アリシア公爵令嬢殺人事件〜そしてセシル公爵令嬢は微笑んだ〜
ステーシーはテレスタフィア公爵家の2階のトイレ掃除を担当する侍女。
2階のトイレのうち東側の角のトイレはほとんど使われない。
トイレの壁側にはすりガラスのように表面がでこぼこしていて外から中が見えない配慮が施されている。
その逆に外にあるものもあまり見えない。
ある日、トイレ掃除をしていると窓の外に丸くて黒い影のようなものが見えた。
その窓からはぼんやりとした輪郭しか見えなかった。
ステーシーは首を傾げたが、さして気にならずすぐに掃除へと移ったのだった。
次の日もあった。
何気なく近づいてみると丸くて黒い影の下にも影は続いている。
「なんだか人影のようにも見えるわね」
ステーシーはそう呟いたが、現実味がなかった。ここは2階のトイレで、外には背の高い杉の木が生えているくらいで人が上がってこれるようなものは、外に何も無い。
人影のように見える何かが外にあっても、やはり人影のように見えるが別の何か、なのだろう。
その次の日は風の強い日だった。
ステーシーはまた2階のトイレ掃除でやってくると外には人影のようなものがある。
今日は風が強いので、人影のような何かがゆらゆら揺れている。
だが、揺れ方がおかしい。
何だが上の方から吊り下げられているように、上部は小さく、下部は大きく揺れている。
時折ギッギッと縄が引っ張られるような音が外から聞こえる。
外では一段と強い風が吹いている。
ギッギッという縄のようなものが軋めく音と共に下部を大きく揺らす人影のような何か。
ステーシーは段々と気になり始めた。
この窓の外のすぐ脇は崖もある危険な場所なのでこの屋敷の従者でもあまり立ち入らない。1人で歩いて見に行くには危なすぎる。
「そうだわ明後日、庭師が屋敷の周りも剪定するって言ってたから見てもらいましょう」
明くる日、ステーシーは2階のトイレへ来ると真っ先に窓から外を覗いた。
人影のような黒い影は少し下がっていた。私は背伸びをして下を覗き込むようにすると何か紐のようなものにその影はぶら下がっているように見える。よく見ると下の方はひらひらと揺れている。まるでドレスを着ているかのよう。
すりガラスのようなでこぼこのガラスの表面は顔を近づけてみてもよく見えない。
それでも昨日の風でギッギッと軋むような音は縄の音だと確信した。
■
「──それで、次の日庭師の方が来てくれて見てくれたんです。そしたらなんとアリシアお嬢様の⋯⋯うっ⋯⋯ぅうっ⋯⋯」
私はハンカチで顔を隠しながら話していた。
屋敷の応接室には私とその目の前には、王立警察からダフマン警部とキール警部補が座っている。
ダフマンは神妙な顔をして私の話を聞くと、考えるように頷いている。
その隣のキールはメモ帳に忙しなくペンを走らせている。
「⋯⋯と言うことはあなたが2階のトイレの外にアリシア令嬢の人影を見かけてから発見までに5日だったというとこですな」
ダフマンは口元の髭をちょいちょいと指で触っている。
殺させて時間が経っている。時間があけば記憶もだんだん曖昧になってしまう。
ダフマンはこの屋敷に入ってきてから人の少なさを気になっていた。
「失礼ですが、屋敷の中はいつもこんな感じですか? 随分、人が少ないような気がするのですが⋯⋯」
私はハンカチから目を出すと視線を左右に動かし思い出した。
「テレスタフィア公爵様とその奥様方は視察を兼ねた旅行に出ております。そのせいかと思います」
ダフマンは視線を横にすると頷いたので納得したようだ。
「他にいつもと変わった様子はありませんでしたか? 知らない人を見かけたとか、変な物音があったとか」
ステーシーは斜め下を見つめながら5日前の事を思い出す。目を何度か瞬きをして口をもごもごと動かすが、何も変なところは思い出せない。
「すみません⋯⋯」
「いえ、いいんです」
そこでキールはメモ帳から目を離すと遠慮がちに聞いた。
「あの⋯⋯アリシア令嬢への忠誠心は⋯⋯」
騎士志望だったキールは言葉選びに苦戦している。
「あります。いつまでもアリシアさまのことを思っております!」
ダフマンとキールはステーシーのアリシアに対する大きな愛を感じ取った。ダフマンは手を出してステーシーを制す。
そして愛想笑いを顔に貼り付けるとキールと共に部屋を出て行った。
「キール、あの侍女を洗え」
キールは頭を少し掻くと短く返事をした。
