レオンが鼻をひくつかせ、叫んだ。
「奥だ! この風上だ! まだ近くにいるぞ!」
ドドドドドッ!
冒険者たちが一斉にダンジョンの奥へと雪崩れ込む。
しかし、彼らが広場に到着した時には、そこには何もなかった。
ただ、焚き火の跡と、綺麗に肉を削ぎ落とされたミノタウロスの骨が転がっているだけ。
そして、岩の上には書き置きが残されていた。
『ごちそうさまでした。探さないでください(怖かったので)』
「くそぉぉぉおおおっ!!」
レオンの絶叫がダンジョンに木霊した。
「またニアミスか! こんなに美味そうな残り香を残して……焦らしプレイにも程があるぞ、師匠おおおっ!!」
◇
その頃、私はとっくにダンジョンを脱出し、駅のホームで電車を待っていた。
お腹はいっぱい。
ウォレットには、レオンから追加で振り込まれた「投げ銭:50万円」が入っている。
「……ふふっ」
ガラスに映る自分を見る。
地味で、冴えない、どこにでもいるOL。
さっき、数百人の冒険者たちを出し抜いてきたとは誰も思うまい。
「明日も仕事かぁ。……でも、ま、いっか」
今の私には、秘密の楽しみがある。
次はどの魔物を食べてやろうか。
私はレシピサイトを検索しながら、軽い足取りで帰路についた。
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