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トイレに行くたびに「私への扱い」が激変する

 接待開始から一時間。

 私の体力は、すでにレッドゾーンに突入していた。


 原因は、アルコールではない。

 物理的な運動量だ。


「……失礼。少し風に当たってまいります」


 女神モードの私が優雅に席を立つと、課長(山田)が揉み手ですり寄ってくる。


「おや、酔われましたか? すぐにお冷をお持ちさせます!

 おい! 久住はどこだ! 気が利かないやつだ!」


「結構ですわ。自分で戻りますので」


 私は課長を制して廊下に出るや否や、ヒールを脱ぎ捨てて猛ダッシュした。

 

 廊下の角を曲がり、女子トイレへスライディング。

 個室に入って鍵をかけ、ドレスのファスナーを一気に下ろす。

 

 バサァッ!

 

 ドレスが床に落ちる。

 そこからキャミソール姿になり、丸めておいたスーツを引っ張り上げて着込む。

 チョーカーを外し、ポケットへ。

 髪ゴムで後ろ髪をひっつめ、眼鏡をかける。


 所要時間、1分45秒。

 F1のピットクルーも驚く早業だ。


「……ゼェ、ゼェ」


 呼吸を整える間もなく、私は個室を飛び出した。

 お盆を手に持ち、何食わぬ顔で廊下を歩く。

 そして、個室の襖を開ける。


「失礼します。お冷をお持ちしました」


 私が(OLとして)入室した瞬間、課長の表情が般若のように変わった。


「遅いぞ久住!!」


 怒号が飛んでくる。

 さっきまで女神に向けていた蕩けるような笑顔はどこへやら。


「女神様がお席を外されたぞ! お前がグズグズしているから、気分を害されたんじゃないのか!?」

「申し訳ありません。給湯室が混んでいまして」

「言い訳をするな! まったく、お前というやつは……!」


 課長は私からグラスをひったくり、ドン!とテーブルに置いた。


「社長、申し訳ございません。うちの部下が教育不足でして……。

 本当に、気が利かない、愛想がない、華がないの三重苦でしてね。

 オマケに仕事も遅いときた」


 課長が社長に向かって愚痴をこぼす。

 社長は苦笑いしながら杯を傾けている。


「そうかね? 彼女、よく働いていると思うが」

「いえいえ! 買いかぶりすぎです!

 先ほどのマリア様をご覧になりましたか?

 あの気品! あのオーラ! そしてあの聡明な話し方!

 同じ女性でも、こうも違うものかと悲しくなりますよ」


 課長がチラリと私を見る。

 その目は、完全に「比較対象ゴミ」を見る目だ。


「久住。お前もマリア様の爪の垢を煎じて飲ませてもらえ。

 いや、飲んでも無駄か。素材が違いすぎるからな! ガハハ!」


 課長が高笑いする。

 私は無表情で「そうですね」と相槌を打ちながら、心の中でカウントダウンを始めた。


(……あとで覚えてろよ、ハゲ)


 この屈辱は、後で倍にして返してやる。

 私は空になった徳利を下げ、部屋を出た。


「では、新しいお酒をお持ちします」


 襖を閉めた瞬間、私は再びダッシュした。

 トイレへGO。

 スーツを脱ぎ、ドレスを着て、チョーカーを装着。


 変身完了。


「お待たせいたしました」


 私が(女神として)部屋に戻ると、課長が犬のように尻尾を振って出迎えた。


「おお! マリア様! お待ちしておりました!

 いやぁ、お戻りになられて部屋がパッと明るくなりましたな!」


「あら、お上手ですこと」


 私は艶然と微笑み、席につく。

 課長がデレデレしながらお酌をしてくる。


「ささ、どうぞどうぞ。これは『竜宮』特製の純米大吟醸でして」

「いただきますわ」


 私が一口飲むと、課長はうっとりとした顔で私を見つめた。


「はぁ……美しい。

 お酒を飲む仕草ひとつとっても、絵画のようだ。

 先ほどここにいた陰気なOLとは大違いだ」


 また私の悪口か。

 いい加減、腹が立ってきた。

 私はグラスを置き、扇子で口元を隠して流し目をした。


「山田様」

「は、はいっ!」

「先ほどから気になっていたのですが……山田様は、部下の方に少し厳しすぎるのではなくて?」


 ドキリ。

 課長が肩を震わせた。


「あの『久住さん』でしたっけ?

 彼女、とても真面目に働いていらっしゃるように見えましたけれど」

「えっ、あ、いや……それは……」

「私は、部下を大切にしない殿方は、あまり信用できませんの」


 私が冷たく言い放つと、課長は顔面蒼白になって首を振った。


「め、滅相もございません!!

 誤解です! あれは『愛の鞭』です!

 私は彼女のことを、そう、実の娘のように思っております!」


 ぶっ。

 危うく日本酒を吹き出しそうになった。

 娘? 誰が? このハゲの?