第一発見者であるアリシア公爵令嬢付きの侍女が一番怪しい。外に変な黒い影が見えていたのに発見に5日間もかかってしまったのだ。
王立警察の事情聴取には自白剤の使用が許可されている。だが、任意なので必ずは使えない。
今回はステーシーが協力をしてくれたので、自白剤を使用しての事情聴取だった。
聞いたことに関してはすべて本当。直接的な供述は無かったがステーシーが一番殺す動機を持つ可能性がある。
「うーん、直接、“あなたが殺しましたか?”って聞けないのは難しいですね」
その言葉とともにキールのため息が聞こえてくる。
最近冤罪も増えていて、複数の目撃者や物証など第三者も納得するほどの材料がないと直接、“犯人であるか”を聞いてはいけないことになっている。
その苦肉の策で出来上がったのが“任意の自白剤”。
飲めば供述には嘘をつけない。そこで確実な証言を聞ければ、犯人として逮捕もしやすい。それに自白剤を飲んでの供述は証拠としても重用されやすい。
「先に現場を見ていくか」
ダフマンとキールは屋敷を出ると壁に沿って歩く。トイレがあるのは東側だと言っていた。ここだけは屋敷に比較的近いが木がたくさん生えている。
「屋敷のすぐ近くが崖になっていると聞いたから気をつけろよ」
ダフマンが後ろを振り返ってキールにそう言った。
「分かってますって⋯⋯わっ!」
言っているそばから足を踏み外しそうになっているキールを見てダフマンは大きなため息をついた。
大きな杉の木が何本も生える箇所の2階部分に比較的小さな窓がついている。
あれがステーシーの言っていた窓か。それならばここから一番近い杉の木の枝のどこかに引っ掛けられていたのだろう。
キールは目を細めて木を見ていたが、ある一点を指さした。
「ダフマン警部、あの枝じゃないですか?」
キールはその枝に引っ掛けられていたのを想像したのか青ざめて身震いをした。
キールが指を差した木の枝には擦れてめくり上がった木の皮とその中の枝が見える。
死体は回収され、鑑識が様子を観察し記録しているのでここには何も無い。
ここが現場と言われなければのどかな庭の一部としか思えない。
ダフマンは少し歩くとキールが足を踏み外しそうになった崖を覗いた。
ダフマンはその周りも何度も歩いて回ったか何も見つけられなかった。
「帰ってステーシーの周りを調べろ」
キールは屋敷を出るとダフマンから別の方向へと走っていった。
■
「警部、ステーシーには兄がいるようです。名前はジョージ。アリシア公爵令嬢の騎士をしていたそうです」
「おぉ、兄も関係者か。それは怪しいな」
キールの説明にダフマンはにやりと顔を変えると説明の続きを促した。
ジョージはアリシア公爵令嬢が10歳頃から騎士をしているようだった。平民上がりではあったが、180センチを超えるたくましい体躯に恵まれて16歳の頃には騎士学校でその年の最優秀騎士に選ばれている。
それもあってテレスタフィア公爵家はジョージに興味を持っていた。公爵はジョージと面接をして、アリシアも会った末、ジョージはアリシアの護衛として雇われることになった。
今は8年ほどアリシアの騎士をしているようだ。
ステーシーは5年ほど前からこの屋敷で働いている。もちろん兄のジョージがきっかけ。
2人が仕えたアリシアはロイ王子の婚約者候補として最有力候補だった。アリシアは活発な性格と聞くが、育ちがよくさらに頭もよく回る方で立居振る舞いは一目置かれていた。
礼儀正しく華があると噂の令嬢だった。
「その騎士であるジョージは2ヶ月前に突然解雇されたようです。そして今は実家の近くに戻っていると聞きました。午後に取り調べに馬車で行く予定です」
騎士学校を卒業してからずっと仕えてきた公爵家からの突然の解雇。
一体何があったのだろうか──。
「もしかしてステーシーと兄の2人で犯行に及んだのでしょうか?」
「それもあり得るな。人生の多くを費やしてきた公爵家から解雇されるなんて何か大きな理由があるに違いない。その忠誠心から殺したいほどの憎さに変わることだってあるだろうからな」
ダフマンは人の非情さを思いため息をついた。
「この前もありましたよね。伯爵子息がメイドに手を出していて、手を出していたメイド全員に“君だけだよ”なんて甘い言葉を零していたけど、それを本気に思っていたあるメイドがそれが嘘だと分かって、愛していたはずの子息の頭も身体も金槌で何度も⋯⋯」
