社内でバズる私の動画
「ね、年俸、1億……?」
路地裏のダンジョン前で、私はスマホの画面を凝視したまま石像のように固まっていた。
1億。
いちおく。
0が8個。
私の現在の手取り(15万)で計算すると……えっと、約55年分?
定年まで働いても絶対に届かない金額が、たった一行のメッセージで提示されている。
「……いや、ないない」
私はブンブンと首を横に振った。
冷静になれ、久住ハナ。
うまい話には裏がある。これは社会の常識だ。
今の状況を整理しよう。
相手は自称・英雄レオン。アイコンも本人だし、200万円も実際に振り込まれた。
でも、だからこそ怪しい。
たかが「唐揚げ」に1億?
そんな馬鹿な話があるわけない。
(きっと、専属契約とか言って、怪しい薬の実験台にされるんだわ……! それか、一生ダンジョンから出られない『唐揚げ揚げマシーン』として幽閉されるとか……!)
ブラック企業で酷使され続けた私の思考回路は、ネガティブな方向にしか働かなかった。
「高待遇」=「死ぬほどキツイ業務」という図式が骨の髄まで染み込んでいるのだ。
私は震える指で返信を打った。
『過分なご提案、ありがとうございます。
しかし、私はただの趣味で料理をしている一般のOLですので……。
そのお話は、少し考えさせてください。
(※唐揚げはまた作ったら出品します)』
送信。
とりあえず保留だ。
即決するには、金額が現実離れしすぎていて怖すぎる。
「……帰ろう」
私は逃げるように路地裏を後にした。
ポケットの中のスマホに入っている「200万円」の重みだけが、唯一の確かな現実だった。
◇
翌朝。
私はまた、満員電車に揺られていた。
昨日の夜は興奮して一睡もできなかった。
何度もウォレット残高を確認し、「2,000,320円」という数字を見てニヤニヤする不審者になっていた。
(辞めようと思えば、いつでも辞められる)
吊革に捕まりながら、私は心の中で呟いた。
今までの私には「来月の家賃」という首輪がついていた。
でも今は、懐に200万円がある。
最悪、明日会社が爆発しても一年は暮らしていける。
その事実だけで、おじさんの加齢臭も、押しつぶされそうな圧迫感も、不思議と許せそうな気がした。
心に余裕がある社畜は無敵なのだ。
◇
オフィスに着くと、妙な熱気が漂っていた。
始業前だというのに、社員たちが数人のグループを作ってスマホを覗き込んでいる。
「おはようございます」
私が挨拶をしても、誰も振り返らない。
まあ、いつものことだ。私は空気だから。
自分の席に座り、パソコンを起動しようとした時、隣の席の後輩女子たちの会話が聞こえてきた。
「ねえ見てこれ! 昨日言ってた『OLの節約ごはん』!」
「うわ、本当にコカトリス食べてる! ヤバくない?」
「てか、この人めちゃくちゃ強くない? 包丁一本で瞬殺じゃん」
ドキッ!!
心臓が跳ね上がった。
(ば、バレてる!?)
私は冷や汗をかきながら、聞き耳を立てた。
「この動画、昨日の夜から急上昇1位独占してるよね」
「SNSでもトレンド入りしてるし。『謎のOL』って誰なんだろうね?」
「新宿の裏ゲートらしいよ。場所まで特定されてるけど、本人は見つかってないんだって」
よかった。
まだ正体はバレていない。
そりゃそうだ。動画では手元と首から下しか映していないし、声も少し加工されている。
まさか、毎日地味なスーツで、廊下の端を歩いている私が「あの人」だなんて思うはずがない。
「おい、お前ら! 朝から何を騒いでるんだ!」
そこへ、課長が出社してきた。
不機嫌そうな顔でドスドスと歩いてくる。
女子社員たちが「きゃっ、すみません」とスマホを隠そうとするが、課長はそれを奪い取った。
「仕事中に動画なんか見てる暇があったら……ん?」
課長の目が、画面に釘付けになった。
再生されているのは、私がコカトリスの首をスパーン!と切断しているシーンだ。
「……なんだこれは」
「あ、あの、今話題の動画でして……」
「ほう」
課長は食い入るように動画を見つめ、やがてニタリと笑った。
「素晴らしい」
「「え?」」
女子社員たちが目を丸くする。私も丸くした。
「見ろ、この無駄のない動き!
迷いなく急所を突き、最小限の力で成果を上げている。
これこそが『業務効率化』だ!
我が社の社員にも、この爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだな!」
課長が大声で演説を始めた。
オフィス中の視線が集まる。
「特に久住!」
「……は、はいっ!」
突然名前を呼ばれ、私はビクッと立ち上がった。
「お前も見習え!
お前みたいにトロトロと仕事をして、残業ばかりしている無能とは大違いだ。
この動画のOLさんは、きっと仕事もできる優秀な人間に違いない。
顔は見えんが、私にはわかるぞ。きっと凛とした、デキる女の顔をしているはずだ!」
課長はスマホの画面(唐揚げを揚げている私の手)に向かって、うっとりと称賛を送っている。
私は、顔を引きつらせながら立ち尽くしていた。
笑いを堪えるので必死だった。
(か、課長……)
お腹が痛い。
それ、私です。
あなたが毎日「クズ」と呼んで罵倒している、目の前の地味な女です。
あなたが「無能」と呼んだその口で、今まさに「理想の社員」だと褒め称えましたよ?
「……はい、精進します」
私が震える声(笑いを噛み殺した声)で返事をすると、課長は「フン、口だけは一人前だな」と鼻を鳴らした。
「よし、朝礼を始めるぞ!
今日もこの動画のように、迅速かつ効率的にノルマを達成するように!」
課長のご機嫌な号令で、一日が始まった。
オフィスには、軽快なキーボードの音が響き始める。
私は自分の席に座り、そっとため息をついた。
ポケットの中のスマホが、またブルッと震えた気がした。
レオンからの追撃メッセージだろうか。
それとも、また誰かが私の唐揚げに高値をつけたのだろうか。
(……なんか、会社に来るのが少し楽しくなってきたかも)
私はモニターに向かいながら、小さく口元を緩めた。
誰も知らない。
このフロアで一番仕事ができないと思われている私が、実は世界中が注目する『1億円の価値がある女』だということを。
この優越感こそが、今の私にとって最高の栄養ドリンクだった。
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