 よくもまあ、そんな白々しい嘘がつけるものだ。


「娘……ですか?」

「はい! 期待しているからこそ、厳しく接してしまうのです!

 本当は彼女の成長を誰よりも願っているのです!

 なぁ、社長!?」


 課長が助けを求めるように社長を見る。

 社長はニヤニヤしながら頷いた。


「まあ、山田君なりに愛情はある……のかもしれんね」

「そうでございましょう!?

 マリア様、私は部下思いの理想の上司です! 信じてください!」


 必死な形相で訴えてくる課長。

 私は心の中で舌打ちをしながらも、女神の微笑みを崩さなかった。


「そうですか。そこまで仰るなら、信じましょう」

「ありがとうございます!」

「では、その『娘のような部下』の方にも、この美味しいお料理を食べさせてあげたいですわね。

 ……久住さん!」


 私は入り口に向かって声をかけた(フリをした)。

 当然、返事はない。私がここにいるからだ。


「あれ? いらっしゃらないのかしら?」

「あいつ、またサボっているのか……! すぐに呼んでまいります!」


 課長が立ち上がろうとする。

 マズい。見に行かれたら、トイレに誰もいないことがバレる。


「いえ、結構ですわ。私が呼んでまいります」

「えっ、女神様ご自身が!?」

「ええ。少し酔い覚ましも兼ねて」


 私は優雅に立ち上がり、部屋を出た。

 そしてまたダッシュ。

 

 脱いで、着て、走って。

 

 ガラッ!


「およびでしょうか!」


 OL久住、参上。

 息が上がる。


「遅いぞ久住! マリア様がお呼びだぞ!」

「すみません、トイレ掃除をしていました」

「なんで客のお前が掃除してるんだ!」


 そんなコントのようなやり取りを繰り返し、気付けば二時間が経過していた。

 往復回数、計4回。

 食べた料理の味なんて覚えていない。

 覚えているのは、トイレの芳香剤の匂いと、着替えの時の衣擦れの音だけだ。


 ◇


 夜九時半。

 ようやく接待がお開きになった。


「マリア様、本日は本当にありがとうございました! 夢のような時間でした!」


 料亭の玄関で、課長が深々と頭を下げる。

 私は女神モードのまま、タクシーに乗り込んだ。


「ええ、とても楽しかったですわ。山田様の『部下への愛』もよく分かりましたし」

「ははっ、恐縮です!」

「では、契約の件は前向きに進めさせていただきます。

 担当の久住さんによろしくお伝えください」


「はい! 必ずや!」


 課長に見送られ、タクシーが走り出す。

 角を曲がって見えなくなったところで、私はシートに深く沈み込んだ。


「……つ、疲れたぁぁぁ……」


 どっと疲れが出た。

 ドレスの締め付けが苦しい。

 喉が渇いた。


 運転手さんが、バックミラー越しに私を見た。


「お客さん、どちらまで?」

「……新宿の、裏通りまでお願いします」

「へい」


 私は窓の外を流れる夜景を眺めた。

 銀座のきらびやかなネオンが、今の私には眩しすぎる。


 スマホを取り出す。

 課長から、OLの私宛にメッセージが届いていた。


『おい久住! 大成功だ!

 マリア様もご満悦だったぞ!

 これもお前が……いや、俺の人徳のおかげだな!

 明日は早めに出社して、マリア様へのお礼メールの文面を考えろ!』


「……はぁ」


 ため息が出る。

 人徳? どの口が言うのか。

 でもまあ、今回ばかりは許してあげよう。

 なぜなら。


 私はバッグから、料亭のお土産(折り詰め)を取り出した。

 中身は、『伊勢海老の炊き込みご飯』と『和牛のしぐれ煮』。

 

 実はさっき、ドサクサに紛れて「久住さんの分も」と言って、二人分のお土産をもらってきていたのだ。

 つまり、今の私は「高級弁当を二つ持った最強のOL」ということになる。


「……ふふっ。帰って一人二次会しよ」


 800万円の資金と、500万円の変装グッズ、そして二つの高級弁当。

 これがあれば、明日からの社畜生活も、なんとか乗り切れそうだ。


 そう思っていた時だった。

 スマホに、別の通知が入った。


『剣聖レオン:今、銀座にいるか?』


「へ?」


 心臓が跳ねた。

 なぜバレた?

 私は慌てて窓の外を見た。

 まさか、見られている?


『剣聖レオン:微弱だが、君の魔力を感知した。

 近くにいるなら会いたい。

 ……渡したいものがあるんだ』


 渡したいもの?

 1億の契約書か? それとも指輪か?

 

 私はタクシーのシートの中で、小さく身を縮めた。

 悪いけど、今は会えない。

 だって今の私は、「絶世の美女(偽物)」の皮を被った、ただの疲れた社畜なのだから。


「運転手さん、急いでください! 高速乗ってもいいです!」


 私は夜の東京を、逃げるように駆け抜けた。

 高級弁当の匂いを漂わせながら。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


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