キールは思い出したのか口元に手を当てて言葉を飲み込んだ。キールは一息ついてメモ帳にジョージと書くとぐるぐると丸を書いた。
午後になるとジョージとステーシーの実家のある小さな町へダフマンとキールは訪れていた。
時間までジョージとステーシーのことを町の人に聞いてみると仲の良い兄弟だと口々に言っていた。
家族で出掛けることもよく見かけられた。ジョージはこの町の人からも人気があるようで、好青年だと話す人が多い。
ダフマンは人気のない路地へ入るとキールに顔を近づけた。
「好青年と周りから言われるような人物の方が何かあった時にやらかすことが多いんだ。令嬢と共にした8年の間に憎悪を育ててきたのか、はたまた8年間分の忠誠心をひっくり返す劇的なことがあったのか⋯⋯」
「ステーシーとの関係も良かったみたいですし、2人が共犯の可能性は大きいですよね」
ダフマンとキールは兄妹にかかる疑いの目をお互い交差させた。
待ち合わせ時間近くになると、ダフマンとキールは待ち合わせ場所へと向かう。待ち合わせ時間10分前にジョージはやって来た。
キールはじっとジョージを見る。そして小さな声で声を掛けた。
「ジョージさんでお間違い無いでしょうか? 私は王立警察の警部補のキールです。こちらはダフマン警部です」
ジョージは周りを気にしたあと挨拶しようと口を開く。そこへダフマンが一歩前に出ると声を落とす。
「とにかく人目もあるでしょうから我々の馬車へとお乗りください」
ジョージは頷いた。噂通り180センチを超える大きな身体には筋肉ががっしりとついている。それでいて偉そうな態度はなく、どちらかと言えば同僚にしたいようなそんな親近感を持つほど柔らかい印象を受ける。
3人は足早に馬車へと向かうと、すぐさま乗り込んだ。ダフマンとキール、向かい側にはジョージを乗せて馬車は走り始めた。
ジョージは思わず窓の方を見る。どこに連れて行かれるのか心配なのかもしれない。
「ジョージさん、ご心配なく。止まっていては怪しいですから、ここら辺をぐるりと走るだけですよ」
そこへキールが前のめりになって声をかける。
「ジョージさん、誠に残念ですが、あなたが8年間そばにいたアリシア公爵令嬢は一週間ほど前に殺されました」
ジョージはその言葉にキールの方へ顔を向けると、口をぱくぱくとさせた。そしてゆっくりと視線を落としていく。
「そうですか⋯⋯」
「それについてアリシア令嬢や妹さんについて聞きたいことがあります。これは任意ですが自白剤を飲んでは頂けないでしょうか? これがあれば事情聴取が劇的に早く終わります。そして何度も私どもがあなたの目の前に現れることは無いでしょう」
ジョージは顔を歪めながら、キールが取り出した自白剤の入った液体を飲み干した。
効き目が出始めるまで3分。
少し気まずい雰囲気が流れる。キールは耐えきれずにジョージに声をかける。
「ジョージさんはテレスタフィア公爵家から2ヶ月前に突然の解雇にあったそうですね。驚きましたよね?」
ダフマンはキールを睨みつけてくる。自白剤が聞くまでは聞いても真実かどうか分からない。本当に聞きたいことは後に取っておきたいのだ。
ジョージは手をもじもじさせている。
「はい、とても驚きました」
ダフマンはちらりと時計を見る。今、ちょうど3分。おそらく自白剤が効いた頃だろう。なんとか間に合った。それを見てふぅと息をついた。
「それだけですか?」
「⋯⋯ちょっと予想していたんです。だから半分は納得していました」
キールはペンを一瞬止めたが、たたみ掛ける。
「なぜそう思われたのですか?」
「⋯⋯」
この沈黙は黙秘ではなくどう言葉で言い表すかを考えているのだろう。
「同じ時期にアリシア様の周りの側近や従者たちが大量に解雇されたんです。なのであぁ自分も同じか、と思いました」
「アリシア令嬢の周りの者が解雇にあったんですね。アリシア令嬢はあなたを解雇する時はいつも違っていましたか?」
「アリシア様はロイ王子の婚約者候補になっていることをご存知でしょうか? それが明るみになった頃から少し元気がなくなったように見えました」
キールは急いでジョージの言葉をメモしていく。2ヶ月前にアリシア令嬢の騎士であるジョージだけではなく、周りの従者も解雇されていたなんて⋯⋯。
それにロイ王子との婚約の話が出てきた頃に元気がなくなったとなると⋯⋯関係する者が多すぎる⋯⋯。
