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ネットでは「女神」、現実は「始末書」

 ジリリリリリリッ!!!


 安っぽい目覚ましの電子音が、私の脳を直接揺さぶった。

 泥のような眠りから無理やり引き剥がされる感覚。

 重いまぶたをこじ開けて時計を見ると、針は六時半を指していた。


「……うう、頭痛い」


 私は呻きながら、煎餅布団から這い出した。

 こめかみがズキズキと脈打っている。昨夜、調子に乗って「第三のビール」を三本も空けてしまったせいだ。

 でも、後悔はしていない。

 あのコカトリスの唐揚げは、それだけの価値がある絶品だった。

 口の中に残る脂の余韻だけで、白飯が食べられそうだ。


 洗面台の鏡を見ると、目の下に立派なクマを作った地味な女が映っていた。

 髪はボサボサ、肌はカサカサ。おまけに古いジャージ姿。

 昨日の夜、ダンジョンで「美味しいぃぃ!」と絶叫していた最強の捕食者と同一人物とは、とても思えない。


「……会社、行かなきゃ」


 私はため息をつきながら、ロボットのようにスーツに着替えた。

 メイクをして「社会人の顔」を作る。地味な自分をさらに地味なファンデーションで塗り固めていく作業だ。


 アパートを出て、駅へ向かう。

 そこにあるのは、魔物の巣窟よりも恐ろしい『満員電車』という名の現代のダンジョンだ。


「ぐぅっ……」


 ドアが開いた瞬間、サラリーマンの群れに押し込まれ、肋骨が軋む。

 おじさんの整髪料の匂いと、誰かの汗の匂い。

 息が詰まりそうだ。

 昨日のダンジョンの空気――血と錆の匂いの方が、よっぽど清々しかった気がする。


 私は吊革にしがみつきながら、虚ろな目で窓の外を流れるビル群を眺めた。

 また、死んだような一日が始まる。


 ◇


「おい、久住。なんだその顔は」


 出社して五秒。

 タイムカードを切る前に、課長の声が飛んできた。


「おはようございます……」

「挨拶に覇気がない! それに、なんかお前、油臭くないか?」


 課長が鼻をひくつかせながら、嫌味ったらしく私を見た。

 ギクッとした。

 昨日の揚げ物の匂いが、髪に残っていたのかもしれない。消臭スプレーは浴びるほどかけたのに。


「社会人としての身だしなみがなってない証拠だ。女子社員なら、もっといい匂いくらいさせろよ。これだから行き遅れは……」

「……申し訳ありません」


 セクハラまがいの発言を、私は「申し訳ありません」という魔法の言葉で受け流した。反論しても無駄だ。


「反省してるなら、態度で示せ。今日の昼までに、昨日のミスの始末書。あと、会議室の掃除もやっとけ。来客があるんだ」


 課長はそう言い捨てると、自分のデスクで堂々とスマホゲームを始めた。

 周りの社員たちは、関わりたくないのか見て見ぬふりをしている。


 私は唇を噛み締めながら、会議室へと向かった。

 掃除機をかけていると、廊下からヒールの足音が近づいてきた。

 課長のお気に入りの、若くて可愛い女子社員たちだ。


「ねえ、また久住さん怒られてたよ」

「プッ、ウケる。てか、あの人いつも同じスーツじゃない? 地味すぎて背景と同化してるよね」

「わかるー。存在感なさすぎ。一生独身コースかな?」


 キャハハ、と高い笑い声が遠ざかっていく。

 私は掃除機のハンドルを強く握りしめた。

 プラスチックがミシミシと悲鳴を上げる。


(……背景と同化? 存在感がない?)


 違う。

 私は気配を消すスキル『隠密』が無意識に発動しているだけだ。

 本気を出せば、あんたたちの後ろに立って首元に手刀を入れることだってできるのよ。


 ……なんて、心の中で言い返しても虚しいだけだ。

 今の私は、手取り十五万の、ただの使い捨ての社畜。

 誰からも必要とされていない、空気のような存在。


 掃除を終え、自分の席で始末書を書く。

 私がやっていないミスの、謝罪文。

 

『不注意により、データを誤入力してしまい大変申し訳ございませんでした。今後は確認を徹底し……』


 キーボードを叩く指が震える。

 惨めだった。

 昨日の夜、私はあんなに強かったのに。

 包丁一本でAランクの魔物を屠り、王者のように肉を食らっていたのに。


「……っ」


 目頭が熱くなる。ここで泣いたら負けだ。

 私は勢いよく席を立った。


(……トイレ、行こう)


 個室という名のシェルターに逃げ込む。

 鍵をかけ、便座に座り込んで、ようやく大きなため息をついた。


「はぁ……。辞めたいなぁ」


 ポケットからスマホを取り出す。

 現実逃避が必要だった。

 昨日の配信、アーカイブに残ってるかな。誰か一人くらい、「美味しそう」ってコメントしてくれてたらいいな。

 再生数、十回くらいいってたら嬉しいな。


 そんなささやかな期待を込めて、私は配信アプリ『Seekers』のアイコンをタップした。


 その瞬間。


 ブブブブブブブブブブッ!!!!


