第4話 選べない分岐
塔の天文室に、夜更けの足音が響いた。
セラが顔を上げると、師アズリエルが立っていた。
白い髭を撫で、星図の上に落ちる彼の視線は、銀糸よりも鋭い。
「また、星の配列を動かそうとしているな」
「……ええ」
「運命は変わる。だが、“誰が支払うか”が変わるだけだ」
その声は静かだが、逃げ場を与えない重みを持っていた。
セラは唇を噛む。
「ならば、私が選ばれる方法を探します」
「支払者は、すでに星に選ばれている」
「勝ち目が薄くても、試さなければ後悔します」
アズリエルはしばし黙し、窓外の夜空を見やった。
「北方の砦が墜ちてから、もう三か月だ。
“墜ちた星”どもは雪原を越え、峡谷を抜け、今や王都を東西から挟もうとしている。
明日の会戦で押し返せなければ、城門はもたん」
その声は、冷えた石壁よりも冷たかった。
「……お前は、まだ若い。星の意志を覆そうとする者は、例外なく何かを失う。
それでも行くのなら、覚えておけ──星は願いを聞くが、代価を選ぶのはお前ではない」
それは警告であり、同時に許しにも似ていた。
アズリエルが去った後、天文室に残ったのは星の瞬きだけだった。
机の上の星図は、何も語らず、ただ冷たく光っている。
★
夜半、塔の階段を上る足音がした。
振り向くと、リオスが立っていた。
「巫女様、今日は星を見ますか」
「ええ」
二人は窓辺に並び、夜空を仰ぐ。
外気が頬を刺し、吐く息が白く混じる。
鎧の冷たさ越しに伝わる体温が、やけに近く感じられた。
「もし俺が……ここからいなくなったら」
「そんなこと言わないで」
「いや、ちゃんと考えておきたいんです」
彼は笑みを浮かべたが、その奥には消えない不安の影があった。
「でも、俺はできれば、最後まで笑っていたい」
セラはその横顔を見つめる。
剣を持つときの鋭さも、笑うときの柔らかさも、全部覚えておきたかった。
「……じゃあ、その笑顔、最後まで守る」
「え?」
「星にだって、譲らない」
短い沈黙のあと、リオスは照れくさそうに視線を逸らした。
窓外で流れ星がひとつ、夜を横切る。
願いを告げるには、ほんの一瞬しかない。
その一瞬で、セラは自分の胸に刻んだ──たとえどんな代価を払っても、この笑顔を手放さない。