「ジョージさんはずっとアリシア令嬢にお仕えしたかったですか?」
やはりキールは騎士志望だった気持ちが抜けない。それもあってジョージの忠誠心を確認したかったのだろう。
「ずっとお仕えしたかったですね⋯⋯」
今度、顔を歪めたのはキールだった。おそらくジョージの心情を汲み取ったのだろう。そう言ったジョージは2ヶ月の間に心の整理をつけたのか穏やかだった。
だが、この前受け持った事件を思い出してキールは思わず聞いた。
「⋯⋯もしかしてジョージさんは忠誠心だけではなく、アリシア令嬢に特別な感情を持っていましたか?」
ジョージの目が揺れた。
「⋯⋯はい、アリシア様を今でもお慕いしております」
今でもか⋯⋯キールは同情の目でジョージを見る。自白剤が効いている今、酷なことを聞いてしまったなとキールは少し反省した。
気を取り直してメモ帳を見ると顔を上げた。
「アリシア令嬢は誰かに反感を買うことはありませんでしたか?」
ジョージは顔を上げると怒った顔をする。殴りかかってきそうな雰囲気だと感じた。
それを見てダフマンとキールは身を固くする。
「いません。聞いたこともないです。私もアリシア様にそんな感情を抱いたことは一切ありませんし、そんなことする人がいたら許しません」
それは穏やかな物言いだったが、その身にまとう雰囲気は獅子そのものだった。隙を見せれば喉元を食いちぎられそうなほどの気迫があり、静かな怒りに満ちている。
キールはペンを置くと頭を下げた。
「あくまでも調査の一環でしたが、気を悪くさせてすみませんでした」
身分やこちらの肩書を無視して目の前の相手に誠意を持った対応ができる、この男のこういうところは見習いたいとダフマンは思った。
ダフマンは空気の流れを変えるためにも別の質問に変えた。
「先程ジョージさんは同じ頃、アリシア令嬢の従者たちが大量解雇されたと言いましたが、どなたかご存知ですか?」
「えぇ、でもステーシーの方が詳しいと思います。他の侍女や従者とかなり仲が良かったので⋯⋯」
それを聞いたキールはメモ帳から顔を上げた。
「そういえば、ステーシーさんと最後に会ったのはいつですか?」
「先週末ですね。ちょうどお休みが取れたようで家に帰ってきました」
ダフマンはキールに目配せをして内容を掘り下げろと合図をする。キールは合図に頷いてペンを一度メモ帳にちょんとつけた。
「その時妹さんはどんな様子でしたか?」
「少し気を落としていました」
「それはどうしてですか? どんな会話をしましたか?」
「仲が良かった侍女たちがいないのが寂しいようで、“屋敷ががらんとしている”とかこぼしていましたよ⋯⋯」
ダフマンは腕を組んでじっとジョージの方を見た。すると視線を感じたジョージがダフマンを見た。
「単刀直入に伺います。これだけアリシア令嬢の周りの者が解雇されましたが、なぜあなたの妹さんは解雇されなかったのだと思いますか?」
ジョージは視線を外した。なぜかという問いの答えを考えているのだろう。自白剤はまだ効いているはずだ。
「⋯⋯妹はこれだと決めたことは絶対に譲りません。まぁ、私も同じですが⋯⋯その頑なな想いがアリシア様に届いたのだと思います」
「⋯⋯ありがとうございました」
ダフマンは深くお辞儀をした。それは事情聴取を終わる合図だった。
ダフマンとキールがジョージを馬車から出るのを見送っている。馬車の扉がもう一度閉まると王都の方へと帰っていく。
ダフマンはキールの方を見る。ステーシーの話とジョージの話を総合すると、アリシアは皆から慕われていたようだ。
特にあの兄妹が顕著だろう。
「ステーシーかジョージのアリシア令嬢に対する逸脱した愛かもしれませんね。
それかジョージが解雇されたことによって忠誠心を閉ざされたことを逆恨みしてアリシア令嬢を殺したとも考えられますね」
「そして、兄を慕うステーシーは現場検証を遅らせるために5日間も黙秘し続けたと言うのはあり得るな。愛か憎悪か」
あの兄妹にただならぬ歪んだ愛があれば、サイコパスのように殺して自分なりに納得した永遠の愛を得ることも考えられる。
それか凡庸だがジョージの怒りに対する視線は並々ならぬものではなかった。あるきっかけで爆発して勢いで殺してしまうのはあり得るかもしれない。
他の選択肢はないか⋯⋯。
「キール、解雇された従者を何人か事情聴取しよう」
「はい」
■