 スマホが異常な振動を始めて、私は危うく便器の中に落としそうになった。


「えっ、なになに!? 壊れた!?」


 通知が止まらない。

 画面の上から下まで、滝のような勢いでポップアップが流れていく。

 バッテリーの減りが異常に早い。処理落ち寸前だ。


『コメントがつきました:神動画きた』

『コメントがつきました:これマジ?』

『お気に入りに登録されました』

『お気に入りに登録されました』

『投げスパチャが届いています』


 手が震える。

 恐る恐る、自分のチャンネルページを開いた。

 そこに表示されていた数字を見て、私は呼吸を忘れた。


 ――視聴回数:584,320回


「……はい?」


 五十八万回?

 桁を数え直す。一、十、百、千、万……十万。

 昨日の夜、私が寝る前は二十回くらいだったはずだ。

 バグだ。絶対にアプリのバグだ。

 しかし、動画のタイトルには、燦然と輝く金色の王冠マークがついていた。


 【急上昇ランキング:総合1位】


「ひっ!?」


 変な声が出た。

 慌てて動画のコメント欄を開く。そこには、数千件ものコメントが溢れかえっていた。


『なんだこの動画!? サムネ詐欺かと思ったらマジで食ってる!』

『コカトリスってこんな簡単に解体できるもんか? 俺らパーティで挑んで全滅しかけたんだぞ』

『包丁さばきが神速すぎる。これ、解体スキルレベル50は超えてるだろ』

『いや、それより音がヤバイ。飯テロすぎて深夜に見るんじゃなかった』

『【悲報】俺の晩飯、カップ麺。この動画のせいで味しなくなった』

『揚げてる時の音がASMRとして優秀すぎる』

『女神だ……揚げ物の女神が降臨した』

『Oh...Crazy Japanese girl eating Monster... I love it!』


 国内だけでなく、海外からのコメントまである。

 どうやら「コカトリスを唐揚げにするクレイジーな女がいる」と、SNSで拡散されたらしい。

 特定班のような動きもあり、『包丁が安物っぽいのが逆に怖い』『場所は新宿裏ゲートか?』などと考察されている。


 そして、通知欄の一番上に、真っ赤な重要マークがついていた。

 ダイレクトメッセージ(DM)。

 普段なら怪しい投資のスパムメールしか来ない場所に、一件のメッセージが届いている。


 差出人の名前を見て、私は二度見、いや三度見した。

 公式認証マーク付きの、本物のアカウント。


 Sender:『剣聖レオン(ギルド・オーディン)』


「……は?」


 レオン?

 あの、日本最強のギルド『オーディン』のリーダー?

 世界ランク3位、Sランク冒険者の、あの『剣聖』レオン様!?


 街中のポスターやCMで見ない日はない、国民的英雄だ。

 年収数億円、いや数十億円と言われる雲の上の人が、なんで私みたいな底辺OLに?

 新手の詐欺だろうか。

 震える指で、メッセージを開く。


『突然の連絡、失礼する。私は探索者のレオンという者だ。

 君の動画を拝見した。

 単刀直入に言わせてほしい』


 ゴクリ、と唾を飲む。

 もしかして、立ち入り禁止区域に入ったことを怒られるんだろうか。それとも、魔物を食べたことで動物愛護団体に通報される?


 スクロールした先に書かれていたのは、予想外すぎる言葉だった。


『あの「コカトリスの唐揚げ」を、私に譲ってくれないだろうか?

 私は幼い頃の呪いで、魔物の肉しか喉を通らない体質なのだが……あんなに美味しそうな魔物料理を見たのは初めてだ。

 動画の「カリッ、ジュワァ」という音を聞いてから、居ても立ってもいられない。

 

 言い値で構わない。

 一皿、そうだな……とりあえず100万円(1,000,000yen)用意する。

 不足なら追加する。

 頼む。売ってくれ』


「……いち、ひゃく、まん?」


 私はスマホを持ったまま、個室の中でフリーズした。

 100万円。

 私の手取りの、約七ヶ月分。

 ボーナスがない私にとって、三年働いてやっと貯まるかどうかの大金だ。

 それが、たった一皿の唐揚げに?


 ポーン。

 呆然としている間に、また新しい通知が来た。

 今度は別のSランク冒険者からだ。


『おい! 抜け駆けは許さんぞレオン! 配信者さん、俺にも肉を売ってくれ! 200万出す!』


 トイレの個室で、私のスマホだけが熱を帯びていく。

 壁一枚隔てたオフィスのフロアでは、私は「無能な久住」として始末書を書かされ、後輩に馬鹿にされている。

 でも、この小さな画面の中では――。


 私は、世界最強の男たちに土下座されている「女神」らしかった。


「……久住ー! いつまでトイレに入ってるんだ、サボりか!」


 廊下から、課長のダミ声が聞こえた。

 私はビクッとして、慌ててスマホをポケットに隠した。


「い、今出ます!」


 私は個室の鍵を開ける。

 鏡に映った自分の顔は、さっきまでと同じ、くたびれたOLの顔だ。

 でも、その口元だけが、ほんの少しだけ吊り上がっていた。


(100万円……)


 その言葉の響きが、課長の怒鳴り声を蚊の羽音くらいに小さく感じさせてくれた。

 私はポケットの中の「100万円の可能性」を強く握りしめ、戦場オフィスへと戻っていった。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


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