裏路地の魔道具屋と、800万の使い道
新宿、歌舞伎町の外れ。
雑居ビルの地下深くに、その店はある。
看板はなく、ただ扉に『Masquerade』と書かれた小さなプレートが掛かっているだけだ。
ここは、訳ありの冒険者や、裏社会の人間御用達の魔道具屋。
一般人はまず立ち入らない場所だが、今の私には躊躇いなどない。
カランカラン……。
扉を開けると、紫色の煙とお香の匂いが漂ってきた。
店の中は薄暗く、棚には怪しげな水晶や、乾燥したトカゲ、呪いの仮面などが所狭しと並べられている。
「……いらっしゃい。見ない顔だねぇ」
カウンターの奥から、老婆の声がした。
黒いローブを纏い、片目に虫眼鏡のようなレンズを嵌めた店主だ。
彼女は私のヨレたスーツ姿を上から下まで値踏みするように眺め、鼻を鳴らした。
「うちは会員制だよ。お嬢ちゃんみたいなカタギが来る場所じゃない。
迷子なら、交番は地上だよ」
完全にナメられている。
まあ、無理もない。今の私は、どう見ても「残業帰りに道に迷った可哀想なOL」だ。
私は無言でスマホを取り出し、ウォレットの残高画面を見せた。
【現在残高:8,300,320円】
老婆の片目が、カッと見開かれた。
「……ヒヒッ。失礼したね。どうやら『持ってる』客のようだ」
老婆の態度が一変した。
やはり、この世は金だ。地獄の沙汰も金次第、ダンジョンの店も金次第。
「で、何がご入用だい? 呪いの藁人形か? それとも惚れ薬か?」
「変装道具が欲しいんです」
私は単刀直入に言った。
「それも、半端なものじゃダメです。
Sランク冒険者の『鑑定眼』すら欺き、絶対に正体がバレない最高級のやつを」
「Sランクの目を、ねぇ……」
老婆は顎に手を当てて考え込んだ。
「普通の変装マスクじゃ、すぐに見破られるよ。奴らの目は節穴じゃないからね。
魔法的な偽装を施しても、魔力の波長でバレちまう」
「そこをなんとか。お金ならあります」
「……フン、面白い客だ」
老婆は店の奥へと引っ込み、埃を被った豪奢な木箱を持ってきた。
ゴトッ、とカウンターに置く。
「これは、かつて亡国の王女が、暗殺者から逃れるために使っていたとされる国宝級の魔道具だ」
箱が開けられる。
中に入っていたのは、黒いベルベットのリボンに、一粒の赤い宝石がついたチョーカーだった。
『幻影のチョーカー(ファントム・チョーカー)』。
「これを身につけると、周囲の人間の『認識』を阻害する。
顔の造作を変えるんじゃない。相手が勝手に『自分の理想の姿』や『認識できないモヤ』として脳内補完するんだ。
さらに、声帯の振動を変えて声色も変えるオマケ付きさ」
「認識阻害……」
すごい。
それなら、私がどんな顔をしていても、相手には「正体不明の美女」に見えるということか。
完璧だ。私が求めていたのはこれだ。
「ただし、高いよ? これは市場には出回らない逸品だからね」
老婆がニヤリと笑い、指を五本立てた。
「500万だ」
「……っ」
500万。
私の貯金の半分以上が、一瞬で吹き飛ぶ金額だ。
エアコンどころか、高級車が買える。
一瞬、理性がブレーキをかけた。たかが会社の接待のために、500万も使うのか?
いや、違う。
これは「投資」だ。
正体がバレて、自由な配信ができなくなるリスクを考えれば安いものだ。
それに、あの課長が、私が変装した姿にヘコヘコ頭を下げる様子を見られるなら……。
「……買います」
「ほう?」
「一括で」
私はスマホを端末にかざした。
ピロリン♪
決済完了の音が、店内に軽快に響いた。
【支払:5,000,000円 残高:3,300,320円】
あああ、減った! めっちゃ減った!
心の中で血の涙を流しながら、私は表面上は涼しい顔でチョーカーを受け取った。
「ヒヒッ、豪気だねぇ! 気に入ったよ。
オマケにこの『貴族のドレス(闇属性耐性付き)』もつけてやろう」
老婆が棚から漆黒のイブニングドレスを取り出してくれた。
やった。服に困っていたところだ。
私は店の試着室に入り、スーツを脱ぎ捨てた。
ドレスに着替え、首元にチョーカーを巻く。
ひんやりとした宝石が肌に触れた瞬間、視界が歪むような感覚があった。
鏡を見る。
そこに映っていたのは、私であって私ではない、何か。
顔のパーツは私のはずなのに、全体が妖艶な霧に包まれたような雰囲気。
地味なOLのオーラは消え失せ、そこには『深淵を知る魔女』のようなミステリアスな美女が立っていた。
「……あー、あー、テステス」
声を出してみる。
いつもの私の声ではなく、少し低く、艶のあるアルトボイスに変わっていた。
これなら、絶対にバレない。
レオンだって、社長だって、ましてやあの節穴の課長になんて、絶対に見抜けない。
「完璧だわ……」
私は鏡の中の自分に向かって、不敵に微笑んだ。
これが、800万(うち500万使用)を持つ女の実力よ。
試着室から出ると、老婆が「おぉ……」と感嘆の声を上げた。
「こりゃすごい。素材がいいのか、魔道具との相性が抜群だね。
あんた、普段は損してるんじゃないかい? 眼鏡と髪型を変えれば、化けるタイプだよ」
「……余計なお世話です」
私は苦笑いをして、店を後にした。
◇
帰り道。
スマホを見ると、課長から鬼のような連投メッセージが届いていた。
『おい久住! 女神との連絡はどうなってる!』
『明日の接待、場所は銀座の高級料亭『竜宮』だぞ!』
『絶対に失敗するなよ! 遅刻厳禁と伝えておけ!』
『もし来なかったら、お前の席はないと思え!』
必死すぎる。
文面から、滝のような脂汗が見えるようだ。
私はカフェに入り、優雅にアイスコーヒーを飲みながら返信を打った。
『お疲れ様です。
女神様より、「楽しみにしています」とのご連絡がありました。
ただし、「あまりうるさい犬がいると食事が不味くなる」とも仰っていましたので、当日はお静かにお願いしますね』
送信。
数秒後、課長から『わ、わかった! 犬!? 私のことか!? 気をつけます!』という即レスが来た。
ぷっ。
思わず吹き出した。
犬扱いされても怒れない課長。哀れだ。
「さてと……」
私はストローを回しながら、明日のシミュレーションをした。
明日は金曜日。
銀座の高級料亭。
メンバーは、高円寺商事の社長、課長、接待係の私、そしてゲストの女神。
つまり、私は「無能なOL」として課長に罵倒されながらお酌をし、同時に「高貴な女神」として課長に崇められることになる。
一人二役の超ハードモードだ。
「トイレに行くフリをして、何度も着替えないといけないな……」
物理的に忙しそうだ。
でも、その苦労に見合うだけの「最高のショー」になる予感がする。
「待ってなさい、課長。
明日は、一生忘れられない夜にしてあげるから」
私は残りのコーヒーを飲み干し、不敵に笑って夜の街へと消えていった。
その背中は、もう「地味なOL」のそれではなく、獲物を狙う「Sランク捕食者」のそれだった。
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