次の日、解雇された侍女のカレンと従者のモックが屋敷に集められた。
そこでいきなり予想外の来客。
「あの⋯⋯ロイ王子がいらっしゃっております⋯⋯」
慌ててダフマンとキールは隣の応接室へと走った。形式的な挨拶を終えると王子が口を開くのを待った。
「なにやら最近テレスタフィア公爵家が騒がしいようだが、何かあったのか?」
ダフマンは汗を掻きながら頭を低くする。
「それが⋯⋯アリシア公爵令嬢が一週間前に何者かによって殺されました」
ロイは腰を浮かせた。
「アリシアが? 何があった?」
ロイは目を見開いてダフマンを見る。ダフマンはまだ犯人の目星がついていなかったので躊躇する様子だった。
「実は一週間前にこの屋敷の侍女が開かないすりガラスの窓の外に黒い大きな影が見えたそうです。そこが崖の近くの2階のトイレの窓だったものですから、人影だと断定は出来ずに連絡が遅くなったようです。そして5日後に縄で首を絞められた令嬢が発見されたのです⋯⋯」
「なんと⋯⋯可哀想なアリシア⋯⋯」
「今、事情聴取は進められていますが、決定的なことは分かっておりません。なにぶん、テレスタフィア公爵とその奥方様の一行は視察旅行に行っているようでしばらく戻ってこないようなのです。今連絡の早馬は走らせております」
「そうか⋯⋯それを聞いたらセシルが悲しむな⋯⋯」
活発的なアリシア令嬢と比べると、セシル公爵令嬢はおしとやかな雰囲気。違うタイプなのが良いのか、2人は仲が良いようだ。
それにしても王子がそのアリシア令嬢の友人であるセシル令嬢を気にするなんてなんとなく引っかかる。単なる勘だが。
ロイはダフマンたちの話を聞き終わるとすぐに席を立った。
その後、会ったカレンとモックはあの兄妹から名前が挙がらなかった従者だった。2人と繋がりの薄い彼らからなら何かを聞けるかもしれない、ダフマンはそう期待した。
ダフマンはアリシア令嬢に起こったことをかいつまんで話す。2人は息をのんだような反応をしていた。それから自白剤も任意で促すとあっさり飲んでくれた。
「屋敷内で不穏なことはありましたか?」
「屋敷内では特にありませんでしたが⋯⋯仲の良いセシル様と一度言い争いをしているのを聞いた人がいるという噂です」とカレン。
ダフマンは口を尖らせた。
「セシル公爵令嬢⋯⋯」
先程もロイ王子がアリシア令嬢の話をした際に出てきた名前。仲が良いはずの2人が口論になった。これはセシル令嬢から詳しい話を聞かないといけないなとダフマンは思った。
「その他は身の回りで何かありましたか?」
「屋敷では解雇の後に通達があるから待っているようにと言われました。内容は分かりません」とモック。
「通達?」
ダフマンは片眉を上げた。
「解雇はするけど、その先の働き口を口利きをしてくれるということでしょうか?」
「分かりません。私たちはただ待っていれば良いと言われました。解雇の前は大規模な屋敷の整理が行われました」とカレン。
「大規模な屋敷の整理ですか? それはアリシア令嬢の周りですか?」
「⋯⋯はい、そうです」
キールはメモ帳にペンでぽんぽんとペン先をつけて考えている。
2人と別れると、また事件現場へと足を運んだ。
「死ぬのが事前に分かっていた?」
「自殺だったのか?」
ダフマンとキールは頭を悩ませ始めた。
「アリシア令嬢は事前に身の回りの整理をしていたんですよね。それから自分の従者を解雇して、また口利きもするつもりだった⋯⋯アリシア令嬢は病気だったのでしょうか?」
「そんなことは誰も言っていなかった。それに首吊りの状態で令嬢の亡骸が見つかったんだぞ。それはあり得ないだろう。⋯⋯アリシア令嬢を慕う兄妹。従者にも人気が高かった令嬢。その人気が過熱しすぎて⋯⋯いや、さすがにないか。それから令嬢は仲が良かったはずのセシル令嬢と口論をしていた」
ダフマンは何かが繋がりそうで繋がらないこの状況にヤキモキしていた。
「アリシア令嬢とセシル令嬢は仲が良かっただけではなく、王子とも繋がっています」
「アリシア令嬢は王子との婚約の話が出た時から落ち込み始めた。そしてアリシア令嬢がいなくなって王子とセシル令嬢の距離は近づいた⋯⋯もしかしてセシル令嬢が⋯⋯」
キールは核心づいたことを口にようとした時、また崖に足を踏み外しそうになった。
「わっ、危ない!」
崖の下に見えるのは川。豊かな自然の中に澄んだ川が流れている。
「はぁ、こんな事がなければ渓流釣りでも出来そうな綺麗な川ですよね」
キールはその川に不満そうな顔を投げかけた。
屋敷にはアリシア令嬢を恨むものはいない。この現場も凶器はおろか縄がかかってめくり上がった枝があるくらいだった。
そこでダフマンはふと気になった。
「現場検証ではアリシア令嬢は死因が絞首だったんだよな」
キールは紙をめくって確認する。
「はい、記録によるとそうなっています。モーリッツ鑑識が記録を取っていますね。それから死体はすでに屋敷へと返されています」
「記録によると、な。⋯⋯記録?」
ダフマンは目を見開いた。
「死体はどこに行った? 俺たちはまだ死体を見ていない」
キールは確認して戻って来るとダフマンの元へと戻ってきた。
「火葬されたとのことです」
「本当か?」
ダフマンは庭にある焼却炉を見つけた。急いでいくと扉に何かが挟まっている。キールはおびえるようにダフマンに聞く。
「これ⋯⋯なんでしょうか?」
「開けてみれば分かる」
ダフマンは扉に手をかけた。重い金属の扉は甲高い音を立てて開いた。扉に挟まっていたのは布の破片だった。それはドレスの破片にも見える。
ダフマンは焼却炉の中へと頭を突っ込んだ。
「うわっ警部? やばいですよ。令嬢の死体はここで焼いたんじゃないですか?」
キールは情けない怯えた声を出している。
焼却炉の中は綺麗だった。それは使われていないように中は綺麗に清掃が行き届いていた。
「やっぱりな⋯⋯死体なんて無いんだ」
キールは覗き込んで中を確認したあとダフマンを見た。
「そうですね。ないですね」
「そうじゃない。この国で一番行われるのは土葬だ。それに殺されたはず令嬢の両親も不在のまま死体は焼かれたのか? この焼却炉ではないなら、どこでだ?」
ダフマンは訴えるようにキールに伝えてくる。それは何かに気がついたように。
「モーリッツ鑑識はセシル令嬢のカランパーニ公爵家側の人間だ。記録なんてどうとでも書ける。俺たちは騙されていたんだ」
キールは要点が分かっていないようだった。
「ダフマン警部⋯⋯私たちは何に騙されたんですか?」
「何って全部だ!」
ダフマンは頭を抱えながら屋敷を後にした。
■
ダフマンとキールの目の前にはセシル公爵令嬢がにこにことしながらこちらを見ている。
「私に聞きたいこととはなんでしょうか?
それとも私も自白剤を飲みますか?」
ダフマンは悔しそうな顔をしている。
「いえ⋯⋯セシル令嬢、全部あなたがやったのですか?」
「ふふっあなた方はもう私たちの味方ですもの。何でもお話しますわ」
キールは眉をひそめてダフマンとセシルを交互に見ている。
「あの⋯⋯何も分からないのですが、セシル令嬢がアリシア令嬢を殺したのですか?」
思わずキールは聞いてはいけないことをセシルに聞いた。ダフマンはそれを聞いて怒るのを通り越してキールに呆れていた。それを聞いたセシルは穏やかな笑みを顔に貼り付けている。
「いいえ、誰もアリシア様を殺していません」
「えっ?」
驚くキールを横目に、事情に気がついたダフマンは頭を下げた。
「あなたがアリシア令嬢と口論になったとお伺いしました。詳しく聞いても?」
「えぇ──」
アリシアがロイ王子の婚約者候補だと言い始めたのは、セシルを良く思わない⋯⋯セシルに振られた伯爵子息が腹いせに流し始めた噂だった。
アリシアもセシルも初めは気にしていなかったが、いつしか王子の耳にも届いてしまった。
「私はロイ王子をお慕いしていたんですの。それでアリシア様は“私が表舞台からいなくなればセシル様がロイ王子と結婚できるわ”と仰ったの。私は怒りましたわ。アリシア様の気持ちは嬉しかったですが、大切な友人を蹴落とすようなことはしたくありませんでした」
──────
セシルはアリシアと王子の噂を聞いて程なくすると、テレスタフィア公爵家に呼び出された。
セシルはそっと扉を開けるとアリシアが涙を溜めてジョージの腕の中にいた。アリシアの目はすでに泣き腫らしたのか赤く腫れぼったくなっている。
「セシルさま、私たち少しずつ準備をしていたの。もう少ししたらジョージは男爵位を貰えるって。そしたら結婚しようって⋯⋯それなのに⋯⋯王子の名が出たら婚約していなくても悪い噂が出るわ。それでなくてもロイ王子はセシルさまがずっとお慕いしていた方なのに⋯⋯あんな噂⋯⋯ひどいわ」
「アリシア様、落ち着いてください」
「セシルさまには悪いですが、私こうなったらジョージと駆け落ちします」
下級貴族ならまだしも王子の婚約者になるかもしれない人が駆け落ちなど許されない。
ジョージもアリシアを優しくなだめ始めた。
「私のことはもういいのです。一生お側で騎士として居させてください」
「そんな大好きな人が隣にいるのに別の人と結ばれるなんて引き裂かれる思いだわ。それならいっそ死んでしまいたい⋯⋯ぅうっ⋯⋯ぅううう」
アリシアは泣き崩れた。セシルはそれを聞いてあることを思いついた。
「アリシア様、ご存知の通り私はロイ様が好きです。これから全力でアピールしますわ。それから私は妙案を思いついたのですが、聞いてくださいますか?」
アリシアは頷きながらすがるようにセシルを見た。セシルは説明を始めた。
アリシア様は死んだことにしてしまいましょう、と。
まずこの計画にアリシアの両親である公爵と公爵夫人がいては不都合。
そのためにアリシアの両親は視察旅行として屋敷から離れてもらう。アリシアと共に。
そしてもし死んだことになれば、警察が自白剤を持って事情聴取に来る。
作戦にぜひ参加したいと手を真っ先に上げたステーシーには2階の窓から黒い影を見てもらう。
3日後に庭師を呼ぶことを決め、その2日後にセシル側の人間であるモーリッツが縄からアリシアのドレスを着た岩袋を下ろす。
岩は崖から落とし、モーリッツは作戦通りの記録を作る。
すると予定通り屋敷には警察がやって来た。
自白剤を飲んだステーシーはありのまま話す。
次に狙われるのはジョージだろう。予想通りジョージも自白剤を飲んで事情聴取を受けた。
しかしジョージは解雇されてから何も知らされていない。だから警察が欲しい情報はほとんど出てこない。多分、同じ頃解雇された者の話くらいは出るだろう。
「そこまでの間に時間をかけることによって王子が動くことを私たちは望んでいました。そして計画通り王子がアリシア様の様子を聞きに行ってくれました」
ダフマンはゲームに大敗したかのように悔しそうな顔になる。完璧ではないこの事件には不自然な点が多かった。
まず誰もアリシアに恨みを持っていなかった。悪い噂もなかった。そしてダフマンはこれまでの事情聴取で気が付かなかったが誰も“殺された”とか“死体”と言った言葉は言っていなかったのだ。
皆の話を聞いて勝手に黒い影を首吊りされた令嬢と前提に考えて行動してしまった。怪しいと思った目線からは怪しいと思う考えしか出てこない。
そこに徐々に明らかになる屋敷の状況にダフマンはようやく変だと気が付き始めた。
鑑識の記録に絞首の殺人と書いてあったばっかりに死体も見ていないのに殺人事件として話を進めてしまった。
死体も犯人もいない事件。
そこでモーリッツとセシルの関係を掴み、ダフマンの疑念が核心に変わった焼却炉。ドレスの切れ端をわざと挟み誘い込んで、死体が無いことを強調する。
それを見たダフマンがようやく死体が無いことを理解した。初めからこれは殺人事件事件ではなかった、騙されていたと気がついた。
そしてダフマンが気がつくように少しずつ巧妙にこの計画のほつれを見せていきそれに気がついたときにはもう遅かった。
「そして私が殺人事件だと勘違いして、あなたの思い通り、王子に“アリシア令嬢が殺された”と伝えてしまう⋯⋯まんまと同じ船に乗せられたのですね」
「まっ待ってください。今からでも真実を公表すれば良いのではないですか?」
キールがダフマンとセシルの間に入る。ダフマンは苛ついた声で答える。
「王子に無能な我々が殺人事件だと勘違いしてそう伝えてしまいました。そしてそのアリシア令嬢は行方不明だと伝えるのか? それこそ警察内部で消されるぞ」
ダフマンは口を尖らせている。セシルは目を細めた。
「それならまだ、未解決事件とした方が良いかもしれませんね。警部さんたちは殺人事件として話を通して行方を捜していると言ったほうが良いですわよね。ご安心ください。私がロイ様と結婚出来た暁には本当のことをお話して警部さんたちには協力してもらったとお話しますから」
ダフマンは王子に殺人事件だと言ったばかりに犯人を探すどころか、アリシアたちを誰にも見つからずに国外へ出す手伝いをしなければならなくなった。
ダフマンは悔しそうな目でセシルを見つめると、穏やかに見えるその瞳からは獲物の喉元に食らいついたかのような余裕のある目だった。
それを見たダフマンは目の前のおしとやかな令嬢の手の上で転がされて、悔しい気持ちもあった反面、そんな頭の回る強かな方が国を担ってくれたら安心だなと思った。
■
とある船が停泊する港に1台の馬車が近づいてきた。
私は船の前でその馬車が近づいてくるのを待ちきれないように身体をそわそわさせる。
その馬車は私の前にそっと止まる。私は扉の方を穴が開くほどじっと見つめていた。
ギィと音を立てながら扉が開く。中から出てきた人物を見るとアリシアは声をかけながら両手を開いて迎える。
「ステーシー! ご苦労さま」
「アリシアさま、到着いたしました!」
私はステーシーの笑顔のこぼれる顔を見て作戦が成功したことを知った。すると私は胸が熱くなり少し頬を上気させた。
ステーシーは少し横にずれると、馬車から今度はジョージが出てきた。私の目は少し潤んでいる。
会いたかったジョージが目の前にいる。
そして右手を前に出すと、地面まで降りたジョージは片膝をついて私の手の甲へキスをした。
「アリシアさま、戻りました」
「⋯⋯ジョージ⋯⋯」
私は感情を高ぶらせて、喉を詰まられたような声を絞り出す。そして左手で目尻についた涙を拭うと笑顔になった。
「もうあなたは私の騎士ではないわ。さぁ、私の横に立って」
私はジョージとステーシーの手を掴むと船の方へと歩いていく。
船の中には私の両親と2カ月前に解雇した私付きの従者たちが乗っている。
今度はジョージが船に片足を乗っけると私を船の中へとエスコートする。その後はステーシー。
ステーシーとジョージは船へと入ると目を丸くした。
「お父さん、お母さん!」
なんと2人の両親もいた。2人は両親の方へ向かうと優しく抱擁した。
程なくして船は出港する。
船は国境を越え他国へと舵を向ける。もうこの国にいる必要はないのだ。
しばらくすると1羽の伝書鳩が飛んでくる。
「セシルの伝書鳩だわ」
私は急いで鳩の足に括り付けられている紙を広げて内容を確認する。
「すべてが上手くいったようね。すごいわ、セシルさまったら。ふふっ王立警察がセシルさまの手の上で転がされるなんて、私も見たかったわ」
「セシルさまは物静かでおしとやかなのに意外な一面があるんですね」
私はそう言ったジョージをじっと見る。私はジョージを“眠れる獅子”だと思っていた。心の奥底に眠る絶対に譲れない気持ち。それを邪魔するものは誰だって許さない。
セシルは物静かに見えるがそれは見た目だけ。本質は王妃の素質を持つ頭の切れる凛とした強者。私はセシルとの友好関係からひしひしとそれを感じていた。
セシルは昔からロイ王子を慕っていたのを感じ取っていた。私はジョージのことがずっと好きだったのでセシルとロイ王子がくっつけばいいのになと常々思っていたのだ。
でもセシルは友情を優先してしまう。それのせいで私は一度だけセシルと口論になった。セシルの自分を思ってくれる気持ちを嬉しく思ったが、セシル自身の幸せの代わりにはしてほしくない。
私はようやくセシルが本気で幸せを掴みに行ってくれたのだと嬉しく思った。しばらく待てば、異国でもその吉報を聞くことになるだろう。
セシルさまの事だから、私が功績を2つか3つ手土産に携えて異国から帰ってくると思っているだろうなぁ。セシルさまはなぜか私への期待が大きいのよね。
私はそう考えた後ジョージの方を見た。するとジョージと視線を交差する。
私の手をそっとジョージは包む。すると真剣な目を向けた。
「アリシア、俺と結婚してください」
「ジョージ、あなたと結婚するわ!」
私はまだ見ぬ異国の地に期待をしながら笑顔でそう返事するとジョージの胸へと飛び込んだ。
私たちの旅はまだ始まったばかり。それでも愛情いっぱいに育ててくれた両親と自分を思ってくれる従者たち。自分を大事にしてくれるステーシーに最愛の人・ジョージがいる。
この先も楽しいことがたくさん待っているのだろう。私はそんなわくわくする気持ちで胸いっぱいにした。
お読みいただきありがとうございました。
ミステリーっぽい要素が強めのお話しでしたが、警部が出したくてこんなお話を作ってみました。
蓋を開いてみれば、端役の予定のセシル令嬢が主役みたいな存在感を出していてそちらの話も入れてみたかったなぁと後から思いました。
楽しんでいただければ嬉しいです。
また、いつもながら誤字脱字が絶えません⋯⋯見つけた方はご報告お願いいたします!